こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

地下につくられた町・カッパドキア(第64号)

たくさんのふしぎ」を読んでて思うのは、子供がたくさん出てくるなあということ。

とくに初期は、架空にせよリアルにせよ、子供たちが登場することが多い。子供向けの本だから当たり前と思うだろうが、意味もなく子供を出しているわけではない。

 

カッパドキアの紹介となると、まずは自然や遺跡ということになる。もちろん『ギョレメ村でじゅうたんを織る (たくさんのふしぎ傑作集) (第102号)』のような異色の絵本もあるが、普通いちばんに来るのは奇岩をはじめとする自然や、岩窟教会・地下都市のような遺跡群だ。

奇岩はともかく、遺跡の面白さというのはなかなか伝わるものではない。遺跡の面白さがわかるためには歴史を知る必要があるし、小学校中学年くらいでは歴史を知る子供たちは限られてしまう。ましてヒッタイトやら古代キリスト教やら、私も含め大人でも教養程度という人が多いのではないだろうか。

3ページには「トルコ共和国の位置」の地図と「この本にでてくるカッパドキア地方の地名」ということで概要図が載っている。カッパドキア以前に、トルコがどこにあるかという話から始めなければならない。つまりなじみのない外国の、なじみのない時代の遺跡のお話にならざるを得ないのだ。

ちなみに本誌が発行されたのは1990年。「トルコ共和国の位置」の地図には、今は無き国々の名前、すなわちソビエト連邦東ドイツチェコスロバキアユーゴスラビアが見られる。この号が出た頃は、ベルリンの壁崩壊ドイツ統一ソビエト連邦の崩壊とまさに激動の時代だった。この男はまだ、超大国時代の祖国の夢を見続けているのだろうか?

 

本号でも中心となって描かれるのは、もちろん遺跡。

まずはキリスト教の聖画が残る、三つの場所を案内している。

一つ目ギョレメの「くらやみの聖堂」。イスラムの影響による破壊が見られるものの、直射日光が入らないところだったため、色鮮やかに残っているという。

The Dark Church, Goreme Open Air Museum, Cappadocia - YouTube

二つ目ソアンルは「ヘビの聖堂」と、岩山を利用して作られた「クンベッリ教会」。岩山の崖には鳩の出入りのために穴が穿たれており、鳩小屋として利用されている。エジプトと同じく(『ナイル川とエジプト (たくさんのふしぎ傑作集)(第35号)』)糞を肥料として使うためだ。

三つ目はウフララのベリスィルマ渓谷。ベリスィルマ渓谷には200もの聖堂がつくられているという。「ヒヤシンス聖堂」と「匂う聖堂」が紹介されている。

私も各地で遺跡としての教会やお寺を見てきたが、もはや使われていないその場所は、物悲しい思いを感じさせる。現役だった往時はどんなにか美しかったのだろうと、想像をめぐらすほかはないからだ。

 

12ページからはいよいよ地下都市の紹介。トルコのネヴシェヒル県には地下都市が多く残されている。なかでもデリンクユは最大のものだ。

ここで登場するのがブルンカヤという8歳の少年。ブルンカヤのお父さんは、今は博物館になっているこの「地下都市」の館長さんなのだ。12〜13ページには一家の食事風景や、ブルンカヤ君が登校する風景などが写されている。

ここまではどちらかというと、地味な風景が続いてきた。教会の遺跡や聖画は確かに素晴らしいが、生き生きとした絵にはならない。人の姿が皆無なこともあり、とらえどころがないというか、なかなか引っかかってこないのだ。

それが子供と、家族の姿が現れることで、パッと明るくなり、画面が生き生きと色づいてくる。

次のページからはブルンカヤ君のお父さんの案内の下、地下都市を紹介する様子が描かれているが、人、とくに子供が入ることで遺跡をグッと身近に感じることができる。人物なしで地下都市の写真を入れていたら、ちょっと無味乾燥に感じられたことだろう。

なじみのない外国の、なじみのない遺跡がある場所でも、自分たちと同じような年の子が、同じように食事をとり学校に通い、生活している。それを見せるための「ブルンカヤ君」なのだ。

