こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

シュヴァル 夢の宮殿をたてた郵便配達夫 (たくさんのふしぎ傑作集) (第215号)

https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=4370子供に戦国時代ブームが来ていた頃、実物を真似して自分の考える布陣図を書き付けていたり、厚紙と棒で軍旗を作ったり、プラレールの橋脚を使って城郭っぽいものを建てたりと、戦国ごっこを繰り広げていたことがあった。

思い返せば自分も、理想の家を考えてはお絵描き帳に書き留めていたり、西洋史が好きだったので、西洋風の名前で家系図を作ってみたりと、実在を元に、空想の世界を思う存分楽しんでいた。

本書の主人公、フェルディナン・シュヴァルは、そんなある意味「子供らしい空想の世界」を大人の力で、現実の空間に再現してしまった男だ。子供心に通じる人物であるからして、息子は、この人面白いんだよーと熱心にページを繰っていた。

シュヴァルの空想のもとになったのは、当時流行の絵入り雑誌によくのっていた、植民地帰りの人たちの旅行記、とくにそれにそえらえていたさし絵でした。

『マガザン・ピトレスク』などの絵入り雑誌に刺激を受けたり、ときに配達で目にする絵はがきから空想のネタを得たことだろうと書かれている。

単に空想を表現するということなら、技術の巧拙はあろうが、子供だってその辺の大人だってできることだ。シュヴァルのすごいのは、それをきちんと完成させたというところにある。「理想宮」を建て始めて33年、76歳という年齢に達していたが、その間たった一人でこつこつと作り続け、無事、完成の時を迎えたのである。

シュヴァルは当初「理想宮」を自分と妻の墓にするつもりだったようで、なかに地下墓所を掘り、棺を設けていた。完成した2年後の1914年、妻のフィロメーヌ(再婚)に先立たれるが、埋葬しようとしたところ、教会と村当局の強固な反対にあい、中止せざるを得なくなる。常々理想宮のテイストが“異教的”ということから、快く思われていなかった村の神父に、宮殿での葬儀を拒否されたという理由もさることながら、いちばんは法律上のことであったようだ。というのは、建築当初は村はずれであったところ、妻の死の当時、もはや村のさなかになっていて、衛生上許されないとの村長の勧告により、諦めざるを得なかったらしい。

奇しくも先週、テレ東「美の巨人たち」で「シュヴァルの理想宮」を特集していたが、宮殿内にはたしかに妻と二人で眠るための墓所が作られていた。本書の作者である岡谷公二氏が書いた『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』によると、作者が訪れた当時、墓所への入口は封鎖されていて見ることはできなかったようだが、シュヴァルは7年という歳月を費やし、地下3メートルの闇の中で、おのれの棺を岩壁から刻み出す作業に従事していた。最終的にここで眠ることができなかったのは無念であったことだろう。

と、思いきや、この男のすごいのは、それから8年をかけ、村営墓地に一家のための墓廟を建設したことである。着工の年、彼は78歳。完成時は実に86歳にもなっていた。シュヴァルはこの廟について、次のように語っている。 

 読者諸兄よ、さらに申し上げたい、夢の宮殿を七十七歳(岡谷氏注:七十八歳の記憶違いと思われる)の時、三十三年にわたるたゆまぬ労働の結果完成したあとで、私はなお、教区の墓地に自分の墓を作りにゆくだけの気力を持ち合わせていたと。ここでも私は八年間、身を削って働いた。幸いなことに、私は、《終わりなき静寂と休息の墓》と呼ばれるこの墓を、八十六歳で完成するだけの健康に恵まれていた。

 この墓は、オートリーヴの村から一キロ足らずのところにある。その仕事の分野からして、それはきわめて独自のもの、世界でほとんど唯一のものとなっている。実際、その美のなすところのものは、その独自性なのだ。(『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』より)

廟の完成後も、さらに2年生きた。1924年春、時計の振り子を直そうとよじのぼった椅子から転げ落ち、一生ではじめて医者の診察を受けることになる。その年の夏、シュヴァルは88歳の生涯をとじた。遺骸は願い通り、みずから作った墓に葬られた。粘り強く夢を完遂したすごい爺さんである。

しかし、たゆまぬ努力や頑健な身体をもってしてもどうにもならないことがあった。家族の死である。最初の妻に死なれ、娘や、再婚の妻、息子にも先立たれ、晩年まわりにいたのは息子の妻や孫娘、甥であった。とくに最愛の娘、アリスを15歳で亡くしたことは痛恨の極みであったことだろう。

番組で見た墓廟は、まわりが静謐な(普通の)墓であるのと対照的に、異様な存在感を放っている。

村の人たちは、ふだんからつきあいのよくないシュヴァルに対し、悪口を言ったり、あざ笑ったりしました。

というのも無理はない。『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』によると、シュヴァルは、農地を持たないという一事だけで最初から異端者であり、その上孤独癖、厭人癖があって、周囲の生活に決してなじむことができなかったという。宮殿の建設が、軋轢をさらに拡大させたであろうことは想像に難くない。しかしながら、妻フィロメーヌの大いなる愛情のおかげで、彼は“道楽”に打ち込み続けることができた。彼女は、結婚に際し持参した広い地所が、拾い集めてくる石でいっぱいになっても、持参金が建設のために消えていっても、黙って見守っていたという。これを愛と言わずしてなんというべきか。ただ、シュヴァルが石を一杯に詰めて帰ってくるため、ポケットが片端から破れてしまうのは大いに不満だったようだ。

日本では、このエントリーでも触れた「パラレル・ヴィジョン」という展覧会に、理想宮のかなり大きなマケット(雛形)が展示されている。この展覧会こそ訪れていないが、学生時代に作品社版の単行本を読んだことがある。当時は、何かへんてこな建物を建てた変わったおじさん、としか思わなかったが、「たくさんのふしぎ」でふたたび出会い、彼の人生と偉業に思いを馳せることになろうとは。シュヴァルが理想宮の建設を開始したのは43歳。私はその年齢にも達していないのだ(割と近いけれど)。

郵便配達夫シュヴァルの理想宮 (河出文庫)

郵便配達夫シュヴァルの理想宮 (河出文庫)