こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

夢ってなんだろう (たくさんのふしぎ傑作集) (第11号)

最後のページには「おかあさんへのお願い」と題し、次のような文章が載せられている。 

 子どもたちが見る夢を大切にしてください。たのしい夢にしても、こわい夢にしても、その中で子どもたちはいっしょうけんめいに生きたのですから。

 それから、朝起こすときも上手に起こしてください。パッとやってきて、いきなり大声をあげたりするのは、へたな起こしかたです。

 ねむりは、深く、浅く、また深く、というように波をうっているのですから、どういう波の時に起こされたかで、めざめかたも違ってきます。目はあけられてもからだはぐったりしていることもあれば、からだは動かせてもまだ夢を見ているような感じでパッチリ目があかないこともあります。だから、むりにいっぺんで起こそうとせず、少し早めの時刻から、何回かに分けて声をかけるようにしてください。気持ちよく目がさませたら、その1日はその子にとって、とてもいい1日になるはずです。

とはいえ、なかなか起きてこない子を見れば、そんな悠長なことしてられっか!って思いにもなるだろう。ちょうど今朝の朝日新聞生活面の読者投稿に、母親と中1息子との起床バトルの話があったが、放っときゃいいじゃんって思えるのは他人事だからだ。

寝起きが良くない母親とは対照的に息子はすこぶる寝覚がいい。生まれてこの方、起こされることはあっても起こしたことはない。しかしこれは今だけのこと、容赦のない眠気が襲ってくる思春期に入れば、うちでもバトルが起こるのかもしれない。今から考えてもしょうがないけど、更年期vs思春期のバトルはなかなかしんどそうだ。

ときどき子供から、見た夢の話を聞くことがある。幼い時は単純に楽しい夢(プラレールをたくさん買ってもらったとか)が多かったのに、今は私に怒られる夢とか見ているようだ。「その中でいっしょうけんめいに生きた」のだとしても、そんな夢は見てほしくないものである。じゃあ「昼間の世界」でも優しくしてやればいいじゃないかと思われるだろうが、本当にその通りで「お母さん笑って、お母さん大好き」とか言われると、私はどんな鬼のような顔してるんだろうと切なくなることがある。もちろん、どうしたって叱らなければならない場面はあるけど、基本子供は笑顔が見たいのだ。親に笑っててほしいのだ。笑ってとか大好きとか言い出すのは、怒りを和らげるための幼い戦略なのだとしても。鏡に映る顔の眉間に刻まれつつある皺を見ながら、どうせなら口元に笑い皺の方がいいなあとため息をつきたくなった。子供が思春期になれば、お母さん笑って、大好きなんて言葉はめったに聞けなくなるのだろうから。