同じように食事をとり学校に通い、生活している。

それは「なじみのない過去の時代」でもいっしょだ。

地下都市には、水場や集会所、教会のようなインフラ施設のほか、葡萄酒の醸造所、家畜小屋などありとあらゆる「生活の場」の痕跡が残されている。もちろん学校も。

「ブルンカヤ君」をとおして、過去にここで生きていた子供たち、人びとの様子も思い描くことができるのだ。

Inside the Underground City once Housed 20,000 People: Derinkuyu - YouTube

今、地下都市に住む人たちはいない。しかし地下都市の空間を利用する人はいる。カイマックルでは、ジャガイモやタマネギなど保存するのに、地下の部屋が使われているという。地下は温度変化が少なく、ちょうどいい温度を保つことができる。おかげで10月に収穫したジャガイモは、翌年の8月まで保たせることができるという。

カッパドキアはただの「遺跡」なんかではなく、過去に生きた人びとの「生活の場」でもあり、いま現在生きている人びとの「生活の場」でもあるのだ。

合わせて読んだ『カッパドキア トルコ洞窟修道院と地下都市』には、こんなことが書かれている。

 この地で、人々の暮らしはつづいている。岩を掘って生活している人々は、案外、暑さ寒さがしのぎやすいのだという。かつての修道院も今は、鳩小屋に利用され、精霊の象徴である白い鳩が明り窓から青空に飛び立っていく。羽ばたきの音に、不毛の地、黙示録の世界といわれたカッパドキアに、過ぎていった時間と歴史の積み重なりを思った。(『カッパドキア トルコ洞窟修道院と地下都市』84ページより)

『ギョレメ村でじゅうたんを織る』でも、作者にこんなことを感じさせている。

 もうひとつ、わたしのお気に入りの場所は、奇岩群の中にあるひみつの洞穴です。ひとりになりたいとき、こっそりとこの洞穴に行きました。

 洞穴には、かつて人のくらしたあとがありました。岩をくりぬいて作ったたなや、いすや、炉は、大むかしのくらしを想像させます。壁のくずれた窓の外には、大むかしとかわらない奇岩の風景が広がっていて、この土地を通りすぎた長い長い時間について考えたりもしました。(『ギョレメ村でじゅうたんを織る』35ページより)

そして、本作『地下につくられた町・カッパドキア』は、こんな言葉で締められている。

 カッパドキアの大地は、今も形をかえている。

 風がふくたびに、雨がふるたびに、大地はたえず形をかえていく。

 しかし、時がすぎ、地下都市にすむ人たちはいなくなっても、きびしい自然のなかで、この大地とともにたくましく生活をする人たちがいる。

カッパドキアは、過去から未来へと流れる、長大な時間を感じられる場所でもあるのだ。

『地下につくられた町・カッパドキア』本文には、地下都市デリンクユの規模についてこうある。

 たくさんの部屋とそれをむすぶ地下道が、アリの巣のようにはりめぐらされている。

 デリンクユの地下都市は地下8かいまであり、地下55メートルのふかさ。地上から地下へとまっすぐたてにほってあるのが、通気孔。通気孔は52本もほられている。

地下8階とは!『ちか100かいだてのいえ』もびっくりの構造だ。

アリの巣のように……まさに地下都市の断面図はアリの巣と見紛うばかり。合わせて読んだ『地下世界をめぐる冒険——闇に隠された人類史』の第5章では、カッパドキアの地下都市が取り上げられているが、なんとデリンクユの住民と同じような行動をするアリがいるという。

すなわち、デリンクユにはところどころ「石のとびら」があって、敵が侵入してきたときには、これで地下道を塞いで侵入を防いでいた。閉めるときは4人、開けるときには8人がかりの頑丈なものだ。

コスタリカのそのアリ、Stenamma_alasは、常にグンタイアリに脅かされているが、彼らが攻めてくるとすぐさま巣に退却し、最後に入ったアリが小石で入り口を塞ぐというのだ!その小石はあらかじめ巣の入り口に用意されているという。

The Paris Review - Underground Colonies - The Paris Review

 

この第5章は、ウィリアム・リトルという男の紹介から始まっている。自宅の地下を掘りに掘りまくった男だ。当初はロンドンにある自宅の下に、ワインセラーを造るつもりだったという。

 しかし、リトルはそこでやめなかった。作業のリズムやショベルを差し込む感触、粘土の匂いが気に入ったのかもしれない。あるいは、まったくちがう何かに取り憑かれたのか。とにかく、リトルは掘りつづけた。ずっと掘りつづけた。四十年ものあいだ。(『地下世界をめぐる冒険——闇に隠された人類史』138ページより)

2006年のある日、リトルの家の前で歩道が陥没した。そこで調査が入ることになったのだが……

気がつくと彼らは、地下の入り組んだ巨大なウサギ穴のような土臭いトンネルの中をさまよっていた。トンネルは何層にもなっていて、深さは九メートル、約一八メートルずつ放射状に広がっていた。低く狭いトンネルもあれば、大きなトンネルもあり、どれも積み重ねた家庭用品で支えられていた。当時の訪問者の一人はのちに、リトルは自宅の地下を「巨大な蟻の巣」にしたのだと語っている。(同139ページより)

