こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

ぼくたちのロボット(第265号)

乙武洋匡氏が、義足歩行にチャレンジしたというニュースを見た。

50メートル超を義足歩行 作家の乙武さん「胸いっぱい」:時事ドットコム

私はこのプロジェクトを初めて知って、それまでの経緯など何も知らないにもかかわらず、映像を見て、なぜだか胸がいっぱいになってしまった。乙武氏本人と同じく。

 

『ぼくたちのロボット』は、ロボット研究者加藤一郎氏の研究を下敷きに、「ヒト型ロボット」と人間との関係を考察したものだ。

作者の瀬名秀明は、何人ものロボット研究者を訪ね、ロボットを見て回って本を書いてきた。そんな数多の研究者のなかでも、どうしても会いたかったのが加藤先生。残念ながら1994年にみまかられている。一度でいいから「なぜロボットの研究をしようと思ったんですか」と尋ねてみたかったという。

加藤先生は、世界で初めて二足歩行するヒト型ロボットをつくった人。「日本のロボット学の父」とも呼ばれている。

Humanoid History -Biped Walking Robot-

加藤先生の始まりは、“人間とは何か”を知りたいということだった。

哲学の道に進みたかったところ、父親のすすめで理科系の学校を受験することになる。当時は太平洋戦争の真っ只中。理科系の学生は徴兵猶予があり、学徒出陣を免れていたからだ。加藤先生は早稲田大学理工学部に進学し、電気回路の勉強を始めることになる。

 

加藤先生が先鞭をつけて以来、ホンダによるASIMOをはじめ二足歩行ロボットは、めざましい進化を遂げている。歩くどころか、華麗にバク宙までキメるロボットも出てきた。

ロボットがバク宙 !? 2足歩行ロボットが華麗なバク宙を披露 米ボストン・ダイナミクス社 - YouTube

ロボットがこんなに動けるなら、乙武氏だって簡単に歩けるのでは?

ところが……先天性四肢欠損という「障害」をもつ乙武氏は、別に歩けるようになりたいわけではないのだという。

電動車椅子で世界中どこでも移動していたので、義足で歩く必要性をあまり感じていませんでした。乙武洋匡さんが「義足で歩く」ことを選んだ意味。テクノロジーで障がい者や高齢者の暮らしはどう変わる? | スーモジャーナル - 住まい・暮らしのニュース・コラムサイトより)

早大時代、同世代なので構内でお見かけしたことがあるが、確かに電動車椅子でどこへでもスムーズに移動しているように見えた。しかし思い返せば当時の学校はバリアフリーとは程遠い環境だったはず。エレベーターすらない校舎もあった。下記の鼎談を見ると、想像以上に苦労を強いられていたことがわかる。スムーズというのは、ただ私には見えてなかっただけのことなのだ。

乙武洋匡バリアフリー鼎談 障害者は希望を見せる使命を背負っているのか – 早稲田ウィークリー

 

加藤先生は、人工の手足の研究の向こうに、すでにヒト型ロボットの姿を思い描いていたという。当初は実現する技術もお金もなく、研究者になって20年、ようやく高性能で安価なコンピュータが普及し始め、挑戦できる時代がやってきた。

 加藤先生は大学の仲間に声をかけた。人間は複雑な生き物だから、ひとりの専門家だけではヒト型ロボットなんてとてもつくれない。だから専門分野の壁を超えて、みんなでいっしょにつくるのだ!

一方の乙武氏も、先のニュース動画で「自分一人でここまできたわけではなく、チームで試行錯誤を重ねてきた」ことを、感に堪えたように語っていた。今回合わせて『四肢奮迅』も読んでみたが、専門家の力が合わさった上での成果であることが、本当によく実感できた。たとえロボット義足をつけたところで、簡単に歩けなどしないことも。

オファーしたのは遠藤謙氏。「義足エンジニア」として「OTOTAKE PROJECT」を取りまとめる人こそ遠藤氏だが、そのほかにもさまざまなプロフェッショナルがプロジェクトを支えている。「義肢装具士」の沖野敦郎氏、「デザイナー」の小西哲哉氏、「理学療法士」の内田直生氏などだ。

