つい先日、南極からハガキが届いた。
昨夏訪れた情報通信研究機構のイベントで「南極ゆうびん」をやっていたので、子供と一緒に自宅宛てに書いてみたのだ。「投函したハガキは船で南極に運ばれ、NICT職員が局長を務める南極昭和基地郵便局の消印が押印されて、翌春に船で日本に帰ってきます」。ハガキは南極を経て、ようやくわが家に到着したという次第だ。私はすっかり忘れていたが、子供の方は楽しみに待っていたらしい。このハガキは南極の空気に触れてきたんだなあと思うと、不思議な気分になってくる。夫もすごいすごいと喜んでいた。ペンギンをあしらった消印がなんともかわいらしい。忘れた頃に届くというのも楽しかった。
小さいころから、遠いところに行きたかった。
なんにもないところ、人がかんたんに近づけないところ、
そういうところに行ってみたかった。
という作者にとって、南極はうってつけの場所ではないだろうか。宇宙でもいいのだろうが、チャンスとしては南極の方がはるかに現実的だ。「作者のことば」のプロフィールによると、著者は第33次越冬隊、第40次夏隊に参加し、第43次・44次は観測船の船医として南極観測に携わったということだ。
この号のお話は、奥付の解説によると、
1991年11月から1993年3月まで行なわれた第33次南極地域観測隊の越冬経験をもとにしたものです。
ということで、南極の夏から始まっている。
著者の山内氏は船医、つまり医師だ。しかし、基地の建物の増築・補修などは、夏の間に済まさなければならない。冬季と比べて人手があるし、天気にも恵まれるからだ。したがって、
「ドクターは薬の調合の要領で、これをおねがいします!」
と建築担当の責任者から指示が飛び、
ぼくはそれから毎日、セメントと砂利と水を混ぜてコンクリートをこねることになった。こんな仕事ははじめてだ。
という羽目におちいる。南極の夏は白夜、日が沈まないので作業時間もたっぷりある。沈まない太陽がちょっとうらめしい、とぼやき気味に書いているところが面白い。
作者がこねるのはコンクリートだけではない。パン生地もこねる。雪上車の整備も手伝う。衣類の洗濯もすれば、基地発行の新聞作りもする。本業はというと、
けが人も病人も滅多に出ないので、医者のぼくはひまな時間が多い。そのため、毎日いろんな作業にかりだされる。
開店休業状態だ。もともと頑健な人物を隊員に選んでいるだろうし、隊員自身、不測の事態が起こらないよう気をつけているのかもしれない。
「たくさんのふしぎ」らしく、この号も一目見てわかりやすい写真ではなく、挿絵を使って表現されている。興味を持ったのなら、将来自分の目で、南極を見に行ってほしいという思いがあるのかもしれない。写真や動画でもある程度わかるとは思うが、実際行ってみなければわからないことも多いはずだ。実体験だけがすべてではないけれど、こういうところに行ってみたい、体験してみたいと憧れをもってもらうのも大事なことだ。
そして「たくさんのふしぎ」の「作者のことば」にしては珍しく、
この本を手に取っていただいたあなたにも。ほんとにどうもありがとう。
と謝辞が述べられている。
ありがとう、という言葉は万能だ。これだけで、この本を読む価値があるような気がする。この話だって家族愛だのなんだのいう前に、親の方も子供も「いつもありがとう」の一言で済む話ではないのだろうか?
わが家も、子供のお手伝いや頑張りに対しお金を渡すことがある(お駄賃ほしさで仕事を買って出ることもある)。すぐにお金を渡せない時は、子供に請求書作っといてと言うこともある。逆にやって欲しくないこと、たとえば癇癪起こして障子を破いたとかで、月のお小遣いから障子代を差っ引いたこともあった。このように、感謝の気持ちやペナルティを金銭という形で表現することもあるけれど、おおもとは「ありがとう」とか「ごめんなさい」という気持ちの方だ。
親子の間柄は、力関係もあるので対等ではないけれど、「家の仕事」は、大人だろうが子供だろうが、ともに暮らす一員として気づかいの問題であり、家族愛などというものではないと私は思う。
いちばん近い基地すら200キロメートル以上はなれている、という越冬隊が過ごす昭和基地では、隊員たちみなが助け合って生活や仕事をする他ない。同じく隊員として南極を経験したお医者さん*1も、インタビューで次のように答えられている。
内視鏡手術が上手くなりました 南極観測隊、医療隊員の真実!? | 多摩てばこネット
あっちでは診療以外の仕事がほとんどですから。医者以外のことができないなら行くなと言われました。
「僕は医者ですから」なんて言って雪かきしなかったりしたら、「医者はな~」「あいつは医者だからな~」って言われちゃいます。ですから、どちらかと言うと何でも進んで自分からやらないとみんなが認めてくれない。(「内視鏡手術が上手くなりました 南極観測隊、医療隊員の真実!? 」より)
医者だからといって、その仕事だけしていては、南極生活は成り立たないのだ。『ぼくの南極越冬記』でも、医療の話はほんのわずか(この先生と同じく歯の詰め物が取れてしまった話)、著者はほとんどパシリかと思われるほどさまざまな作業を手伝っている。
南極生活は仕事なので、作業はもちろん「無償」ではない。しかし、気が沈みがちになる極夜を乗り切るための“ミッドウィンター祭”(運動会や豪華ディナー、演芸大会などが行われる)などは、仕事という範疇に収まらないものだろう。同じ面子の限られた空間で、昼夜を共にしなければならない南極では、精神面でもお互い支え合う必要がある。
隊員たちは家族ではない。ときにちょっとした諍いもあるだろうし、調子が悪い時はサポートしてもらうこともあるだろう。家族ではないからこそ、家族に対する以上の配慮と協力で生活していることと思われる。だったら家族愛とは何なのか?それは、安心して甘えられる関係、なのではないだろうか。
子が親に甘えるのは当然として、親が子に甘えることがあってもいいだろうし、夫が妻に、妻が夫にでもいい。きょうだい同士でも。家族同士の甘え合いに“請求書”という言葉は似合わない。お前たちは親にこれだけ面倒をかけてるんだ、親からこんなに愛情をもらってるんだ、なんて学校から教わることじゃない。「病気をしたときの看病代」が無償なんて当たり前ではないか。請求したいのはむしろ「心配代」の方だ。小学生の子供に必要なのは親に甘えること。甘えすぎて叱られるくらいがちょうどいい。
公立学校には、親から離れ施設で暮らす子供たちや、虐待で“無償の愛”など感じられないという子供たちもいる。そのような子供たちには、家族同士の甘え合いなんていう「家族愛」も、なかなか実感しづらいのではないだろうか。どんな環境の子供であっても
「作者のことば」の「ありがとう」は、読者のみあてならず、挿絵担当の三上氏、越冬隊の仲間たち、そして「ぼくを快く南極に送り出してくれた両親。妻と子どもたち」にも向けられていることは言うまでもない。