こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

はじめ ちょろちょろ 中ぱっぱ ごはんを炊く(第469号)

子供は高校生になった。

あと数年したら成人だ。みんないうけど、子供の成長というのは恐ろしく早い。

入学した高校で早速オリエンテーションがあった。一泊二日の宿泊行事だ。カレー作りと飯盒炊爨があるらしい。

は ん ご う す い さ ん

なんて懐かしい響き。どんな飯盒かは知らんが、とにかく野外で飯を炊くのだ。

私も小学校の野外活動でおんなじようなことをした。大学で登山サークルに入ってからは、野外で飯を炊いたのは数知れず。米はとがない。水がもったいないから。無洗米などなかったから、普通精米のにそのまんま適当に水入れて炊いてた。こりゃ芯メシだわとかベチャ飯だねえとか、失敗飯も数知れずだった。それでも食うしかない。空腹という最高のスパイスがあるので、大して気にすることはなかったけど。今はアルファ米が普及してることもあり、山でご飯を炊くことはなくなった。昔も「ジフィーズ」と呼ばれたアルファ米シリーズがあったけど、高いし種類によっては不味いしで、普通に米炊いた方がマシだったのだ。今のアルファ米は種類も増えたし本当においしくなった。

 

『はじめ ちょろちょろ 中ぱっぱ』は「ごはんを炊く」をテーマにした絵本だ。

「作者のことば」でも言われてるけど、ご飯の国に住んでる私たちにとって、ご飯炊くのって当たり前すぎて、あらためて考えることがない。炊飯器に米・水入れたら自動的にできあがる(スイッチを入れ忘れるという失敗を除けば)ものだからだ。昔はご飯を炊くにも数々のプロセスがあって、スイッチポンで炊き上がるものじゃなかった。

 「ご飯を炊く」という、私たちの暮らしの中で、基本の基本のようなことが、たかだか数十年で劇的に変わったということです。(本号「作者のことば」より)

私が子供の頃は「はじめ ちょろちょろ〜」の呪文を知ってる子が多かったと思うが、今はどうだろう。息子世代は、ちょうど高学年のころから感染対策のために、家庭科の調理実習をやらなくなってしまった。中学でもやったのは1回だけ。しかも簡単なものだ。だから「鍋で炊くことができる」というのは、案外子供たちにとって「新しい」ことなのかもしれない。

鍋っても、昔と比べたら楽なもんだ。カマドの火をおこしたり、火加減を見たりしなくてもいい。水の量だって測る道具がある。もっとも昔の人はいちいち道具使って量ったりしなかっただろう。10ページにもあるけど、自らの手とかを使って量ってたはずだ。

家の子は(父方の)農家の血のせいか、筋金入りのご飯党だ。朝食も必ずご飯。炊き込みご飯や混ぜご飯は好まない。おかずは置いて白飯だけ食べてることも多い。高校に上がって弁当を持ってってるけど、ぎっしり詰めた一合飯に肉系おかずをドーン+申し訳程度の野菜、みたいな代物になってしまっている。

とはいえ、家のメニューには炊き込みご飯が登場することもある。本でも登場するピラフやパエリア、ビリヤニは定番メニューの一つだ。ビリヤニなど、業務スーパーなどで手軽にインディカ種の米が手に入るので作りやすくなった。インディカ米は、タイ料理を作るときも合わせるご飯として炊いたりする。今はタイでも炊飯器を使うのが普通になっているというが、日本の炊飯器とはちょっと違う機種なのだろう。日本の炊飯器だとおいしく炊けないからだ。だからうちでも、12〜13ページに紹介されてる昔のやり方のように、湯取り方で炊いている。

ラオスに行った時は、18〜19ページで紹介されるように、もち米が主食だったので驚いた覚えがある。もち米もインディカ種だけど、炊き方は日本と同じだ。つまり蒸して炊く。お店ではちっちゃい蒸籠に入って出てくるので、最初観光客向けの器なのかと思ったが、なんのことはない、それで蒸して作ってたわけだ。これがまたラオスのおかずに合う。当地ではラープという料理がポピュラーだが、ラープには絶対カオニャオ(もち米ご飯)しかないと思うくらいだ。こっちでも作ったりするけど、ラープ風の域を出ないしもち米もなんとなく違うしで、物足りなさを覚えたりする。本号では紹介されてないけど、赤飯やおこわ、肉ちまきといったもち米料理、粽やあくまきといった和菓子系など、我が国のもち米文化もバラエティ豊かだ。

 

過去の「ふしぎ」とのつながりでいえば、

寿司文化を取り上げた『すしだ、にぎりだ、のりまきだ!(第154号)

炊飯器以外でメシを炊く体験として『できたぜ! かくれ家(第196号)

アジア各地(ご飯文化)の食卓を紹介した『アジアの台所たんけん(第213号)

韓国の食文化(米料理含む)をピックアップした『ジミンちのおもち(第327号)

などが挙げられるだろうか。

「ご飯の国に住んでる私たちにとって、ご飯炊くのって当たり前すぎて、あらためて考えることがない」と書いたが、なぜなのか。38ページにはその一因となる視点が書かれている。粉食文化と粒食文化の違いとしてとらえることもできるだろう。それを考えると『粉がつくった世界 (たくさんのふしぎ傑作集)(第33号) 』ともつながる話になる。

 

この本が殺生なのは、写真絵本だということ。そりゃもう罪な本だよ。お腹空いてる時はとくに。だっておいしそうな料理がいっぱい載ってんだもん。大人の私ならじゃあ夕飯に作るかってなるけど、子供はそうはいかない。でもそれこそが狙いなのかも。私も子供の頃本読んで、どんな味なんだろうとかいつか食べてみたいとか作ってみたいとか、熱心に想像したからだ。子供時代の読み方というのは、大人のそれとは決定的に違うのだ。知識も経験も足りないからこその読み方ができる。子供時代に帰りたいと思ったことは一度もないけど、願わくば、子供時代の読み方をもう一度体験してみたいと思うことはある。それは本当に、子供時代にしかできない特別な体験なのだ。

ちゃんと「自分で作ってみよう!」というコーナーもある。まずお手軽なのは百均の専用道具(とはいえ2023年10月現在、税込330円のモノ)を使った、電子レンジ炊飯。もちろんもっと簡単なのは本物の炊飯器の方だけど、電子レンジ炊飯ならひと工夫加えていろんな味つきご飯を試してみることができる。火を使わないので安全にチャレンジできるし。本号では「米の炊き方」のさまざまを紹介し、時に便利な道具ができたりして作り方も変わっていく様子が描かれているが、電子レンジ炊飯もその一つと言えるのかもしれない。でもレンジ炊飯て吹きこぼれしないんやろか。手抜きお粥作るときとかでも、必ず吹きこぼれてかえって面倒なことになるんやけど。