こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

木のぼり入門(第43号)

先日、子供のおもちゃを整理して(させて)いた時のこと。

要らなくなったおもちゃ、主にプラレールトミカをお譲りしようと声をかけてみた。

が!

どなたからもほしいという声が上がらなかった。今や小さい子もYouTubeを見たり、ネットゲームで遊んでいたりするというのだ。話を聞くと、プラレールトミカで遊ぶ子は少なくなっているらしい。いつの時代もプラレールトミカは不動の人気を誇ると思い込んでいたので、これは盲点だった。小さい子にだって遊びのトレンドというのがきちんとあるのだ。

こんなんじゃ体力とか視力とか心配よね!!

同級生のお母さんが言うのに思わず同意してしまった。現に今いる県は子供の肥満傾向が高い方で、中でもうちの自治体は全国トップクラスになってしまっている。まあプラレールトミカだってインドアの遊びだけど、ゲームやYouTubeに比べたら多少は体が動くよね?

いつの時代も……と言ったが、プラレールトミカがない時代だってあった。既製品のおもちゃがない時代は、大人に作ってもらったり、自分で作ったりするしかなかったはずだ。

おもちゃがなくたってシンプルに外で遊ぶというのが、いちばんの遊びだっただろう。

木のぼりもその一つだ。

私の子供時代、プラレールトミカはすでにあって、公園や学校にも遊具が整備されていた。それでも木のぼりする子供たちを見かけたものだ。ジャングルジムの天辺さえ上れなかった私は、木のぼりなんてしようとも思わなかったけれど。

『木のぼり入門』は1988年発行。こういう本が出るというのは、当時も木のぼりが当たり前の遊びじゃなくなってきていた、ということかもしれない。

 

冒頭「木にのぼろう」ということで、木のぼりのお誘いから始まる。

 ながい時間をかけて大きく育った木は、たくさんの小さないのちをはぐくんでくれる、たいせつなゆりかごです。

 きみたちも大きな木にのぼって、ふしぎな世界をたんけんしてみませんか。

 太い枝にこしかけて、足をばたばたさせていると、風がからだをつつんでくれます。

 木のぼりは、よく注意すれば、そんなにあぶないあそびではありません。

 ぜひ楽しい木のぼりにちょうせんしてみましょう。

次は「はじめての木のぼり」ということで、木の選び方。おすすめは「エノキの木のように、太い枝が横に広がった木」だ。

続いて4ページにわたって登り方のレクチャー。シンプルなイラストと説明で描かれている。大事なのは、

どんなときでも自分の手と足でからだをささえるのをわすれないこと。

 木の上でうごくときは、4本の手足のうち、いつも1本ずつうごかす。ほかの3本はしっかりからだをささえておこう。

この「三点支持(三点確保)」は、山登りでもよく言われることだ。

三点支持の基本 - ヤマレコ

のぼるとあぶない木を見分ける」のも重要だ。キノコが生えていたり、キツツキや虫による穴があったり。柿の木など枯れてなくても折れやすい木もある。

低い木に上手に登れるようになったら「高い木にのぼる」にチャレンジ。

 高い木の枝にこしかけて遠くをながめると、ふだんは見ることのできないけしきがひろがっています。

 枝のあいだをふきすぎていく風もさわやかで、なんだか自分がトリになったような気持ちになります。

木の上の生きものたち」を観察するのも、木のぼりの楽しみの一つだ。虫瘤(『虫こぶはひみつのかくれが? (たくさんのふしぎ傑作集)(第86号) 』)や、たくさんの虫たちの繭やら蛹やら卵嚢やら。高い木に登れば、木の実目当てにやってくる鳥たちを、近くで観察することもできる。

たった1本の木にも、ここをすみかとするたくさんの生きものたちが息づいているのです。

 

はじめてのフィールドワーク 〈3〉 日本の鳥類編』には、まさに野鳥関係で“登る”話が出ていた。黒田聖子さんによる「青い鳥ブッポウソウを追いかけて―ゲゲゲ...謎の生態に迫る」に続く、コラム「研究をつうじて身につけたこと」に書かれている。黒田さんは大学3年の時、日本野鳥の会岡山県支部主催の巣箱清掃に参加する。巣箱があるのはなんと電柱の上。電柱に登って作業するのだ。本来は枝打ちのために使われる「木登り器」で登っていく。他県でははしごなどを使うことが多いが、岡山県支部では木登り器を長く愛用してきた。コンパクトに持ち運びでき、登った時に安定して作業しやすい、電柱の太さによってフレキシブルに対応できる、というメリットから使われてきたようだ。

