その昔、このおもちゃを買ってやったことがある。
運河の仕組みで遊べるおもちゃだ。しかしまあ、子供も運河とはなにかわからん年だし、近くに現物があって見せられるわけでもない。単なる水遊びならプールの方が断然楽しい。風呂場でちょっと遊んだきりお蔵入りとなってしまった。
このおもちゃを作ったのはスウェーデンの会社。
「イェータ運河」の長さは約390 km。途中多くの湖や川を通り、西岸のイェーテボリからバルト海に面したセーデルシェーピングまでを結んでいる。「イェータ運河を行く」旅路はスウェーデン観光の目玉でもあり、“ブルーリボン”と呼ばれ愛されている。
正確にいうと狭義の「イェータ運河」はブルーリボンの一部にしかすぎない。イェーテボリからイェータ川を通り ヴェーネン湖までをつなぐ運河は、トロルヘッタン運河と呼ばれ、イェータ運河とは別物であるとされている。イェータ運河そのものは、ヴェーネン湖の東岸から途中ヴィーケン湖、ヴェッテン湖、ブーレン湖、ロクセン湖を結び、メムの水門まで至る運河群を指す。
本号はそのイェータ運河の旅路をたっぷり紹介した絵本だ。
旅するのはヨハンセン一家。父は郵便局づとめ、母は教師、子は9才のエーリックと5才のビルギッタ、4人家族という設定だ。
旅の始まりはストックホルム。自家用ヨットを繰り、イェーテボリまで行く予定だ。私たちも彼らとともにゆったり楽しめばいい。柔らかな色彩、優しいタッチのイラストが素晴らしい。一緒に旅している気分になれる。6〜7ページの全体図を見ながら、今どこにいるかな?と確かめるのも楽しい。10〜11ページ、見開きいっぱいを横3面に分割して見せる構成は、風景の奥行きを存分に感じることができる。
運河の旅はゆっくりだ。
まずメムの水門で閘門を通るのに10分以上かかる。閘門を出てからも、運河の制限速度は時速5ノット(約9キロ)ほど。自然、のんびりした旅路にならざるを得ない。
中でも最大のアトラクションはベアリーの閘門。
https://visitlinkoping.se/en/explore/berg-locks-gota-canal
最初の閘門は、ロクセン湖から8つ続いており、18.8メートルものぼることになる。閘門一つ通過するのに10〜15分。おまけに下りの船優先、多くの船がいるときは貨物船と客船が優先というルールがあるのだ。待ち時間のあいだに食事や観光とか、航空機のトランジットのようだ。ヨハンセン一家は、8つの閘門を通過するのに1時間半もかかっている。
バラエティに富んだ橋の数々も見どころの一つ。
ムーターラにある旋回橋、ヌシホルムの一葉跳開橋、トロルヘッタン付近の二葉跳開橋など。
Norsholms sluss, Motala – Kulturbilder
面白いのはトェーレブーダにある小さなフェリー(Färjan Lina)。ロープ式で可動し、ほんの30秒ほどで向こう岸に渡してくれる。運河が閉鎖される冬季には橋が渡されるそうだ。
果たしてこの運河はなんのために作られたのか?
その昔スウェーデンは、デンマーク王国の勢力下に置かれていたことがある。1523年、若き騎士グスタフ・ヴァーサのもと独立を果たしてからも、南部はデンマーク領のままだった。
戴冠したスウェーデン国王グスタフ1世(グスタフ・ヴァーサ)を悩ませたのが、この南部デンマーク領。領地に接するオアスン海峡はバルト海の玄関口なのだ。おまけにデンマークは通過する外国船に高い通行税をかけていた。
生産力の乏しい国土をかかえるスウェーデンは貿易が命。そのスウェーデンの首都ストックホルムにとって、オアスン海峡は欠かせない交易路なのだ。
さかんに外国と貿易をしたいとねがうスウェーデンの人々にとって、この高い税金はなやみのたねだった。外国の船は通行税が高いのでバルト海に入りたがらず、ストックホルムでは物資が不足することもあった。
なんとかして、この海峡を通らずに船の行き来ができないだろうか。グスタフ・ヴァーサ王はいろいろ考えた。方法はひとつだけ。スウェーデンの国を横切る運河をつくること。北海に面した港イェーテボリとストックホルムをむすぶ運河をつくるのだ。
豊富にある河川や湖を利用するとしても、掘削が必要な運河は100km以上。硬い岩盤に阻まれ撤退を余儀なくされる箇所もあった。海岸部と内陸部の標高差をどう克服するかという課題もある。6〜7ページの全体図を見ると、海岸部からヴィーケン湖の最高地点まで優に90メートルはのぼる計算になるのだ。
イタリアで成功した“閘門式運河”のシステムが伝わると、まず計画されたのがイェーテボリ〜ヴェーネン湖のルート。イェーテ川にある2つの滝と9ヶ所の急流が難所になる。この9ヶ所の急流を克服するために作られたのが「トロルヘッタン運河」なのだ。16世紀末には着手されていた工事は1800年に一応の完成を見る。100年単位の大事業だ。
ヴェーネン湖東岸〜バルト海までのいわゆる「イェータ運河」の建設が始まったのは1810年。念願かなって完成したのは1832年のことだ。ちなみに当時建設の指揮をとっていたバルツァー・フォン・プラテンは、そのわずか3年前、完成を見ることなく亡くなっている。
だがしかし。
活用されたのはわずかな期間だけだった。
完成から25年後の1857年、「エーレスンド海峡通行税」は廃止される。そもそもの障害が無くなってしまったのだ。さらに20世紀は鉄道・自動車の時代、輸送の主役も取って代わられることになってしまった。
なんせ本号出版時1993年でさえ、ストックホルム〜イェーテボリは、鉄道なら4時間、車でも7時間でいくのだ。鉄道など今は3時間あまりに短縮されている。
一方で運河の道行は、現在ですらたっぷり6日はかかる。
スウェーデンの人たちは、そこを逆手にとって?お役御免にせず観光資源としての価値を見出したのだ。
本号を読むと、このおもちゃ↓がスウェーデンで生まれたわけがよくわかる。
現在のイェータ運河は、建設当時から大きく変わってはいないものの、今の事情に合わせた改修が行われている。手動操作の閘門を機械化したり、洪水対策のため閘門の位置を変更したり。交通渋滞のため、跳開橋を変更したところもあるようだ。松材で作られていた門扉も、一部を除き鉄製になっている。
https://www.jcca.or.jp/kaishi/246/246_toku5.pdf
船が階段を上る「イェータ運河」が地味でダイナミックなので見ていただきたい | TRIP'S(トリップス)