こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

ホタルの光をつなぐもの(第448号)

今年度のラインナップで福岡先生の名前を見た時。

この号の記事はきっと書きあぐねるだろうなあと思っていた。読了してその予断をいい意味で裏切る……こともなく、やっぱり書きあぐねている。

私にとって福岡伸一は、魅力を感じられるサイエンスライターではないからだ。

 

そうは言っても大事なのは、が書いたかじゃなくてが書かれてるか、じゃないの?

その通りなんだけど……。

たくさんのふしぎ」でも、作者名を見て楽しみにすることがあるし、現にその作者の本だから楽しむときもある。好きな作者ならもちろん感想にも影響する。えこひいきと言われようが仕方がない。なんの先入観もなく読めるのは「知らない」ものだけだ。

私は大人としての読み方しかできない。だが「たくさんのふしぎ」はあくまで子供向けの本だ。子供にとっての意義、子供がどう読むかについては別の意見があるだろう。

予防線を張るのはみっともないけれど、その辺をご承知おきの上、記事を読んでくださればと思う。

 

お話の下地としては、

川は、動的平衡の象徴。小自然との出会いの場であり、センスオブワンダーを感じる場。分子生物学者・福岡伸一博士 特別インタビュー | ミズベリング

このインタビューとほぼいっしょだ。

福岡先生をご存知の方はご承知のように、先生の提唱するテーマは「動的平衡」。

Amazon商品ページにある福音館の解説によると、

動的平衡とは「様々な要素が相互に作用し変化しながら、バランスのとれた一定の状態を保つという生命のありようを表す言葉」ということだ。

この絵本では子供に向けて2つの側面から「動的平衡」が描かれているという。

一つは、ホタルのすむ環境のなかの動的平衡。ホタルの幼虫の食べる貝類、貝類が育つための藻、藻を育てる酸素や養分、幼虫が羽化する土手など、微妙なバランスが成立してはじめて、ホタルが生息することが可能になるということだ。

もう一つは、大きな時間の流れのなかの自然の動的平衡。一度失われたホタルのすむ小川が、自然の力だけでどのように戻るのか、壮大な時間の流れともに描かれる。

 

わかったような、わからないような……。

福岡先生の本を読んでるとわいてくるモヤモヤみたいなものを、やっぱりここでも感じてしまう。

もっと言えば、福岡先生は本当に生きものを見てるんだろうか、好きなんだろうかと疑問がわいてくることがあるのだ。失礼ながら、先生が好きなのは「動的平衡」という言葉の方じゃなかろうかと思ってしまう時があるのだ。

一つ一つの話はわかる。明快ですらあると思う。

ただ「動的平衡」という考えがいまいちピンとこないのだ。説明されていることはわかるが、その複雑な有り様を「動的平衡」という言葉で、ひとまとめにする意義を知りたいと思ってしまう。先生は「動的平衡」ありきで、生きものの有り様を見ているのではないかと思ってしまうのだ。

 

なぜホタルなのかというところも、漠然としすぎてわからない。

最初のパートでは、ホタルを飼ってみたいという子供の言葉から「微妙なバランスが成立してはじめて、ホタルが生息することが可能になる」ことを説くが、現実にはホタルの人工飼育は各地で行われている。成虫に育てるだけなら、飼育技術はすでに確立されているのだ。

【ホタルの飼い方】立派な成虫へ育てるのに必要な知識と道具をまとめて解説 | となりのカインズさん

飼育環境での限界ということなら、こちらの、

ホタル飼育における限界

飼育体験からの言葉、「小さなビオトープでは、ホタルの生態系再現はできない」の方が説得力がある。『川のホタル 森のホタル(第363号)』でも「ホタル保護と再生の今日的問題」の箇所をご紹介した。

 

わたしたち人類が地球に生まれたのは、ほんの20万年前。ホタルが生まれたのはなんと1億年前。途方もない時間をこえて、ホタルは命をつないできている。ホタルの光は、生きものがつながりあっている美しい証のようなものだね。これまでもつながってきたし、これからもつながっていく。光の明滅は、一度も途切れたことがない。そして、わたしたちの命もその環の中のひとつだよ。

一億年の前から続いてきた光、「光の明滅は、一度も途切れたことがない」という話なら、

【研究成果】加藤太一郎助教らの研究チームが1億年前のホタルの光を再現することに成功! – 鹿児島大学理学部

恐竜時代の「ホタルの光」を再現。中部大学・大場裕一先生に聞く、発光生物の不思議な魅力 | ほとんど0円大学

こういう話の方が長大な時間と進化の道筋を感じ取ることができる。

 

だいたい人間は(日本人は?)あの淡く儚い光に騙されてるけど、1億年ものあいだ進化しながら生き延びてきて、

ホタルは南極を除く全ての大陸に生息し、2000〜2200種、グループとしては5〜7亜科が知られていて、それぞれが固有の発光色や発光パターンを持っています。恐竜時代の「ホタルの光」を再現。中部大学・大場裕一先生に聞く、発光生物の不思議な魅力 | ほとんど0円大学より)

しかも、ほぼすべての大陸に進出してるって……実はホタルって案外しぶとい虫じゃねーの?クラゲ(『クラゲは花(第319号)』)と同じく環境の激変を耐え抜き、柔軟に対応してきた強者なんじゃなかろうか?