 私が電柱登りから学んだことは、とりあえず自分でやってみること。怖いと思っても、うまくできなくても、何とかなるとという心意気でチャレンジする。単に木登り器を使って電柱に登ることは、すぐに慣れる。私が苦労したことは。巣箱を取りつけることで、巣箱を支えながら針金で上手に固定することが最初は中々できなかった。次に、木登り器が使えないステップ付きの電柱での作業も大変で、安全ベルトに体をあずけて、両手を離して作業できるようになるまで時間がかかった。今では、どの作業もスムーズにできるようになった。それは、岡山県支部の方々が見守ってくれて、電柱の上にいる私にいろいろとアドバイスをくれたおかげである。(『はじめてのフィールドワーク 〈3〉 日本の鳥類編』420ページより)

株式会社エミリンク 小原院長の”いま一番気になる人・仕事”スペシャル対談 2017.01.26 黒田聖子×小原忠士

野生動物の研究でフィールドワークを行うなかには、野鳥以外にも木のぼりが欠かせない分野があることだろう。

 

木登り器を使う野鳥の会に対し、その道のプロが使うのはやはり手作りの道具。

「木のぼり入門」の28〜31ページには、「木のぼりの名人」として、岐阜県関ヶ原林業を営む山本總助さん*1が紹介されている。山本さんが木のぼりに使うのは七つ道具。それぞれ工夫を凝らした手作りのものだ。本には、山本さんの登り方二つ、足なわのぼりぶりなわのぼりが図解で紹介されている。

山本さんが仕事で木のぼりをするようになったのは、なんと小学校3年のとき。雪で曲がってしまった若い木を起こす手伝いをしていたのだ。しなりやすい若い木を作業するには、体重の軽い子供の方が向いている。今ではちょっと考えられないことだ。

木とジョイントの専門家・阿部藏之 » 木の大学講座 講義記録-2. 第四期1989年|枝打ち卓越技能者・木登り世界チャンピオン山本總助の森林育成・管理手法|多能工先達が構築した「良質材を造る枝打ち技術」現場で使える育林テクノロジーの普及指導は、日本林業に多大な貢献を果たし、森林系専門職として嘱望されていた碩学の人でした。

 

木の上に小屋をつくる」ほど、楽しいことがあるだろうか?『できたぜ! かくれ家(第196号)』だってめちゃくちゃ楽しそうだった。

 友だちをあつめて木の上に「小屋がけ」をするのは楽しいものです。ただし、じゅんびはしっかりとおこない、かならずおとなのひとにもてつだってもらいましょう。

 小屋がけをすることは、木を注意深くかんさつすることにもなります。小さな幹のわれめの中にも、本当にたくさんの生きものたちがすんでいます。

木のぼりにせよ、小屋がけにせよ、今ではどこででもできるものではない。その辺の公園の木に登ったりすれば、周囲の大人から注意を受けることだろう。公園自体、木のぼりどころか、野球もサッカーも禁止、大声も禁止で禁止尽くしのうえ、遊具すら減っているのだ。木のぼりも小屋がけも泥んこ遊びも、プレーパークのような管理された遊び場でする他はない。

……と思ったらこの『木のぼり入門』で協力しているのが、羽根木プレーパーク。プレーパーク自体新しいものだと思い込んでいたので、1979年に開園していたというのは驚きだった。しかし、プレーパークはどこにでもあるものではなく、気軽に利用できる子供たちは限られている。

全国の冒険遊び場をご紹介します | 日本冒険遊び場づくり協会 - 遊び あふれる まちへ!

を見ればわかるとおり、利用者が多く見込まれる都市部に作られる傾向にあるからだ。地域によっては力を入れて整備しているところもあるが、地方に行くほどやはり少なくなっている。『森はみんなの保育園(第320号)』でも書いたが、こうした遊びも「都市部に住む子供たちに限られる贅沢な遊び」になってしまったのかもしれない。

うちの自治体も自然だけは豊富にあるが、自然のなかで遊ぶ機会は意外と少ないものだ。木はいっぱいあるけれど、登っていい木がどれだかわからないし、よその田んぼに勝手に入って生きものを捕まえるのもNGだ。自然のなかで遊ぶというのはそれなりの知識と技術と場所、そして子供に付き合える「大人」が必要になってくる。

木登りにチャレンジ! | 体験・遊びナビゲーター

 

『木のぼり入門』は、木のぼりする子が減ってしまった今こそ必要とも言えるが、実践の機会が限られてしまう以上、読んで楽しむだけに終わってしまうのは残念なことだ。

たくさんのふしぎ」も初期は『カメラをつくる(第22号)』『きみの楽器はどんな音 (たくさんのふしぎ傑作集)(第54号) 』など、本格的な手作り工作をすすめる作品があったが、今ではめっきり見なくなってしまった。「たくさんのふしぎ」が目指すところは変わらないけれど、子供向けである以上、その時々の子供たちのトレンドに合わせて本づくりをするのは必定なのかもしれない。

*1:職人が語る「木の技」』という本には、木から真っ逆さまに下りてくる写真と「日本一の枝打ち名人」という山本さんの話が載っている。職人が語る「木の技」 - 安藤邦廣 - Google ブックス