こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

富岡製糸場 生糸がつくった近代の日本(第375号)

夏の旅行の一日は白川郷を訪れた。和田家住宅の中にはカイコの幼虫生体が展示され、「富岡製糸場からいただいた」と説明書きが付けられている。世界遺産つながりのやり取りかはわからないが、往時に養蚕をしていたことから、夏季限定で飼育をおこなっているようだ。

富岡製糸場 生糸がつくった近代の日本』によると、蚕を育てるには風通しの良い所が必要なのだという。合掌造り上層部の屋根裏は養蚕にはうってつけの場所なのだ。「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産、田島弥平旧宅も二階建ての構造、同じく上階で蚕を養育している。

夫は蛾が大嫌いで、幼虫を見れば顔をしかめ、成虫が飛べば大騒ぎする男だ。しかし、長年人間に飼いならされてきたカイコガは「幼虫はエサがなくなっても他の場所に行かず、成虫は羽があっても飛ぶことができません。人間が世話をしないと生きていけない生きものです。」という何ともか弱い生きもの。それでも、蛾は蛾じゃないかと怖気あがる始末だ。そんなこんなで、われわれ夫婦は、私が蛾を退治し、夫は私の嫌いなクモを追い出すという、うるわしい助け合いで成り立っている。 

富岡製糸場世界遺産に登録されたと聞いて、日本史上確かに重要なポイントだが、正直、世界遺産として価値があるものなのか?とか何だか地味だなーと思ったのは、私だけではないと思う。「京都・奈良」や「合掌造り」に比べると、パッと見、価値がわかりにくいものだ。もちろん世界遺産登録は、観光地としてのお墨付きではない。だからこそ登録は、価値の見直しや興味・関心を引く上で、意味のあったことだと思われる。

教科書に出てくる言葉としての「富岡製糸場」に、人の姿を思い浮かべることはできない。しかし、そこには人々の関わり、人生があったはずなのだ。本書では、教科書では想像することのない、血の通った歴史の流れを見ることができる。

日本では明治時代から、機械技術の発展も、鉄道交通の発達も、生糸を軸にしてすすんできました。

と書かれているが、まさに、近代の日本を作り上げた大きな流れの中心にあったことを実感できる。単なるワードのひとつとして、教科書的なことしか知らなかった「富岡製糸場」が、生き生きとした歴史のなかに立ちあがってくる。

 

役目を終えた後も、今でも、人々の関わりや人生を含んだ上で、これらの場所は存在する。富岡製糸場、そして白川郷も世界遺産に登録される以前から、保全や維持に尽力する人々に支えられて今日の姿があるのだ。

世界遺産=観光地ではないとはいえ、保全維持の資金をどう捻出するか?それには観光地化が手っ取り早いわけで、観光地化が進めば保全との両立が難しくなることもあり……と、猛暑にも関わらず、白川郷にあふれかえる観光客(われわれ家族含む)を見ながら、現在進行形で合掌造りに住み維持管理している住民の皆さんは、いったいどんな思いで暮らしているのだろうとちょっと複雑な気持ちになった。