 

「作者のことば」では、

 人間は、生命体としては、ホタルよりもずっとあとになって地球に現れたにもかかわらず、我が者顔で都市化を進め、環境に負荷を与えています。ホタルが消えてしまうのは、人間の横暴さの現れです。でも、一方で、動的平衡も強靭な回復力、つながりを取り戻そうとする力をもっています。リジリエンスと呼ばれる力です。本質の後半では、いったん失われた動的平衡がどのように復元されうるのかを、すこし長い視点で考えてみました。

と書かれているが、ホタルが消えてしまうというより、各地で行われているホタルを殖やそうという試みこそ「人間の横暴さ」の現れなんじゃないかと思えてくる。

もちろん、自然にいた・・・・・ホタルが、人間活動による環境変化などで消えてしまっていることも確かだ。福岡先生の話もそういう意図で書かれていることはわかる。しかし、私が感じたのは1億年の時を超えて光をつないできた「強さ」の方だった。人間の横暴さと書いたけれど、繁殖のためのあの光が人間をも魅了して、あまつさえ「保護活動」にさえ乗り出させるとか、ホタル自身が意図したものではないとはいえ、空恐ろしい生存戦略ではないか?

 

同じく「作者のことば」には、学生時代の京都で初めてホタルの光をご覧になった体験が書かれている。感激した先生は、翌年もその翌年も同じ場所を訪れたが、ついぞホタルが現れることはなかったという。

そして『古今和歌集』に載る紀友則の歌、

夕されば  蛍よりけに  もゆれども  光見ねばや  人のつれなき

を引き、一千年も前に、同じ京都に生きた人々と同じ光を見ているなんて不思議な気持ちになったと書かれている。

都市化によって消えゆくホタルの儚さを、ヘイケボタルの小さな体や淡い光の点滅、追いやられていく平家の落人のイメージに重ね、本書ではヘイケボタルを取りあげました。

「保護活動」の多くはゲンジボタルだ。ヘイケボタルが取り上げられることはほとんどない。しかし彼らが好んで棲む水田環境の変化や、谷戸田の放棄などでヘイケボタルの生息場所もじわじわと奪われてきている。

ヘイケボタルの生態と生息環境

水田環境という人間の営みに適応して生き抜いてきたヘイケボタル。都市化による環境変化、ゲンジボタル贔屓の保護活動を考えると、確かにおっしゃる通り「人間の横暴さ」と言えるのかもしれない。

 

一方で、

ホタルの光は、生きものがつながりあっている美しい証のようなもの

わたしたちの命もその環の中のひとつ

ここに入るのは「ホタルの光」じゃなきゃいけないだろうか?とも思ってしまう。「ゴキブリの存在」でも、ミミズでもオケラでもアメンボでもいいじゃないか*1。それこそ「わたしたちの命もミミズの環の中のひとつ」とまで言えるんじゃなかろうか(『ダーウィンのミミズの研究 (たくさんのふしぎ傑作集)(第135号)』)

しかし、↓こちらに出てくる「生命観」という言葉を見て、

本質は「あいだ」にある 〜動的平衡という生命のあり方に学ぶ〜 【第2回】生命現象は要素と要素の相互作用である - Executive Foresight Online:日立

『ホタルの光をつなぐもの』を、どう読めばいいのかなんとなく見えてきた。

生命観。

そうか「動的平衡」というのは生命観なのか。

生命観、世界観という話ならわかる。これは福岡先生の描く「生命の物語」なのだ。先生が初めて見て感激したあの「ホタルの光」に仮託して「動的平衡」を描く物語なのだ。

そう考えると、五十嵐大介描くところの、あの世とこの世のあいだにあるような、揺らぎを感じさせる美しさが、なんとも味わい深く見えてくる。しかもホタルの季節は夏。『いつも となりに ねこじゃらし』もそうだったが、夏を描かせたら右に出る者はない。

 

お前は『ホタルの光をつなぐもの』で書かれる本質について何もわかってない。何も知らんくせに不遜なことを言うな。と思われる方もきっといるだろう。浅薄な一読者の感想と棄ておいてくださればと思う。

こちらの『生物と無生物のあいだ』の感想が、舌鋒鋭くて面白かった。

生物と無生物のあいだ/福岡伸一 - 基本読書