この号は珍しく、雑誌と傑作集の表紙が異なっている。
雑誌は、地味目の背景に正面からやってくる列車の色が映えて、かわいらしい感じだ。傑作集は傑作集で、空の色と列車のカラーと地面の緑が調和してとても美しい。どちらも捨てがたい。
本の舞台は、ドイツはベルリン市郊外の、ヴュールハイデ公園の中にある「ベルリン公園鉄道(BPE)」。小さいけれど本物の蒸気機関車が走っている。しかし、ここで珍しいのはSLそのものではなく、子供たちが中心となって運営されている鉄道だということだ。
公園内全長8kmという限られた路線だが、駅は全部で7カ所、5カ所の信号場や修理工場まである。5両の蒸気機関車、9両のディーゼル機関車ほかたくさんの客車や貨車を有し、「大人」のそれと遜色ないものだ。規模としては西武多摩川線と変わらないかもしれない。ちなみに、多摩川線がもともと多摩川の砂利を運んでいたように、BPEもシュプレー川の砂利を運ぶために作られたものらしい。
お客さんも「本物」なら、時刻表だって「本物」だ。ドイツ鉄道の時刻表にもちゃんと掲載されている。安全確認を徹底しながら、定時運行する必要がある。仕事内容も「大人」のそれと同等のものだ。運転はもちろん、車掌や駅員、通信や運行管理を行う信号場の仕事など、多岐にわたっている。もはや遊びではなく、真剣な「仕事」なのだ。子供たちもすぐ好きな仕事ができるわけではない。年齢と経験によって仕事が決まっていて、見習いを経て一人前になっていくのだ。
キッザニアもびっくりの職業体験施設だが、このような公園鉄道として使われるようになったのは1956年のこと。1956年といえば、東西ドイツに分かれていた頃だ。壁こそまだ無いものの、ベルリンも東西に分かれていた。この公園は東ベルリンにあったので、ドイツ民主共和国(旧東ドイツ)の施設だった。東ドイツはご存知のように社会主義体制の国。本書の記述によると、
勉強と働くこととをいっしょにやれば、よりよい結果が生まれると考えられていました。そのため、社会のさまざまな仕事を学べるように、本物と同じようにつくられた子ども向けの施設がいくつもありました。この鉄道も、かつてはそのような施設のひとつとして使われていたのです。
そして1990年、東ドイツは消滅する。東ドイツの制度や施設が消えゆくなか、公園鉄道を続けてほしいと望む子供たちが多く、西ドイツの子供たちからも働いてみたいという声が数多く寄せられた。そういう歴史の上に存続している鉄道なのだ。
夜の8時ごろ、最終列車が車庫にもどってきました。
日本より緯度の高いベルリンは春夏、日没の時間が遅く、20時でも夕方のようにほの明るい。そこから駅や客車の掃除が始まるのだから、交代制とはいえなかなかのハードワークだ。20時過ぎなのに、夕暮れ時のような風景を走る最終列車に、息子もすごくきれいだねと感嘆していた。
このエントリーで、鉄道員のクラウスに会いにいったという読者のお便りの話を書いたが、美しい公園の風景に、私もいつかBPEを訪れてみたいと思った。クラウスはとっくに「卒業」しているだろうけれど……。
- 作者: 西森聡
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 2010/02/10
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