こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

虹をみつけに(第248号)

これは「虹の科学」の本ではなく、いわば「虹の芸術」の本だ。

昔の西洋や中国などでも、虹は神話や伝説、絵画や彫刻の題材として取り上げられてきたが、なぜか日本では、虹の絵さえ、中世になるまでほとんど描かれなかったということなのだ。

確かに、西洋画では虹が描かれているのを何度も見たことがあるし、虹の神話や伝説についても物語を読んだことがある。1991年に開かれたミレー*1で見たは、虹が効果的に描かれていて大好きな絵の1つだし、最近ではバルテュス*2で見た《地中海の猫》という絵の中の虹が印象的だった。

日本で虹が描かれづらかった理由として、作者は次のように推測している。 

 昔の日本の絵では、きまったかたちをもたず次々と姿を変えていくもの、たとえば雲や煙といったものを、目に映るままに自由に描くことがありませんでした。それらが描かれるときには、ある特別なイメージがこめられることが多かったのです。

 雲は、たとえば乗り物として、風神や雷神ばかりでないさまざまな神や仏たちといっしょにあらわれるものでしたし、煙は、亡くなった人をよび起こすものでもありました。

 しかし日本には、ギリシャ神話やノアの大洪水のような、だれもが知っていて絵にも描かれる虹の話がありませんでした。虹に重ね合わせる神話や伝説をもたなかったことが、虹を描くことをむずかしくした大きな理由であったと考えられます。

江戸時代になると、たくさんの虹が描かれるようになってきたということだが、それは、自然をありのままに描けるようになり、虹もただ目の前に見える虹として、自然のままにとらえられるようになったから、ということであるらしい。虹と同じく、それまで絵の中にほとんど表れなかった「影」というものが、多く描かれるようになったのも江戸時代からのようだ。幻灯が大流行し、光と影のつくる揺れ動く像を、描かれた絵と同じように楽しめるようになったことが、人々の感覚の変化を促したのだろうということだ。山梨県立美術館で「夜の画家たち-蝋燭の光とテネブリスム-」という展覧会を見たことがあるが、やはり「日本絵画の歴史において、明暗表現を意識するのは江戸時代から」ということで、光(と影)を描くことがあまりなかった頃に、光を母とする虹が描かれなかったのは当然のことだったのかもしれない。

しかしながら、あれほど美しく、見れば感動すら覚える虹を、なぜ昔の日本では取り上げられてこなかったのか、本当に不思議なことである。