こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

さかさまさかさ (たくさんのふしぎ傑作集) (第17号)

昔、高校の書道で篆刻をやったことがある。

篆書体という特殊な書体は単なる図形とも見えなくて、反対向きの文字を彫るのに不思議な感じを覚えたものだ。その学期の成績はまあまあ良かったので、不器用な私にしてはうまく仕上がったのだと思う。名字は画数が多かったこともあり名前だけの印にしたが、おかげで結婚後も銀行印として使っている(旧姓の印であっても基本的には使えるらしいが)

不器用さが顕著に出るのが読図の場面だ。地図を進行方向に向けないと、どちらへ曲がっていいかわからなくなってしまう。カーナビがないので、知らない場所を一人運転する時は、できるだけ単純なルートを選択し、行き先までの道順と地図をよくよく頭に入れてから出発することになる。

苦労するのが旅行中の道案内。右行ってほしいのに左と間違えたり、今どこにいるかわからなくなったり。もっとも本当に苦労しているのは、役に立たないナビを使わなければならない夫かもしれないが。

自転車で子供と出かける時は立場が逆転。右に行けいうのに左にハンドルをきるとか、右ってどっち!とか泣きそうになったりしてるのは日常茶飯事。箸を持つ方だよとかいうと余計混乱するらしく、ベルが付いている or 付いていない方という説明で乗り切ることになった。

ことほどさように、左右は混乱するものなのだ……と書いてみて、ふと「左右 混乱」で調べてみたら、左右盲というワードが出てきた。実は左右盲なのだろうか?普通、左右の混乱はそんなに起こらないものなのか?人がしてくれる道案内で、とっさに左右がわからなくなるということはないので、まあ不器用とか不得手の範疇に収まるものなのかもしれないが。

不思議と、上下について混乱が起こるという話は聞かない。

本書30ページには、

ぼくがさかさま?地球がさかさ!

という股のぞきをしている絵があるが、これを見て思い出したのが、イグノーベル賞を受賞した「股のぞき効果」の研究。

「天橋立股のぞき」で立命館大学東山篤規教授がイグ・ノーベル賞を受賞 - OpenMatome

尽きることのない探求心|Episodes|BeyondBorders

このページも確かに、上下ひっくり返して、つまり直立した姿勢での景色として見る方が大きく見える。よくよく記事を読むと、錯視が起きる原因は「前かがみの姿勢が深く関係している」ということなので、思い込みによる錯覚だろうか?