こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

思いこみマジック (たくさんのふしぎ傑作集)(第152号)

以前泊まった宿で、マジックショーを見たことがあった。

こじんまりした宿なので、意外性に驚いた覚えがある。マジシャンの本業は歯医者さん、宿のご主人のお知り合いということで、週末にパフォーマンスを披露しているらしい。手先の技術を生業としているだけあって、“素人”とは思えぬ鮮やかな手さばきだった。

私は観客として“素人”なので、いつもまんまと騙されてしまう。彼らの魔法に素直に驚くばかりだ。テレビでも、超絶神業!マジックバトルなど、どのマジシャンのどの技にもいちいち感心して感嘆の声を上げている。実に幸せな観客だと思う。

『思いこみマジック』は、そんなマジックの「魔法のもと」を解き明かす絵本だ。

最初に登場するのはお馴染みの「錯覚」。

一見こちらが大きく見えるけど、実はあっちの方が……とか、一見違う長さに見える二つのもの、だけど実は……とかいうものだ。

お話は「いじわるな魔術師」の「ダマシタイーノ・グラッチェ」が、「ワカル」「マジカ」「トント」の三きょうだいを騙すという設定で進んでいく。

そこへ突如現れるのが「しんせつな魔術師」である「カイセツシテ・メルシー」。メルシーはグラッチェの魔法をことごとく見破り、三きょうだいを手助けする。

うーん、マジックを見やぶるばかりか、そんな解説までつけてしまうとは、いやなやつだ

グラッチェの捨て台詞ももっともだが、メルシーはこうも言うのだ。

「マジックもおしばいといっしょ。みんなマジックにだまされたがっている、ということじゃないかな。マジックを見るお客さんは、『だまされないぞ』と思っているいっぽうで、『じょうずにだましてもらう楽しみ』を期待しているものなの」

そしてここからは一転、メルシーが人前でマジックを披露し、グラッチェが三きょうだいに解説をするという展開に入っていく。グラッチェはメルシーでもあり、メルシーはグラッチェでもある。二人は別々に見えて、表裏一体なのだ。この辺の攻守交代は見事だ。

惜しむらくは、紙面上のマジックには限界があること。マジックはテンポが命。動きのあるものを、イラストと説明だけで思い浮かべるのはなかなか大変だ。

ただ、この本のメインはマジックそのものではない。

最後は、ラジオドラマ『宇宙戦争』でパニックが起こった話を引き、思い込みというのはマジックの話だけではない、暮らしの中で、自分で見たわけではないのに本当だと思い込んでることもたくさんあるはずだということを説いている。この「パニック」も、都市伝説に過ぎなかったというところまで含めると、実に味わい深いものがある。

このメルシーの話を聞いて、「ワカル」と「マジカ」は、

何も本当だと思わないほうがいいのかなあ?

だったら、何も考えることができなくなってしまうわ。

と疑問を投げかけるが、それに対するメルシーの答えは……ぜひ本書に当たって読んでみてほしい。

イラストはタイガー立石。これ以上にふさわしい男がいるだろうか?

見どころの一つは、22〜23ページで紹介されたマジックの種明かしが、24〜25ページの枠外イラストにさりげなく散りばめられているところ。他のページも細部をよくよく見ると面白い。タイガー立石が手がけた「ふしぎ」はこれが最後となった。1997年11月号として出された後、翌年4月に亡くなられている。

地球ドラマチックでは、この「思いこみ」をもう少し突っ込んで解明している。

「脳が見せるマジックの秘密」 - 地球ドラマチック - NHK

最初に登場するのはやはりマジシャンたち。マジックは人間の脳のメカニズムを知る恰好の手段だという。

彼らが明かすマジックの秘訣とは、

  • 人の知覚の反応を活用してだましている
  • 脳の弱点を利用している
  • 誰もが持っている知覚の弱点を狙い撃ちする

まさに人の「思いこみ」を利用して成立していることがわかる。マジックの秘密は、マジシャンの手の中ではなく、見る人の脳の中にあるのだ。

では「誰もが持っている知覚の弱点」とは何か?

