こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

絵くんとことばくん (たくさんのふしぎ傑作集)(第181号)

ぼくはもう4年生なのにおこづかいが500円だ。

「これは少ない!」とぼくは思う。

で、お母さんに「1000円にして!」といいたいのだが、

口ではとてもかなかわないから、

ポスターをつくって、それをキッチンにはって、

それでお母さんにうったえようと思う。

さて、我が家の息子のお小遣いはというと……今のところ、ひと月に学年×100円で合意を得ている。現在は月に300円。4年生になれば月400円ということになる。

子供のお金の使い方をみると面白い。ちまちま貯めこんで、あれ買うんだーって言ってたかと思えば、“あれ”はあきらめて、目の前の欲しい物につぎ込んでみたり。秋頃、近所に果物の露店が出れば、高級果物を買うのに、足りない分を出してくれと交渉してきたり。ここふた月ほどは、ファミリーマートのフラッペにハマり、小遣いを渡されるや否や、すぐさま買いに走ってほとんど使い果たすという豪快な使い方をしている(だって数量限定なんだよー今買わないと、らしい)。

一応小遣い帳を付けさせている……といっても、書いているのはもらった日付と金額だけ。あげたあげてないで揉めないためである。きっちりさせた方がいいのだろうなーと思いつつ、私自身家計簿など付けてないんだから、子供に言えるはずもない。使い方も、極力口を出さないようにしている。私だってこれまで無駄遣いしてきたし、小さな失敗も数多くしている。買いに走りたいくらい欲しい物があるって健康的ではないか。健全な物欲は生きる上の原動力でもある。

 

冒頭で引用したように、本書の主人公、優太は小遣いアップのためのポスター作りを始める。彼の頭の中では〈ことば〉と〈絵〉が掛け合いをし、いろいろな案を考え出していく。考え過ぎて方向性を見失っているかに見える様子は、CMや広告作りの現場を見るようで面白い。しかし、どれもいまいちリアルさに欠ける、何となく説得力がないように感じられるのは、抽象的すぎるからかもしれない。

いきなり「小遣いを1000円に上げてくれ」と倍増要求をされたら、親としては理由を聞くはずだ。友だちとの付き合いがどーのとか、直球でこれが欲しいとか言われれば、倍増は難しくとも、いくらかアップして様子を見るとか、足りない分は家の手伝いをして稼いでもらうとか、話し合いして妥協点を見つけていくことはできると思うからだ。

優太が作るポスター案の数々には、リアルなことは何も描かれていない。底辺に流れるのは「自分に投資をしてくれ」ということだけだ。投資というからには回収できるんだろうなあ?と思ってしまうのは人情だ。本書でも、

「だってさ、おこづかいが二倍にふえれば、

 そのぶん、やれることがふえるじゃないか。

 いまより、もっとひろい世界を見ることができるかもしれない。

 それだけ、ぼくが大きくなってかえってくることになるんじゃないかなあ」

 

「なるほど、銀行でお金なんかふやすより、こっちのほうが

 ずっとトクだよって、お母さんにわからせればいいんだ」

という掛け合いが出てくるが、んじゃその「やれること」「ひろい世界」を具体的に説明せよ、という話になるのは火を見るよりも明らかだ。

しかし、小遣いを上げてほしいというだけのために、子供が一生懸命ポスターを作ったのだとしたら、親としてはそれだけで、少しはアップしてみようと思うかもしれない。説得力や出来不出来はともかく、ポスターを作るというその発想に投資してみようと考えるかもしれない。ポスターというのはあくまで話し合いのきっかけであり、優太もその後、ポスターを元に、自分の口から出る〈ことば〉を使って、お母さんを説得にかかるのだろうから。

『絵くんとことばくん』、果たしてどういう英題になっているのかな?と、奥付を見てみたら、"WORDY and IMAGER"となっていた。面白い表現だ。

絵くんとことばくん (たくさんのふしぎ傑作集)

絵くんとことばくん (たくさんのふしぎ傑作集)