昔、高校の書道で篆刻をやったことがある。
篆書体という特殊な漢字を使っていてもなおそれが単なる図形とも見えなくて、反対向きの文字を彫ることになんだか不思議な感じを覚えたものだ。その学期の書道の成績は良かったので、器用さと無縁の私にしては、まあまあうまく仕上がったのだと思う。名字の漢字は画数が多かったこともあり、名前だけの印にしたが、そのおかげで結婚後も銀行印として使えている(旧姓の印であっても基本的には使えるらしいが)。
私の不器用さは、読図の場面にも顕著に表れている。地図を頻繁に回しながら進行方向に向けないと、どちらへ曲がっていいものやら判断がつきかねるという有様だ。そんななのに、家の車にはカーナビゲーション・システムを付けていないので、知らない場所を一人運転する時には、できるだけ単純なルートを選択し、行き先までの道順と地図をよくよく頭に入れてから出発することになる。
そんななのに、旅行中、助手席で道案内を任されることがあるが、左に行ってもらいたいところを右と言い違えたり、その反対があったりと、なかなか苦労している。もっとも本当に苦労しているのは、役に立たないナビを使わなければならない夫の方かもしれないが。
子供と自転車で出かける時は立場が逆転。右に行けと指示を出すのに左にハンドルをきるとか、右ってどっち!とか泣きそうになったり。箸を持つ方だよとか言うと余計混乱するらしく、自転車のベルが付いている or 付いていない方向という説明で何とか乗り切ることになった。
ことほどさように、左右については混乱するものなのだ……と書いてみて、ふと「左右 混乱」で調べてみたら、左右盲というワードが出てきた。とすると、これは左右盲というものなのだろうか?「普通の人」には、左右の混乱はそれほど起こらないものなのだろうか?一応、人がする道案内の左右について、とっさにわからなくなるということはそれほどないので、不器用とか不得手の範疇に収まるものなのかもしれないが。
上下についてはそれほどの混乱はないと思われるが、本書30ページには、
ぼくがさかさま?地球がさかさ!
という、股のぞきをしている絵があり、これを見て思い出したのが、昨年イグノーベル賞を受賞した「股のぞき効果」の研究だ。このページも確かに、上下ひっくり返して、つまり直立した姿勢での景色として見る方が大きく見える。と書いてみたが、よくよく記事を読むと、錯視が起きる原因は「前かがみの姿勢が深く関係している」ということなので、思い込みによる錯覚なのかもしれない。

- 作者: 野崎昭弘,タイガー立石
- 出版社/メーカー: 福音館書店
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