私たちは、ものを見ているようで見えてないということだ。

人はビデオカメラのように撮影したものすべてを認識できるわけではなく、認識できるのはごくごく狭い範囲だけだというのだ。確かに日常を過ごしている中でも、認識するものとしないものの差は大きい。いま、夫も子供も出かけているが、果たして彼らが何色のズボンを履いていたかわからない。朝、彼らを見ているにも関わらず。

人の目が、解像度を上げた状態で認識できる大きさときたら、腕を伸ばした時見える、手のひらの範囲くらいだという。

この辺りの話は、地球ドラマチックと同じものが、

Three Optical Illusions To Break Your Brain | Catalyst - YouTube

の動画に出ている。チャプターの、

0:31 Black and White

4:26 The Seamless Experience

がそれだ。

実はこの番組、リアタイで一度見ているのだが、紙コップの実験にまたもやひっかかってしまった。

しかし、知覚の弱点とはいうものの、人間にとっては必要な力だったともいえる。

人間の目は「普遍的な規則性」をもとに「世界の意味を読み取る」ように進化してきたからだ。その力がなければ、人は現実世界を生き抜くことができない。

規則性から外れたものを見たときに、脳は混乱を起こす。

どんな風に混乱するかわかる実験が、上記動画の

5:57 The Hollow Face

だ。

このHollow-Face illusionの実験、以前子供と参加したことがある。不思議な感覚が面白くて、何度も試して見てしまった。

子供科学教室「目の錯覚を利用した不思議な立体を作ろう」 | 2019年度 公開講座一覧 | 公開講座 | 広報・社会連携 | 大学案内 | 国立大学法人 東京農工大学

番組と同じものは、↓ ここから作れるので興味のある方はやってみてほしい。

https://www.thinkfun.com/wp-content/uploads/2014/10/Thinky-PinkMAM.pdf

 

錯覚だとわかってもそう見えてしまうように、私たちが五感で感じとるものはすべて現実ではないのだ。「過去の経験から得た規則性によって脳が生み出したイメージ」だという。

「私たちがすむ現実世界とは、脳が作り出したイリュージョン」だと聞くと、俄然足元がぐらついてくるような不安に襲われる。『思いこみマジック』のなかの、

何も本当だと思わないほうがいいのかなあ?

だったら、何も考えることができなくなってしまうわ。

というセリフが、真に迫ってくるのだ。

一方で、私たちの脳は素晴らしいはたらきで、現実世界に対処している。現実世界からインプットされる膨大なデータを、脳が適切に処理してくれているからこそ、生きていくことができるのだ。

だが、その能力にも限界がある。たとえばテニスの試合。ボールの速度があまりにも速いと、脳がついていけないことがある。それを補うため脳はショートカットするという。つまり次に起こり得ることを推測するのだ。ラケットで的確に打ち返せるのは、ボールの行方を予測しそれをもとに動いているからだ。私たちの経験はすべて、脳による予測を感覚的に追認したものだという。大概は現実と合致するからこそ問題なく過ごせているわけだ。マジックに騙されたり、錯覚を起こしたりするのは、予測と違う事態に対処できないという、知覚の限界によるものなのだ。

脳はどのような場合に予測の限界点に達するのか?

予測不能な状態になったとき脳はどんな反応を示すか?

そのことがわかるのが、特別な防音室で感覚を遮断する実験だ。

被験者である、番組のナビゲーターLily Sernaが、実験前からしきりに不安を訴えているのが印象的だった。15分もいれば幻覚が見えるようになり、身の危険すら感じるという触れ込みだからだ。

驚くべきことに、しばらくすると本当に彼女は幻覚を見始めた。脳が「勝手に現実を捏造」しているのだ。脳は起こりうることを一生懸命予測しようとするが、感覚が遮断されているため現実の情報が入ってこない。幻覚は、現実の解釈を間違えた脳が見せるイリュージョンなのだ。

「脳はものごとの意味を求めるあまり、普遍的な規則性や予測、先入観に大きく依存するように進化してきた」という。判断を下すのに近道したがる性質があるのだ。「認知バイアス」だ。マジシャンはその認知バイアスを上手に利用しているといえる。

 

Lily Sernaは番組の最後に、

魔法のようなマジックが成立するのは、知覚を司る脳のメカニズムに弱点があるからです。とはいえ、現実を作り出す知覚こそが、本物の魔法だといえるかもしれません。

と語っている。

その「現実を作り出す知覚こそが、本物の魔法」を実感できるのが、

【特集】「からだの錯覚」最前線!|NHK 東海のニュース

で紹介される錯覚だ。

「からだの感覚に頭の理解が追いつかない」「簡単に体がハックされちゃう」「自分の体から出られた」という言葉も飛び出している。XRAYHEADは体験してみたいような、怖いような……。素直に面白がれない、ちょっとした恐怖を感じるのは、自分で自分の感覚をコントロールできない、というところにあるのだと思う。

注文の多いからだの錯覚の研究室 – 小鷹研究室公式

小鷹研究室(からだの錯覚) - YouTube

 

自分の感覚を、からだを……一体いつから────コントロールできると錯覚していた?