『ぼくたちのロボット』の言葉を借りればまさに、

「ひとりの専門家だけではロボット義足でなんてとても歩けない。だから専門分野の壁を超えて、みんなでいっしょに歩くのだ!」

遠藤謙氏は、大学生のころASIMOの登場で衝撃を受け、院に進んでからは二足歩行ロボットの研究にのめり込んでいたという。ある日、遠藤氏は骨肉腫に冒されていた高校時代の後輩を励ますため、足がなくともロボットに乗って移動できるかも?という希望を見せる。しかし、後輩から出たのは「自分の足で歩きたいのだ」という言葉。ショックを受けた遠藤氏は、義足の世界へ転身することになる。

義足とは何か――骨肉腫になった後輩とインドの少女が教えてくれたこと(乙武 洋匡) | FRaU

「自分の足で歩きたい」人の願いをかなえるために、研究に取り組んでいたはずの遠藤氏。それが、ロボットならぬ電動車椅子を駆使する人、よって「自分の足で歩きたいわけでない」人を歩かせてみせようとは、面白い因縁である。

 

歩かせてみせよう……誤解を恐れずに言えば、乙武氏はいわばマネキン的な存在なのだ。

加藤先生は1973年7月、世界初のヒト型ロボットを誕生させる。「ワボット1号」だ。

Wabot 1|ロボ學 - ROBOGAKU

 そのころ、ロボットという言葉はまだSF小説の中だけのもので、研究者が真面目に取り組むようなものだとは思われていなかった。だからこそ、ロボットのことをもっと社会に知ってもらおう。そのためにはヒトの姿をしたロボットをみんなに見せて、わかりやすくアピールすることが大切だった。

その後、先生はつくば万博の展示で「ワボット2号」を出すことを目指す。今度は鍵盤楽器演奏ロボットだ。

Musician 'Wabot-2'|ロボ學 - ROBOGAKU

「どうして人間のかたちをしたロボットが必要なのですか?」

外国人がふしぎそうな顔で聞いてくる。

「人間の暮らしている社会にとけこませるためですよ」と答えても、どうも納得できない様子だ。

 でもワボット2号が目の前で生演奏を始めると、その迫力に圧倒されて、感動の声をあげた。

「オー、イエス、わかった!すばらしい!」

 人間はプロのピアニストでも、1秒間に8回くらいしか鍵盤を叩けない。しかしワボット2号は、なんと15回も叩けるのだ。人間以上に巧みで繊細な動きが、人間のつくり出した芸術を奏でている。

 加藤先生の目指すロボットを理解するには、じかにロボットの動きを見るのがいちばん早かった

乙武氏の“歩行パフォーマンス”は、ロボット義足のすごさ、ロボット義足を着けた先に見える希望を象徴するものなのだ。

「四肢のない乙武さんが、ロボット義足を装着して、健常者と同じように颯爽と街を歩けば、とてつもないインパクトを世の中に与えられると思うんです」

遠藤氏の言葉は、次第に熱を帯びていった。(『四肢奮迅』59ページより)

乙武氏は幼少期、義足の練習をしたことがある。幼い身に、思うままにならない動きを強いられる練習は酷そのものだった。義足をつけない方がスムーズに移動できること、電動車椅子という強力な相棒をも手に入れた乙武氏は、義足はいらないという決意をかためる。

そんな彼を動かしたのは、遠藤氏の「乙武さんだからこそお願いしたいんです」という熱意もさることながら、誰かの役に立ちたいという自らの思いだった。

もしロボット義足で四肢欠損の私が歩けるようになれば、事故や病気で足を失い、失意の底に沈んでいる人に、これから義足を使うことになる人に、もしかしたら障害以外の困難を抱えている人にも、大きな勇気を届けることができるかもしれない。(同74ページより)

乙武氏は、私生活のスキャンダルの影響で「ゲスな乙武さん」としてメディア出演せざるを得なくなったことに、ジレンマを抱えていた。そもそも出演の目的は、メディアをにぎやかすタレントとしてではなく「伝えたいことを伝えるためのツール」だったからだ。

