こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

トルコのゼーラおばあさん、メッカへ行く(第271号)

トルコに旅行したのは、かれこれ20年前。初めて訪れるムスリムの国だった。

正教徒の国(ギリシャ)からムスリムの国(トルコ)へ。バスで国境を越えるという経験も初めて。当時のパスポートを見ると、アテネを出発した後ギリシャ側のKipiを出国し、トルコ側のİpsalaから入国してイスタンブルまで向かったようだ。移動中の車窓からは、朝日を浴びた大地に羊の群れがぱあっと散らばっているのが見えた。休憩所でとった朝ごはんは羊とトマトの煮込み。脂が、ほどよく空いたお腹にしみわたりとても美味しかった。

イスタンブルの目覚めは、朗々と響き渡るアザーンイスラム教について「世界史」の知識しか持たなかった私は、これからはこれが目覚まし時計か!と、ムスリムの生活がどういうものか身体で実感したのだった。

日本人女性である私は、こうしてふつうに海外旅行にいくことができる。しかし、ムスリムの女性のなかには、慣習で自由に出歩くことすらままならない人たちもいる。十数年前に訪れたパキスタンペシャーワルでは、外で見かけるほとんどがサルワール・カミーズを身につけた男性たち。女性たちはほとんど見ないか、いたとしても全身すっぽりブルカで覆い隠していた。当時のガイドさんによると、日用品の買い物すら男性に任せなければならないという。下着や生理用品なども旦那さんが買ってくるのだと言っていた。そんなムスリム女性たちは、旅行ましてや海外旅行なんて考えもしないことだろう。

『トルコのゼーラおばあさん、メッカへ行く』 のゼーラさんには、もちろん外出の自由がある。ケマル・アタテュルクから引き続き世俗主義政策を取るトルコは、ムスリムであってもスカーフを着けなかったり、飲酒を厭わなかったりする人たちもいるのだ。それでもゼーラさんは、ムスリムとしての生活習慣、豚肉を食べない、スカーフを着け髪の毛を隠す、肌を見せる服装をしないなど、当たり前のように守っている。

そんなゼーラさんの、旅行、もとい巡礼の行き先が「メッカ」というのは当然の話。齢60越えて初めての海外旅行だ。

「若いときは、メッカに行きたくたって、そんなゆとりはなかったよ。結婚して、子どもがつぎつぎと生まれて、夫が亡くなって、子どもを育てるのにせいいっぱいだった。息子たちがみんな結婚したから、やっと行けるようになったんだ」

メッカ行きは「リタイア後の人生のご褒美」。私がするような気楽な旅行と異なり、ゼーラさんの「巡礼」はもっとずっと思いのこもったものだ。まず国主催の巡礼ツアーに抽選で当たる必要があり、当たったとしても費用の問題が立ちはだかるからだ。ゼーラさんはこのツアーのため、日本円にして総額40万円ものお金を工面している。パン1本約30円という生活ではかなりの大金だ。

ゼーラさんのメッカ行きに懸ける思いは「巡礼」という尊い言葉でしか表せない。大切に育ててきた牛まで売って費用を捻出した上、滞在中1ヵ月ものあいだ毎日無我夢中で礼拝の日々を送っていたのだ。ある意味、羨ましさすら感じるほどだ。自分は確かにゼーラさんより旅をしているが、これほどまでに旅を熱望し楽しみ、願望を成就する喜びを味わったことがあるだろうか?

世俗の楽しみももちろんある。いちばん大事なおみやげ、ゼムゼム水を大量(なんと総量50キロ!)に持ち帰り、親類縁者や近所に振る舞ったり。トルコ国内の巡礼用品店であらかじめお土産を買っておいたり。ゼーラさんの振る舞いは、日本のおばちゃん、おばあちゃんが行うそれとほとんど変わらないものだ。同じグループの人たちと巡礼友だちになり、帰国してからも行き来して巡礼話に花を咲かせたり。何処も変わらぬ女性たちの楽しいひと時だ。

なすべきことの多い日々の生活から離れ、多額のお金を工面しなければ実現しない「旅行」。どこそこへ行きたいと思っても、時間や費用が壁になり許されない場合もある。ゼーラさんの旅も、ムスリムとしての義務、巡礼であるからこそ、歓迎されるものだっただろう。ただの物見遊山だったら、貯金をとりくずしたり、大切なものを売ったりできなかったはずだ。

日本でも江戸時代のお伊勢参りなど、くじ引きで選ばれた人が特別に行ってこられる「旅行」があった。無断で出かけてもお参りなら許される風潮もあったようだ。どちらも“信仰”の旅なのが興味深い。日常生活から外に出るというハードルは、周囲の理解を得られる「理由」でもないと越えられないものだったのだろうか。

メッカへの巡礼は「同じ時期に世界中から巡礼者が集まるので、サウジアラビア政府が、人口1000人あたりひとりという基準で、各国に巡礼の人数を割り当てている」という。ムスリムでも行けるとは限らないメッカへ、信者でもない私が旅することは許されないと思うが、 

雨がよく降るため、サクランボやナシ、ヘーゼルナッツなど、木々の緑が豊かです。

という素敵な村、ゼーラおばあさんが住むヤヌック村へは訪れてみたいものだ。 

「ふしぎ新聞」の「今月も美術」のコーナーは、会田誠あぜ道》。東山魁夷の《》を換骨奪胎した作品だ。魁夷の《道》は、まっすぐと表現されるが、実のところ私は、真っ直ぐさではなく、坂のような感じで続いているその道が、上りきった天辺からくっと右にそれていく、その行末の方が印象的だった。それに比べれば、会田の《あぜ道》はそれこそ真っ直ぐ、髪の分け目が表す田舎の女子高生のまっすぐさ、田舎の、田んぼのあぜ道のまっすぐさをダイレクトに表現している。既存の絵画をモチーフに、茶化しているようにすら見える《あぜ道》は、まっすぐを描いているのに真っ直ぐとはいえないところが面白い。コーナーの解説者である福永信氏も、

絵のなかの「まっすぐ」と心のなかの「まっすぐ」は、同じだろうか。絵が「まっすぐ」だからって、心が「まっすぐ」だとはかぎらないんじゃないか。

と問いかけている。

先日は、その「真っ直ぐでない」会田誠の「会田誠展 GROUND NO PLAN」を見に行ってきた。新宿御苑オシドリを見るという子供と夫とは、別行動でギャラリーに来たはずなのに、奇しくもそこには新宿御苑が出現していた。しかもバードウォッチングをする羽目になった。

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新宿御苑大改造計画

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新宿御苑大改造計画》ジオラマ

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キセキレイ

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ハシブトガラス

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ヤマドリ

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カワセミ

子供はオシドリを見られたらしいが、ここにはいなかった。