体の「リアル」はそんなに確かなものではない。

それを教えてくれるのが『体はゆく』だ。

体は、私たちが思うよりずっと奔放です。「え、そんなことしちゃうの!?」と驚くことがいっぱい起こる。体は「リアルそのもの」と言えるほど、確固たるものではありません。体はたいてい、私たちが意識的に理解しているよりも、ずっと先に行っています。

 その「奔放さ」は、ときにあぶなっかしく見えることもあります。だって、リアルとバーチャルが区別できないということは、「だまされている」ということに他ならないのですから。頭では違うと分かっているのに、体はついついその気になってしまう。ある意味で、体はとても「ユルい」ものです。(『体はゆく』3〜4ページより)

これだけでは何を言ってるのかわからないだろう。

けん玉できた!VR」という製品がある。ヴァーチャルリアリティを使ってけん玉の技をトレーニングする、というものだ。実に、体験した96%もの人が、リアルでもできるようになったというのだ!しかもものの5分程度で、である。

現実世界は、地球ドラマチックでいう「過去の経験から得た規則性によって脳が生み出したイメージ」だとすれば、理解できる話でもある。ヴァーチャルだろうがリアルだろうが、脳にとって、インプットされる学習体験に違いはないからだ。

しかし意識としてはどうだろう。

意識としては「けん玉ができない」状態なのに、体が先にできるようになっている……。

これは驚くべきことだ。

考えてみれば「できなかったことができるようになる」というのは不思議なことだ。けん玉の例はヴァーチャルリアリティというテクノロジーの力を借りているが、テクノロジーなしでも「できなかったことができるようになる」という経験は、著者がいうように「本質的に魔法のような不思議さを秘めて」いる。

著者は言う。

 結論からいえば、私たちは、自分の体を完全にはコントロールできないからこそ、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、新しいことができるようになる、、、、、、、、、、、、、、のです。(同8ページより)

どういうことか。

体が完全に意識の支配下にあるとするならば、うまくやろうと思ってもできないことは、永遠にできない状態になってしまう。できないのは、意識の仕方が間違ってるということになるからだ。一方でやったことのないことは、そもそも意識ができない。

できるためには、これまでと違うやり方で体を動かす必要がある
→ そのためには意識が「正しいやり方」で体に命令を出さなければならない
→ でもやったことがないから意識は動きの「正しいイメージ」を持つことができない
→ 「正しいイメージ」がない以上、体は実行できない

こういう感じで詰んでしまう。

しかし現実には、成長の過程でさまざまなことが「できるようになって」いる。歩いたり、話したりとか、最初はできなかったはずだけど、いつの間にかできるようになっているのだ。意識を超えていける、体の「ユルさ」があるからこそ「できなかったことができるようになる」のだ。

体は、意識を超えて「ゆく」のです。つまり、ジレンマを超えられる。体は日々、意識にとっては未知なる領域に飛び出るジャンプをしています。(同10ページより)

意識が、体に先を越される……不思議な感覚だ。

それがわかるのが、エクソスケルトンという技術を使ったピアノテクニックの習得。

テクノロジーが人間の音楽表現を拡張する - YouTube

この研究をしている古屋晋一氏の、お子さんがエクソスケルトンを体験したとき、感想は一言「あ、こういうことか」だったという。手が勝手に動いてる!とかわ〜できたできた!みたいな感動や興奮ではなく、拍子抜けするような言葉。つまり意識せず体の方が先にできてしまったので、意識の方は後から追いついて、ただの確認になってしまったということなのだ。つまり、できた!という感動は、体と意識が同時にできていないと起こらないことなのかもしれない。

 

『思いこみマジック』で、メルシーはこう語る。

 ただ、自分が本当だと感じていることが、本当のことからずれていることもある、ということは知っておいたほうがいいわね。

『思いこみマジック』、地球ドラマチック、「からだの錯覚」そして『体はゆく』……どれも「自分の感覚を信用しすぎてはいけない」ということを教えてくれる。

それがわかっても、私たちは何度でもだまされるし、何度でも驚くことができる。マジックの種明かしを知ろうが、テクノロジーが発達しようが「意外性を驚く楽しみ」を求める心は変わらないからかもしれない。