こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

食べる(第466号)

これほど「教科」のカテゴリーが意味をなさない絵本もない。

創刊号『いっぽんの鉛筆のむこうに (たくさんのふしぎ傑作集) 』を彷彿とさせるものだ。

でも、食べることって、よくよくみると本当はにぎやかなことなんだ。じゃあ、そもそも「食べる」ってどんなことだろう。いっしょに考えてみよう。

食べることが「にぎやか」とは?

ひとことで言えば、食べることを多角的・多面的にとらえて紹介した本、ということになるだろうか。この本は、食べることや食べものについて、ちょっと違った角度からの見方や、新しい視点を教えてくれる。

食べるというのは、子供たちにとっても、いちばん身近でいちばん想像しやすいものだ。なんせ食べない日なんてほとんどないのだから。

その「食べる」を、こんな見方もできるんだ、こんな風にも解釈できるんだ、と驚くような方向から見せてくれるのだ。想像すると宇宙までもが見えてくるような気がしてくる。食べることの「宇宙」を表現した本といえるかもしれない。

しかし実のところ、この号の魅力は違った角度からの見方でも、新しい視点とやらでもないのだ。

注目すべきなのは、表現の多彩さだ。

普段記事を書く際、本文から引用することが多いけれど、今回は極力引用を控えてみた。「食べる」をどんな表現をもって見せてくれているか、直接本号に当たって体感してほしいからだ。

「食べる」を、こんな切り口で、こんな言葉で表現することができるんだ!

言葉に敏感な子供なら、感動を覚えるに違いない。大人の私ですら新鮮な驚きをもって読んだからだ。

もう一つの表現のイラストの方も「にぎやか」そのもの。はっきりとした色合い、大ぶりに見えてその実繊細に描き込まれた絵は、生き生きとして今にも動き出しそうだ。食べるというのは、生きるというのは、生きているものを食べるということだ、と改めて思い起こさせてくれる。

 

しかし『いっぽんの鉛筆のむこうに』とは決定的に違う点がある。

それは名前がないということだ。

『いっぽんの鉛筆のむこうに』には、人の名前がたくさん出てくる。人の顔もたくさん出てくる。固有名詞のオンパレードだ。

たとえば鉛筆の材料の黒鉛。国はもちろんのこと、黒鉛を掘り出す作業をしている人の名前、その人の顔、そしてはたらいている姿。あまつさえ彼らの家族も紹介されているのだ。

一方『食べる』には、固有名詞はほとんど出てこない。

もちろん『いっぽんの鉛筆のむこうに』とは違った趣旨で作られているので、一概に比べるのは不適当だとは思う。

ただ『食べる』を読むには、ある程度の知識と経験に基づいた想像力がかなり必要とされるのではないかなと思ったのだ。取り上げているテーマは「食べる」ということで、子供にも思い浮かべやすい具体的なものだ。確かに具体ではあるけれど、抽象的に考える力も要するなと感じるところがあった。

『いっぽんの鉛筆のむこうに』だって、必ずしもわかりやすい本ではない。だが、家族とくに実際の子供たちを具体的に紹介することで、わからないなりにもグッと身近に感じることができる部分がある。

メディアやSNSの発達で、居ながらにして世界中の人たちの暮らしぶり、考えていることなどを瞬時に見られるようになってきている。なんでもわかるような錯覚に陥るが、あまりに多くの情報が溢れているので、逆に自分の見たいと思う狭い世界しか見えていない時もあるのだ。

子供たちが抽象的に考えられるようになるためには、多くの具体に触れることが必要だ。それは自分の見たい世界だけでは不十分なのだ。だからこそ「ふしぎ」が見せてくれる多くの具体は、子供たちを抽象へと導くための貴重な役割を担っていると言える。