こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

ぼくは少年鉄道員 (たくさんのふしぎ傑作集) (第242号)

この号は珍しく、雑誌と傑作集の表紙が異なっている(ほかには『みんなでつくる1本の辞書 』が異なっている)。雑誌の写真は、地味目の背景に正面からやってくる列車の色が映えて、かわいらしい感じが良く出ているが、傑作集の方は傑作集で、空の色と列車のカラーと地面の緑が調和してとても美しい。どちらも捨てがたい。

本の舞台となっているのは、ドイツはベルリン市郊外の、ヴュールハイデ公園の中にある「ベルリン公園鉄道(BPE)」。小さいけれど本物の蒸気機関車が走っている。しかし、ここで珍しいのはSLそのものではなく、子供たちが中心となって運営されている鉄道だということだ。

公園内の全長8kmという限られた空間の路線だが、駅は全部7カ所、5カ所の信号場や修理工場もあり、5両の蒸気機関車、9両のディーゼル機関車ほかたくさんの客車や貨車を有し、「大人」のそれと遜色ない鉄道だ。規模としては西武多摩川線と大して変わらないのではないかと思ってしまった。ちなみに、多摩川線が元々多摩川の砂利を運んでいた路線だったように、BPEも元々はシュプレー川の砂利を運ぶために作られたものらしい。

お客さんも「本物」なら、時刻表だって、ドイツ鉄道の時刻表にも掲載されている「本物」で、安全確認をしながら、その通りに運行する必要がある。当然、仕事内容も「大人」のそれと同等のもので、運転はもちろんのこと、車掌や駅員、通信や運行管理の仕事を行う信号場の仕事など、多岐にわたる本格的なものだ。子供がやることだとしても、もはや遊びではなく、真剣な「仕事」ということになる。子供たちもすぐに好きな仕事ができるわけではなく、年齢と経験によってできる仕事が決まっていて、それぞれ見習いを経て正式に一人前となっていくのだ。

キッザニアもびっくりの職業体験施設という感じだが、砂利運搬の目的の後、このような公園鉄道として使われるようになったのは1956年のこと。1956年のドイツといえば、東西ドイツに分かれていた頃で、こそまだ無いものの、ベルリンも東西に分かれていた。そしてこの公園は東ベルリンにあった。ということはドイツ民主共和国旧東ドイツ)の施設だったということだ。東ドイツはご存知のように社会主義体制の国の1つで、本書の記述によると、

勉強と働くこととをいっしょにやれば、よりよい結果が生まれると考えられていました。そのため、社会のさまざまな仕事を学べるように、本物と同じようにつくられた子ども向けの施設がいくつもありました。この鉄道も、かつてはそのような施設のひとつとして使われていたのです。

その後、1990年に東ドイツは消滅するわけだが、東ドイツの制度や施設が消えゆく中で、公園鉄道は続けて欲しいと願う子供たちが多く、西ドイツの子供たちからも働いてみたいという希望が数多くあったので、そのまま残ることになった、という歴史の上に現在も存続しているのだった。

「夜の8時ごろ、最終列車が車庫にもどってきました」という記述があるが、日本より緯度の高いベルリンは春夏、日没の時間が遅く、20時でも夕方のようにほの明るい。そこから駅や客車の掃除が始まるのだから、交代制とはいえなかなかのハードワークだ。20時過ぎなのに、夕暮れ時のような風景の中を走る最終列車の写真に、息子もすごくきれいだねと感嘆していた。

このエントリーでも、この本の主人公である鉄道員のクラウスに会いにいったという読者のお便りの話を書いたが、美しい公園の風景に、私もいつかBPEを訪れてみたいと思った。クラウスはとっくに「卒業」している年齢ではあるけれど。

ぼくは少年鉄道員 (たくさんのふしぎ傑作集)

ぼくは少年鉄道員 (たくさんのふしぎ傑作集)