こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

小さな南の島のくらし(第353号)

小さな南の島とは?

フィリピンはセブ島近くにあるカオハガンという島だ。

著者はこの南の島に惚れ込み、島で暮らすことを決意する。

場所こそ違え、流れる空気は『青い海をかけるカヌー マダガスカルのヴェズのくらし(第408号)』と同じものがある。まあ島、とくに南の島はどうしたって似たような空気になるんだけど。時計の時間が消失するというか、自然がつくる時に身をまかせるしかなくなるのだ。気にかけることったら、天気と船の時間くらいなもの。あまり車が走ってないのもあるのかなあ。速い乗り物がいないと、なんかリズムがゆっくりになる。

この本も、カオハガンに来てる気分で、ゆっくりのんびりページをめくればいい。静かな絵だけど、潮騒や雨音、人びとのおしゃべり……そんなものが聞こえてくる感じがする。

誰もが主人公ではないし、誰もが主人公でもある。

そんなイラストを描かせたら西村繁男の右に出るものはない。

キルト風の縁取りで、クローズアップの場面を散りばめているのも楽しい。キルト風というのは、ここカオハガンではキルトの制作が盛んに行われており、収入源の一部にもなっているからだ。

Caohagan Island Official Store

 

最後に登場するのは生きものたち。

ナンヨウショウビンナンヨウクイナトッケイヤモリ

ここにいると生きもの観察、って感じにはならないんだろうな。周囲の自然といっしょ。「観察する対象」ではなく、いっしょに暮らしてる仲間って感覚になりそうな気がする。

たくさんのふしぎ」には(おそらく)あえて書かれない、重要なことがある。

作者は単にカオハガン島に移住しただけではない。この島を購入したオーナーなのだ。

何もなくて豊かな島―南海の小島カオハガンに暮らす』には、その経緯や島での暮らしについて詳しく書かれている。

島を買う……買うというのはその土地を所有するということだ。所有するというのはその土地を好きに使えるということ。当たり前だけど。じゃあその買った土地に住んでる島民はどうなるのか?

島には約三百人の住民が住んでいる。ほとんどが何世代も前からここに住んでいる人たちだ。「この人たちをどう扱うか?」多くの人、とくにフィリピンの人の意見は「別に土地を与えてそこに移転させろ」ということだった。島民たちは、現在は土地不法占有者として島に権利なく生活しているのだ。「将来の島の理由を考えた時、今の時点で移転させれば問題が残らない」というのは、至極正しい意見だ。しかし、ここのところに私はひどくこだわった。自然も大事だが、住んでいる人たちも大切だ。人の住んでいない大自然もすばらしいが、そこに生活している人々との関係は、私にとって大切に思え、興味があった。そして、思い切って、まわりの人たちの親切なアドバイスを押し切り、島民たちと一緒に生活する道を選んだのだ。これは大きな選択だったと思う。(『何もなくて豊かな島』27〜28ページより)

買ったはいいが、そこに住んでいる人をどうするか?という問題は確かにあったのだ。

 

舟がぼくの家(第167号)』で「家族のおしっこもうんちも見れば」と書いたが、カオハガンも同様だった。家族どころか近所の人のトイレシーンも見ていた。うんちは上潮のときに波打ち際の岩や砂の上にしゃがんでするのだ。波が来て運び去ってくれるという案配だ。天然の水洗トイレだ。

上げ潮が明け方の時などは、総出で波打ち際にしゃがんでおり、その姿は、朝日を浴びて、荘厳で神々しい感じでさえある。(同66ページより)

時折くる波がお尻をひと撫ですれば、ウォシュレットにもなる。300人程度の人口なら、海の汚染を考えるほどのこともないようだ。この天然トイレの良さを認めつつも、作者はやはり、トイレを使う習慣を導入したいと考えていたようで、今は普通にトイレが使われている。

 

