こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

音楽だいすき (たくさんのふしぎ傑作集) (第27号)

「作者のことば」は、題して“音楽をすきになった日”。

作者である翠川敬基氏は、こんなことを告白している。

 今のぼくの仕事は、音楽を演奏することです。もちろん音楽は大好きです。でもぼくが君たちの年齢のころは、あまり音楽が好きではありませんでした。

小学生の頃、チェロを習い始めたばかりの翠川氏は、単調な音階の練習に嫌気がさしすっかり音楽がいやになってしまったという。

私も小学生の頃ピアノを習っていたことがある。当時としては珍しくバイエル *1ではなくメトードローズを、ハノン *2ではなくピアノのテクニックを使う先生だった。にもかかわらずやはり指練習のための『ピアノのテクニック』はあまり好きになれなかった。その後思春期になってあがり性が悪化した私は、発表会で大失敗をした後なし崩し的にピアノを止めることになってしまった。ちなみに発表会で弾いた曲は『海の日記帳』の中の2曲。今でこそ素敵な曲だなあと思うが、子供のころは良さがまったくわからず練習でもつっかえてばかりいた。メロディの“波”に乗れず苦痛さえ感じていたのだ。考えてみれば泳げもしない、水が怖い私にとって「海」は遠いものであり、その風景など表現するどころの話ではなかった。音符の連なりをただ弾きうつしてみたところで「音楽」になるわけがないのだ。

 

翠川氏のこころを開かせたのは、ある日ラジオから流れてきたラヴェルの『ダフニスとクロエ』。その時覚えた感動を、こんなふうに表現している。

それはすばらしい曲でした。鳥やけものがまだ寝静まっているあけがた、東の空がホンノリと赤くそまります。日の出の時がきたのです。鳥たちは目覚め、太陽に向かってチッチッと鳴きます。やがて山の端から太陽が顔を出し、あたりいちめんが黄金色に輝き始めました。

『ダフニスとクロエ』を聴いて、ぼくはそんな情景が目にうかんできたのです。その時初めて、音楽ってすてきだなあっと思ったのです。 

ある日ある時、聞こうとも思わないで聞こえてきた曲に胸を打たれるというのは、本当に幸せなひと時だ。ただの音だったものが「音楽」に変わる一瞬は、いつ何どき訪れるわからない。

本書の狂言回しとも言える役柄には、“サティおじさん”という人物があてられている。主人公の“ようくん(翠川氏の子供の名前)”に、音楽の要素や楽器についていろいろお話をする設定だ。サティとはすなわちエリック・サティウィキペディアに「生涯サティへの敬意について公言し続けてきたラヴェル」という記述があるサティを語り手にすえることは「従来の西洋音楽の伝統を打ち壊し、新しい音楽を作り出した」と言われる彼の、面目躍如といったところではないだろうか。

変わり者と呼ばれた異端の作曲家、エリック・サティを知る | CINRA