家は居住不能と判断され、リトルは立ち退きを余儀なくされる。彼には市が所有する高層アパートの、最上階の部屋があてがわれた。穴掘りの衝動を阻止するためだ。彼の死後、部屋に入った市の職員が見たものは、部屋を仕切る壁という壁に開きまくった穴。すべての部屋がつながっていたという。

生前、彼はこんな名言(迷言)を残している。

「なんの目的にもかなわないものを創り出すのは、とても美しいことだ*1

(同140ページより)

と。

驚くべきことに、このような"The Mole Man(モグラ男)"は、リトルだけではないのだ。

本人にもはっきり説明できない理由で一種の忘我状態に陥り、人生を穴掘りに捧げる人たちが世界じゅうにいる。(同140ページより)

曰く「毎日夢の中で掘れと命じる声が聞こえた」だの、「運動のために掘っていた」だの、「近道を掘っただけ」だの、「掘ると気持ちがくつろぐんだ」だの、さまざまな“言い訳”で掘りまくっているのだ!

穴掘りに狂じる数々の姿を見て、作者のウィル・ハントはこんな境地にまで行き着く。

 次から次へと、“もぐら男”に出くわすうちに、私はまったく新しい心理学的症候群について想像しはじめた。DSM-5精神疾患の診断・統計マニュアル第5版)にあらたな項目を加えてはどうか。“掘る、トンネルを掘る、穴を掘る”を意味するラテン語の「perforo」から、「perforomaniaペルフォロマニア」(穴掘り狂)という言葉などどうだろう。いずれにせよ、“もぐら男”はもっと根源的な衝動の一例にすぎないのではないかと私は思った。(同141〜142ページより)

カッパドキアで地下都市をつくり上げた人たちは、“もぐら男”たちの祖先と言えるのではないか?

人間は決して穴を掘るのに適した動物ではない。穴を掘るには身体が大きすぎるし、狭く暗く酸素に乏しい地下は、暮らしやすい環境とは言えないからだ。しかし一方で「あらゆる生命領域、あらゆる生息環境の生物たちが穴掘り動物として力強く生きてきた」。その「王」ともいえるのがアリなのだ。

ウィル・ハントはカッパドキアで、長年の侵食で一部崩落しあらわになった、地下都市の断面を見てこんな思索をめぐらせている。

 ゆっくりと渓谷を下りながら、地下都市の断面は蟻の巣のそれに似ていると思わずにはいられなかった。

 この興味深い構造上の類似について考えながら歩いていると、雨が降ってきた。身をかがめて片側の土手を越え、地下都市の部屋の軒下にうずくまり、目の前の埃っぽい地面に雨粒が落ちるのを見つめていた。古代ギリシャの哲学者デモクリトスの“我々は最も重要なことにおいて動物の弟子である*2“という言葉を思い出した。人間と蟻の類似はなんらかの教えの結果であり、種と種の間でそれが拡散されたのだろうか。アリゾナ州の先住民ホピ族に語り継がれている古い神話がある。はるかな昔、地上で途方もない大火災が起こり絶滅しかけた人類が、ぎりぎりのところで蟻に救われた話だ。火が迫ったとき蟻がやってきて、自分たちの巣へ人間を導き、火が鎮まるまで地中のトンネルにかくまってくれた。地上に戻り生活をたてなおしたあとも、人間はずっと蟻への恩を忘れなかった——(同155ページより)

いやはや。カッパドキアは過去から未来へと流れる長大な時間だけではなく、今もなお存在し続ける“もぐら男”たちや、彼らの先生であるアリたちにも思いを致す場所でもあるわけだ。

https://bigthink.com/strange-maps/derinkuyu-underground-city/

考えてみれば私たちも、世界最大級の地下鉄網を有しているではないか。東京をはじめ、各地の大都市には決まって地下街がつくられている。今でも、地下が生活の一部となっているのは間違いのないところなのだ。地下しかスペースがないから、仕方なく・・・・掘っているだけだと思い込んでいたが、ひょっとしたら“もぐら男”たちの……?

*1:"There is great beauty in inventing things that serve no purpose."

*2:“We are pupils of the animals in the most important things: the spider in spinning and mending, the swallow in building, and the songsters, swan and nightingale, in singing, by way of imitation.”