上で「時計の時間が消失するというか、自然がつくる時に身をまかせるしかなくなるのだ」と言ったが、作者も同様のことを書いている。

 島の生活は潮の満ち干に大きく影響される。漁をするにも、隣の島を訪れるのも、観光客が来るのも、みな潮の満ち干に関係している。だから島の人たちは毎日の満潮時刻、干潮時刻を正確に知っている。

(中略)

 島の人たちは、自然の中に身を置き、自然をしっかり観察し、自然と身体をすり寄せあって生きている。その中で島民は、過ぎ去るのではなく「繰り返す」時間感覚を身につけ、生きるようになるのだ。砂が直線的に落ちる「砂時計」の時間ではなく、太陽の影が円を描く「陽時計」の時間を生きているのだ。(同110ページより)

 

著者の友人である、飯野和義が訪ねてきた話も興味深かった。画材一式30セット携えて、滞在中、子供たちに絵を教えたのだ。子供たちは夢中になった。それまで絵を描くという経験をしたことがなかったからだ。刺激をあたえるため、ちょっとしたコンクールも開かれる。そこで最優秀に選ばれたのがエドウィンという男の子。とてもユニークな絵を描く。しかし、彼は学校では問題児。授業への集中力がなく、すぐに抜け出してしまう有様だった。彼はこの表彰式からガラッと変わったという。学校にちゃんと出席するようになったのだ。何かを認められるという経験は子供を良い方に変えるものだなあとつくづく思う。

 

住民がいるなら、その住民を束ねる存在がいるはず。小さな島といえども社会なのだから。著者が島を買った当時、アマド・カバリヤという男がバランガイキャプテン(村長のようなもの)を務めていた。公の選挙で選ばれた、カオハガンの首長といえる存在だ。

アマドは、カオハガンで首長をしていた叔父メリシオを頼って島に移住してきた。叔父の元で仕事を学んだ後独立し、ダイナマイト漁関連で一旗揚げるのだ。フィリピンの海には第二次大戦中沈んだ日本の船がたくさんあり、機雷が残っていたという。そこから弾薬や機雷を運び出し、火薬を抜いてダイナマイトを作っていた。アマドの兄弟のうち三人はこの仕事で亡くなったという。カオハガン首長の地位についたのち、アマドはダイナマイト漁を完全に禁止する。その頃にはすでに法律で禁じられていたからだ。

 私がこの島にやって来たことは、島民全体にとって大変な出来事だったと思うが、特に、島のリーダーとしてのアマドにとっては、ほんとうに難題を突き付けられたような事件だったと思う。素性の知れない外国人中心の会社が島を買ってしまった。今後どう付き合っていったらいいのか。どうしたら島のためになるのか。

(中略)

 私の会社はカオハガン島を所有している。そこには、不法居住者としてだが三百五十人の島民が生活し、行政的にはひとつの村を構成し、村長が公選されている。これが、私が「住民と一緒に生活しよう」と決めた、村の現実の姿だ。ふたりのリーダーがいる。実際には、方針が食い違った場合は、私の意見が優先するようだが、そんな意見の食い違いがいつも続いては、島民はたまったものではない。落ち着いて生活できない。ふたりのリーダーは同じ方向を向いて進んでいかなければならない。これはとても大切なことだ。アマドはこの点を真から理解してくれているように思う。私はこれが指導者だと思う。指導者は小さな私利を捨てて、大切な方針に沿って進まなければいけない。現在だけを見るのではなく、将来を考えて進まなければいけない。この点アマドは立派な指導者だと思うのだ。(同149ページより)

私がいちばん興味をひかれたのは、崎山さんと島民はどんな関係にあるのだろうということだった。島の所有者はあくまで崎山さんだから、島民と対等という関係にはなりづらいだろうなと。支配者というのでもないし、首長というのも違う。一方でいち島民にもなり得ないのだ。