「障害者なのに」と賞賛され、「障害者のくせに」と非難される。正直に言えば、うんざりだ。(同45〜46ページより)

嘆いても叫んでも影法師のようについて回る「障害者」という言葉。ならば「障害者」としてのレッテルを引き受けて生きていくしかない。

私には軽やかに障害と生きてきたように見えていたが、そう生きざるを得ないだけだったのだ。手と足がない人生は、多くの課題と向き合い続ける人生、40年以上ずっとスーパーハードモードの設定だったと語られている。

「人間の暮らしている社会にとけこませるため」という加藤先生の言葉。乙武氏は本の中で、こんなことも言っている。

街中で『乙武だ』と気づかれないくらいスタスタ歩けるようになったらいいよね、とプロジェクトメンバーと盛りあがっています。(同129ページより)

目に見える障害のある方々は、望むと望まざるとにかかわらず、外に出るとどうしても目立つ存在になりがちだ。乙武氏はとくに、どんなことをしても乙武氏であることを隠すことなどできないだろう。幼いころは、まだ人目が気になる時代、「装飾用」の義手義足をつけてベビーカーで移動していたというエピソードも書かれている。社会にとけこむ……決して障害のある身体を否定し、社会にとけこまない存在であると言いたいわけではない。ただ、テクノロジーで「障害者」としてのレッテルの重みを少しでも軽くできれば、生きやすくもなると思うのだ。

義足がいまの眼鏡のようにおしゃれになって、価格も誰もが簡単に買える程度になって、つまり義足が眼鏡やコンタクトレンズのようになったら、足がないことを誰も障害だと言わない時代が来るかもしれない。(同130ページより)

 

 どうすればロボットはぼくたちをうまく助けてくれる?

 ぼくたちが朝ご飯や掃除の手伝いをしているときのことを、よく思い出してみよう。ロボットに同じことをさせようとしたら、ぼくたち自身がどうやって身体を動かしているのか、どうやって考えているのか、もっと知らないといけない。

 ロボットをつくることは、人間を知ることと同じなんだ。

乙武氏もまた、ロボット義足を着けて歩くために、自分の身体を知り、向き合うことになった。どうやって身体を動かして歩くのか、どうやって歩く感覚をつかむのか。

遠藤氏曰く、乙武氏の身体は「三重苦」を抱えているのだという。

一つは「両膝がないこと」。膝継ぎ手のあるなし、大腿義足と下腿義足では歩行の難易度がまったく違うという。パラスポーツでもクラス分けがされており、1秒以上の差が出ている。

二つめは「両手がないこと」。人は歩くとき、無意識に両手でバランスをとっている。歩くためには足だけでなく手も必要なのだ。手がないということは、転倒したときに支えるものがない危険性にもさらされる。

三つめは「歩いた経験がないこと」。後天的に足を失った人は「歩く感覚」を知っている。しかし、生まれたときから足がない乙武氏は、その感覚を体得するところから始めなければならない。

専門家たちの力を結集し、この「三重苦」をどう乗り越えようと苦闘してきたか、ぜひ『四肢奮迅』を読んでみてほしい。自分の身体が動いて、当たり前のように歩いている「奇跡」を実感すること請け合いである。テクノロジーをもってしても、乙武氏(人間)側もハードなトレーニングを要することにも、驚かされることだろう。

 

加藤先生が最初に手がけたのは「人工の手」の研究だった。5歳のとき、自分の手を見て「なぜ指が動くんだろう」と不思議に思っていたそうだ。

乙武氏は歩く上で「二つめの苦」を克服するために、義手を装着することになったが、なんの機能もないただの棒状の義手であるにもかかわらず、「もし、私に手があったら、どんなことをしていただろう」と思いを巡らせることになったという。もしかしたら、モテるためにギターを始めてたかもしれない。ジャズが好きなので、サックスに憧れたかもしれない。

 あれ、ちょっと待って……。

 「手がある」って、こんなにも無限の可能性を秘めているんだね……。

 みんな、こんなにも「選べる」人生を送ってきたんだね……。

 それにひきかえ、自分は……。

 こんな感情、出会ったことがなかった。そもそも「誰かの人生と比べる」ことなど興味がなかった。しかし、義手を装着したことで、「手がある人生」を擬似体験してしまったのだ。「誰かと比べた」わけでなく、「手がある人生」に触れてしまったのだ。(『四肢奮迅』201ページより)

