「父と子のアラスカ~星野道夫 生命(いのち)の旅」を見た。
テレビ番組情報 「父と子のアラスカ~星野道夫 生命(いのち)の旅」(再放送) | 星野道夫事務所公式サイト
これまで道夫の本を、ほとんど読んでこなかったという星野翔馬氏。番組の中で彼は、星野道夫を“父親”と呼び続けた。記憶の片隅にもない星野氏を、人前で父あるいはお父さんと呼ぶことに照れがあったのかもしれない。あまりにも著名な、あまりに偉大な父に対しての屈託のようなものを感じざるを得なかった。
はじめに訪れたのはシシュマレフ。初めて父がアラスカの地に降り立ったところだ。当時の村長で、道夫が滞在していたワイオワナ(ウェイオワナ)家のクリフォード氏に歓待される。ワイオワナ家には星野が送った手紙も残されているが、本当に「Mayor Shishmaref Alaska」とだけ封筒に書かれていて面白かった。
次に訪れたのはシトカ。父が“親友”と初めて出会った場所だ。その親友、ボブ・サム氏と会う翔馬氏。星野道夫はアラスカの先住民に伝わる「ワタリガラスの神話」に引きつけられ、「その昔、人々の目に世界はどう見えていたのだろう」と考えていた。ボブ・サムはその神話の語り手だ。翔馬氏にもワタリガラスの神話を語って聞かせる。
その後会いに行ったのが、ドン・ロス氏。カリブーの撮影をする際に協力していたパイロットだ。
ボブ・サムが、
「自然の中で特別な瞬間を過ごすとミチオの魂を感じるんだ」と言えば、
ドン・ロスは、
「その土地の魂を撮ることができる写真家だった」と語る。
シシュマレフでもシトカでも、皆に愛された父。日本でも何度となく実感してきたことだろう。アラスカに来て「彼の息子」として歓待されるのはうれしい反面、「道夫の息子」であることが、ますます重くのしかかかったのではないだろうか。勝手な想像でしかないけれど。まだ20代。同じころの父親が、自分の道を進み始めていたのに対し、彼はようやく一歩を踏み出そうとしているところだ。
旅の最後はフェアバンクス。星野道夫が自宅を建てた場所だ。当時をよく知る、テーラー夫妻に会う。妻のカレン・コリガンは、日本の研究者、道夫の著作の翻訳も手がけている。翔馬氏はここに来て(少なくとも番組中では)初めて、星野道夫のことを「父親」ではなく「お父さん」と呼び始めた。
「父のいちばん近いところにいたと思う」というカレンに、「結婚する前までのアラスカの生活と、結婚し自分が生まれてから変わったことはあるか」と尋ねる翔馬氏。写真を撮ることが好きすぎる、と語っていた星野道夫が、家族を持って子供が誕生しとても喜んでいたこと。仕事に行きたくない、家族と一緒に過ごしていたい、子供の成長をそばで見ていたいと言っていたこと。彼女は道夫の息子に、流暢ではない日本語を使って「お父さん」のことを真摯に伝えようとしていた。
旅を終えて翔馬氏は、「ひとりの人間としての父」を知ることができてよかったと振り返っている。「写真家の父」が書いた本には載っていないこと、それこそが彼の知りたかったことだろう。父の愛したアラスカをその目で見たこと、父の旧友たちに出会えたことは、かけがえのない体験だったと思う。しかし、彼が切望していたのは「普通の男」としての道夫を知ることだった。「自分の父親」としての星野道夫、母の直子さんに恋をし自分の誕生を心から喜んでいた男。彼はアラスカで、やっと「自分だけのお父さん」を見つけることができたのかもしれない。
旅の途中、シトカの南にあるハイダ・グワイに寄る。どうしても見たかったものがあるからだ。「朽ちたトーテムポールがある場所」。ハイダ族の聖地であるその場所に、1時間だけ上陸を許された彼は、夢中になってシャッターを切っていた。『森へ』に写されているのは、そのトーテムポールがある場所だ。
『森へ』の主人公は、タイトル通り森そのもの。圧倒的な質感、目の前に本当にそこで見ているかのような写真は、土の臭い、緑のにおいさえ感じさせるようだ。カヤックをこぐ星野氏本人始め、クマやシカ、サケやクジラなども登場するが、あくまで引き立て役。躍動感あふれる森は、星野氏が「そのまま歩きだしそうな気配でした」と書くように、旺盛な生命力にみなぎっている。
ドン・ロス氏の「その土地の魂を撮ることができる」という言葉を、まざまざと実感した一冊だった。
- 作者: 星野道夫
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 1996/09/20
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