夏の旅行の一部は、山登りをした。場所は白山。学生の頃以来なので、およそ20年ぶりとなる。後に我が子と一緒にふたたび山頂に立つことになろうとは、学生時代の自分が知ったらさぞや驚くだろうと思う。
この時期の白山は、お花(高山植物)がいっぱい。ということは人もいっぱいなわけで、平日にも関わらず多くの人がカメラを片手に歩き回っていた。学生当時も同じような時期に来ているが、その頃はまったくお花に興味がなく…というかインドア派であるはずの私がなぜに山サークルに入って登山などをすることになったのか、受験勉強からの開放感の故なのか、しかしそこで(おそらく)生涯の伴侶と、後に子供を得ることができたのだから、結果オーライということなのであろう。
どうせ子供は鳥を撮る(今のブームは野鳥観察)。それならば、今回はせっかくなので、私の方はお花をいっぱい撮ってみようと思い立ち、見つけた花々を取りあえず写真におさめてみたのだった。
高山にはチングルマの他にもきれいな花がたくさん咲いています。それを見て、人はまず名前を覚えようとします。名前を覚えることの意味—きれいな花を見たらその花の名前を知りたいと思うのは人情ですが、頂上に登ることだけが登山のすべてではないように、それよりももっと大切なことがある—そんなことを私に教えてくれたのがチングルマでした。
と書かれているが、自分が撮った花の名前すらわからない私は「もっと大切なことがある」以前の状態なのであった。鳥については子供が教えてくれるとしても、花の名前くらいは自分で調べるのが筋というものだろう。そんなことで、今回自分が撮った花の一つがチングルマであることを初めて知ったのだった。白山はお花で有名なので、室堂をはじめとして各ビジターセンターには、花の名前や現在咲いている場所などの解説が掲示してあるわけだが、似たような色かたちの花同士を区別するのはなかなか難しい。自分が撮ったチングルマ(左上写真)も、ハクサンイチゲかな?と迷うくらいの目では如何ともしがたい。
山へ行けば「星の先生」がいるように、植物も先生がいるもので、ルートで出会った年配のご夫婦は、お花の時期にちょこちょこ訪れてはのんびり観察をつづけているということで、珍しい白いイワギキョウ(左下写真)を見つけて教えてくださった。
イワカガミ(左)とチングルマ(右) |
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シロバナイワギキョウ |
子供が見つけたウソ |
知らないといえば、本書を読んで驚いたのは、チングルマが「草」ではなく「木」であるということだった。そして大きく誤解していたのが、高山植物はスプリング・エフェメラルのように、先を急ぐように一斉に咲いて、あっという間に姿を消すものだと思い込んでいたこと。ことチングルマに関していえば、短いどころの話ではなく、花を咲かせ終えた後も、めしべを延ばしてどんどん姿を変え、秋にはなんと紅葉もするのだった。本体が雪に埋もれる頃も、凍り付いたまま雪の上に顔を出しつづける花軸の様子は、スプリング・エフェメラルのような"はかなさ"とはほど遠く、むしろ厳しい自然の中で生きぬくしぶとささえ感じさせるほどだった。
高山植物というと、可憐なお花の時期に関心が向きがちだが、本書で見るチングルマの花はほんの序章にしか過ぎない。立山の偉大な自然を背景にして次々形や色を変え、それぞれの時期に違った美しさを見せるチングルマの姿に、白山で自分が見たチングルマも、そしてその他の高山植物たちも、きっと他の時期には違った美しさがあるのだろうなと、想像することができた。
しかしながら、長年山登りを…といっても細々と切れ切れに、そして(夫に付き合って)イヤイヤ続けてきたわけであるが、自然の風景をぼんやり眺めるだけで、実は何も見ていなかったことに今さらながら気づかされた。野山にはこんなにもたくさん鳥がいること、足下にはいろいろな虫が暮らしていること、そして咲く花のひとつひとつがこんなにも美しいことを教えてくれたのは、他ならぬ自分の子供であった。子供がいなければ、おそらく「たくさんのふしぎ」と出会うことはなかったし、「たくさんのふしぎ」を本当の意味で読むこともなかったかもしれない。今を全力で生きる子供は、いずれ、鳥の名前も虫の名前もすっかり忘れてしまうのかもしれないが、親の私は、息子の、そんな子供の頃の姿を一生忘れないだろうと思う。