こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

ヒキガエルとくらす クロちゃんとすごした18年(第451号)

今年度のラインナップをながめてた時、「ヒキガエルとくらす」が目に飛び込んできた。

アマガエルとくらす (たくさんのふしぎ傑作集)(第168号)』の山内さんだな、と思ったら案の定だ。アマガエル14年なら、ヒキガエルは18年!どんだけカエル好きなんだ。

『アマガエル』もそうだったが、スッと生活のなかにカエルが入りこんでくる。その自然さときたら、かえって不自然なほどだ。

考えてみたら不自然だとする方が自然なのだ。だって野生の生きものをつかまえて・・・・・、人間の暮らしのなかに置くんだから、自然なわけがない。それを自然と感じさせてしまうところが、この絵本と山内さんの魅力でもある。

ひとに飼われているクロちゃんは、飼育されるなかで“学習”し、自然界では見られない行動も見せる。

自然での観察では見られないものを見せる。

飼育中のコガネグモにお刺身をお裾分けした甲斐さん(『まちぼうけの生態学 アカオニグモと草むらの虫たち (たくさんのふしぎ傑作集)(第317号)』)とも通じるところがある。こんなことしてみたらどうだろう、という素朴な好奇心は実にチャーミングだ。

もちろん、クロちゃんが生まれもった警戒心を発揮する場面もある。

どちらのシーンも、山内さんの生活のすぐ隣にあるものだ。

洗濯物を干すとき、畑仕事をしているとき、縁側でひと休みしているとき……。

ヒキガエルとくらす」「クロちゃんとすごした」のタイトルどおり、クロちゃんは単なる観察の対象ではなく、家族の一員なのだ。お父さん(山内さんのご主人)からも大事にされている。散歩もすれば、立派な小屋だってある。犬もびっくりだ。てかパブロフもびっくりの条件反射だって見せてくれるんですよ。

 

山内さんのお人柄か、カエルのひとり語りで始まるからか、昔ばなしを聞いているような不思議な時間が流れている。一つ一つのエピソードは18年もの時間のなかで、ほんの一瞬を切り取ったものにしか過ぎない。それなのに、長い時間が流れた感じもするし、今もクロちゃんがいて山内さんと過ごしているような感覚もある。時計ではかるような時間軸というものは、この本では意味のないものかもしれない。

昔ばなしと同じで、結末もわかっている。

「今もクロちゃんがいて山内さんと過ごしているような感覚」のなかでは、結末まで辿り着きたくない、まだまだクロちゃんの話を聞いてたい、と思ってしまう。だから後半にくるにしたがってページを繰る手が遅くなってしまった。たった40ページなのに、読むのを中断して家事に取りかかってしまったくらいだ。

そのとき、の描写は昔ばなしと同じくあっさりしている。悲しみより何よりこれが自然なのだ、と決まった運命を受け入れるような気持ちにもなった。

もうこんな絵本が出ることがあるかなあ……。

山内さんは、

しかしそうした自然は急速にうしなわれ、わたしたちを包んでくれるはずのまわりのようすは、大きく変わってしまいました。

と書いているが、この絵本は、山内さんが過ごしてきた自然と時間があるからこそ、成り立っているものかもしれない。

 

『アマガエル』は片山さんだったが、『ヒキガエル』は沢野さん。どちらもこれしかないというベストなカップリングだ。いや、「これしかない」なんて強い言葉は似合わないな。読みながら自然とイラストが目に入ってくる。よくよく見ると、このシーンをこんな感じで表現してるんだという驚きもある。脱皮の様子とか面白い。38ページ、片隅に転がった「カエルの本」が、クロちゃんの不在とそれまでにかけた愛情を表しているようで、しみじみ心にきた。

 

「今月号の作者」紹介欄を見て、驚いたのは山内さんのお年。1925年生まれってマジですか!?先日亡くなられた女王より年上ではないですか!作品の前では、作者の年齢などどうでもいいのかもしれないが、よくぞ健在でいらしてこの絵本を出してくださった、と思わざるを得ない。