こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

すしだ、にぎりだ、のりまきだ!(第154号)

日本食といって思い浮かぶのは?と聞けば、必ず出てくるのは「お寿司」だろう。

スーパーでも、コンビニでも、外食でも、宅配でも、気軽に買って食べられるだけでなく、家でも手軽に作ることができる料理、それがお寿司だ。

家でも、夫が釣った魚を自家製のすし酢で作る握りから、すし太郎系の素で作るお手軽ちらしまで、さまざまな寿司料理が食卓に上っている。

気軽さ手軽さだけではない。ちょっと値のはる出前を取れば、おもてなしにも使えるし、本号の最初に出てくるように、誕生日などのごちそうにもなる。ハレの日からケの日まで使える最強の料理なのだ。

今でこそ和食の顔として張っているお寿司も、本書によれば、もともとは2000年以上前、東南アジアの山間地で生まれたものだった。魚の保存のために考えられたなれずしが元になっているという。今も鮒鮨など、各地になれずしの郷土料理が残っている。

江戸時代に登場した握り寿司は、担ぎ売りや屋台でささっと食べる、ファストフードのようなものだった。お稲荷さんの屋台や巻寿司もあらわれ、今の寿司文化は江戸で花ひらいたとも言える。屋台から高級店に発展していったのも江戸時代のこと。

江戸幕府水野忠邦はおふれを出し、ぜいたくを禁止しました。おふれにさからって高いすしを売っていたおすしやさんが、200人以上も罰せられたそうです。(本文より)

ということで、教科書の「天保の改革」がお寿司とつながる話も出てくる。挿絵には「老中水野忠邦」が倹約令を発している姿と、「北町奉行遠山景元(遠山の金さんのこと)」が“ばっきん五かんもん。てぐさり60日を申しつける。”とお裁きを行っている様子が描かれていて面白い。金さんといえば、やっぱり松方弘樹。本号当時の子供たちにも、松方弘樹がイメージされていたことだろう。名作テレビ時代劇の数々が消えた今、子供たちは遠山の金さんを知っているのだろうか。

本書を読んで、寿司文化について振り返ると、変化への対応といい、バリエーションの豊富さといい、寿司というものが持つ懐の大きさをあらためて感じることができる。国内でもそうなのだから、海外でもさまざまにアレンジされて食べられるようになったのもうなずける話だ。ヤマザキマリは『パスタぎらい』で「昨今の寿司の外交力と現地適応力には感心するばかりである」と語っているが、海外でアレンジされた寿司がまた逆に入ってくることによって、回転寿司始め日本の寿司もさらにバラエティ豊かになったように見える。まさに外交力の賜物だ。

結局寿司は、酢飯とネタというシンプルな要素でできているからかもしれない。ヤマザキマリはイタリアでの貧乏留学時代、お寿司が食べたくなったら米に白ワインビネガーを振りかけ、モッツアレラチーズのスライスを乗せ、醤油をつけて食べていたそうだ。彼女の義母(イタリア人)に、SUSHIを作ったから食べに来いと呼びつけられたところ、クリームチーズを四角くかたどった上に、スモークサーモンがのったものが出てきたというエピソードもある。これも一つの寿司の形かもしれない。いや、違うか。