主導して観光という形で島をバックアップする以上、島民は観光資源であると同時に、いわば社員のような感じになるだろうか。作者はカオハガン島という会社の社長さんみたいなものかなあと。現実にも所有のかたちが会社(組織)単位ということで、会社みたいな感覚なのかもしれない。まして崎山さんの前職は出版社社長、この辺はお手のものだろう。島民の医療の面倒を見たり、福利厚生を担ったり、教育環境を整えたり。ひと昔前の日本の会社が、社員の生活あれこれのサポートをしていたのと少し似たところがある。

 

面白かったのが「クラゲに話が通じるか」という、柿沼先生(『クラゲは花(第319号)』)もびっくりの話だ。カオハガンの海にもクラゲの多い季節があるが「我々は友達だ」という気持ちをもって海に入ると刺されないというのだ!

 早速私も試してみた。海に入る前にクラゲに話しかける。「私はただ泳いで楽しむために海に入っていくのだ。きみたちに危害を加える考えはまったくない。私はきみの友達だ」と言ってから海に入る。すると不思議なことにまったく刺されないのだ。と言いたいが実際にはまだまだ刺される。しかし少しは減ってきたような気がしている。どこまでクラゲに伝わっているか分からないが、もっと大きな声で話した方がいいのかもしれない。(同162ページより)

ちなみに、飯野和義はこんな句を詠んだそうだ。

「アミーゴと 話かけかけ 泳ぐ我」

いやはや……クラゲには人の詩情に訴えかける何かがあるのだろうか。

 

たくさんのふしぎ」では、クイナとナンヨウショウビンの話にとどまっていたが、実はカオハガン近郊のオランゴ環礁一帯は、世界でも有数の渡り鳥飛来地。ラムサール条約登録地でもある。北半球と南半球を行き来する鳥たちが羽を休める場所なのだ。もちろん日本を行き来する鳥たちもやってくる。

渡り鳥保護のため、オランゴ環礁に青年海外協力隊が派遣されてきたこともあったようだ。1991年から三年間にわたり、地域の渡り鳥の調査を行っている*1。種類別にカウントしたり、バンディングを行ったり。崎山さんも何度か調査に同行したことが書かれている。うらやましい!中でもカラシラサギの調査は圧巻だ。

 辺り一帯は大きな海の広がり。その中に枝をくねらせた太いマングローブが生え出している。そこだけが緑の濃い茂みをつくっている。その緑の中に、百羽を越す真っ白な大きな鳥が静かに羽を休めていた。夢のような、思わず魅き込まれてしまう、幻想的な光景だった。しかも、世界に千羽もいないといわれている鳥が百羽以上も目の前にいるのだ。胸が高鳴った。(同172ページより)

崎山さんは日本野鳥の会などの援助、協力隊の人たち、地元の青年たちの協力で、付近の小学校向けにリーフレットを作っている。オランゴの生物、鳥たちや生態系を守ることの大切さを説いたものだ。地元の小学校で使われ始め、鳥たちの観察がカリキュラムに組み込まれるまでになったそうだ。

カオハガンに来たばかりのころは、子供たちは珍しい鳥を見かけると、パチンコを打ったり石を投げつけたりして追っかけるような有り様だったという。崎山さんがこれを厳しく注意し、学校での指導もおこなったところ、来島する鳥の種類や数が目に見えて増えてきたということだ。

 

この本の出版は1995年。現在はもちろん変わっているところもあるだろうが、「たくさんのふしぎ」を読んで知りたいと思っていたこと以上のことが書かれていてとても面白かった。私たちは、もしくはうちの息子は(野鳥を見に)いつかカオハガン島に行くことがあるだろうか?

カオハガンは2021年12月、令和3年台風第22号に襲われ大きな被害を受けている。日常生活はだいぶ取り戻せたようだが、観光業の復興に向けて活動の真っ最中のようだ。

大型台風による被害に対する支援のご報告《2022年6月10日現在》 | カオハガン島オフィシャルサイト