乙武氏が、歩くトレーニングをするなかで、逆に意識させられたのが「手足の不在」とくに「手の不在」だったというのは、意外なことだった。

 

加藤先生は手足の研究からヒト型ロボットを思い描いた。手と足の動きは、ヒトをヒトたらしめる象徴的な特徴なのだ。だからこそ、つくば万博では「ワボット2号」の改良型「ワスボット」が、オケといっしょに華麗な演奏を「手」で披露する一方、「二足歩行ロボットWHL-11」が万博期間中42kmを「足」で踏破しているのだ。

2足歩行ロボットWHL-11|ロボ學 - ROBOGAKU

しかし、加藤先生がイメージしていたロボットは、単に人の動きを真似できるだけのものではない。「ワボット2号」「ワスボット」は、人の声に合わせて伴奏の音程を調節してくれるロボットだったという。先生が1992年に書いた「人間ロボット論」では、こんなことが述べられている。

「マイロボットをつくるためには、ロボットに心をもたせないといけない。心を知るには人間の脳や体のしくみをもっと考える必要がある。これからはロボットをつうじて人間を理解するような、新しい学問をつくるんだ」

若い頃、哲学を志していた先生は、ロボットづくりを通じて「“人間とは何か”を知りたい」という原点に戻ってきたのだ。

 

加藤先生は「21世紀は一家に1台、気づかいのできるマイロボットの時代だ」とぶち上げていたが、今や人工知能の進歩で少しずつそれに近づきつつある。我が家の息子はSiriに話しかけるのが大好きだが、Siriに早口言葉やオヤジギャグまで繰り出させ、延々と遊び続けるのに驚かされたものだ。気づかいというのに「いっしょに遊ぶこと」も入るのだとしたら、十分すぎるほどの進化を遂げている。

2007年発行の『ぼくたちのロボット』の作者である、瀬名秀明は言う。

 そしてぼくは思う。

 ロボットに気づかってもらうだけじゃなく、ぼくたちもロボットを気づかってあげることが大切なんだ。ロボットをいたわって、ロボットの気持ちを考えてあげることだ。

今や“人間らしい”反応まで搭載されたロボットは、もはや気づかいというレベルではなく、自然にヒトに準じた扱いになってしまうのかもしれない。車などでさえ、愛称をつけ半ば擬人化する人もいるのだから、バーチャルアシスタントともなればその傾向は一層進むことだろう。

「Hey Siri」「Alexa、〇〇して」「OK Google

今は決まったウェイクワードを使っているところ、各自で愛称をつけ呼びかけるようになれば、ペットに対するような愛情すら湧いてくるかもしれない。

 

しかし、一方でこんな「人間拡張」のテクノロジーまで出てくると、「どこまでが人間で、どこまでがロボットなのか」という根本的な問いを投げかけられる現実も見えてくる。

未来のロボットは念じて操作 機械と融合、脳も進化 ヒトを超える「人間拡張」:日経ビジネス電子版

脳の機能の一部を外部に委ねる「知能拡張」は、既に記憶や学習のスタイルを変え始めた。長い目で見れば、人類が積み重ねてきた文化や価値観が意味をなさなくなるかもしれない。未来のロボットは念じて操作 機械と融合、脳も進化 ヒトを超える「人間拡張」:日経ビジネス電子版より)

ロボットとどう付き合うかというのは、未来の子供の教育にも大きく関わる事態になっているのだ。

きみたちは大人になったとき、どんなロボットといっしょに暮らしたいだろう。ロボットをつくって、ロボットといっしょに考えてみるといい。ずっと、ずっと、いっしょに。それが僕たちの未来だ。

瀬名秀明は最後にこう書いているが、もしかしたら私たちの子供たちは「いっしょに暮らしたいロボットをつくる」より、「ロボットといっしょにどんな社会をつくりあげるか」を問われることになるのかもしれない。