鹿児島住みの頃、ご主人が公立学校の教師という友人・知人がちらほらいた。
みな一様に気にしていたのが「離島ノルマをいつやるか?」ということ。子供が大きくなってしまうと動きづらくなる。末子が小学校を卒業するまでに離島勤務を終えたいということなのだ。友人の一人は、◯◯さんとこは去年大島(奄美)行ったし、うちも来年あたり来てほしいのよと憂い顔でつぶやいていた。子供のライフイベント(とくに受験)に重なることを考えると悩ましいところなのだ。
教師稼業はともかく、企業の転勤は「会社への忠誠心を試されている」みたいな物言いをされることがある。
このへんな労働慣行(既婚で住宅ローンを背負った社員を地方の工場に転勤させる)は、まだ日本にあるのです。たぶん - 斗比主閲子の姑日記
夫の業種の場合、忠誠心よりは「馴れ合い(癒着)を防ぐ」「社内活性化のため」というお題目のようだ。ご主人が「真の意味で忠誠心が必要な職業」に就く知人は、帯同不可の離島勤務の辞令が出て、泣く泣く単身で送り出したりしていた。勤務地は遠く離れた島で年に数回会えるかどうか。お子さんも小さいのに大変だなあと思った覚えがある。
『海鳥の島』の作者、寺沢孝毅氏は「希望して島にある小学校に教師として赴任した」人。「1992年、天売島での10年間の教員生活の後に退職。そのまま天売島に住み着く」ということなので、この本が出た1年後には、教師を辞め海鳥保護や写真家としての活動を始めている。
PROFILE | TERRA images 寺沢孝毅 Official site
『ヤマネはねぼすけ? (たくさんのふしぎ傑作集)(第90号)』の湊秋作氏もそうだが、子供たちが暮らす、その土地を愛する人が教師であるというのは幸せなことだ。
土地を愛するというのは人も含めてのこと。この絵本も海鳥だけにスポットを当てるのではなく、土地の人との関わりの中で描かれている。海鳥のくらしを知るには海に行くしかない。海に出る漁師さんに話を聞くのがいちばんなのだ。
その一人が三浦順一さん。順一さんのほか、父と弟も同じ船に乗って漁をする。
4月のホッケ漁ではウミネコ。
ウミネコは魚が大好物ですが、海にもぐることができないので、自分で魚をつかまえるのはにがてです。ですから、こうした船のまわりは、かっこうのえさ場なのです。
5〜6月のコウナゴ漁でもウミネコ。夜の漁でもお構いなし、船の光を頼りにやってくるのだ。港に上がったものも干したものも掠め取っていく。漁師が一生懸命なら、ウミネコも同じ。繁殖シーズンは彼らも必死なのだ。
「ウミネコなんか悪いことばっかりしやがって、クソの役にもたたねえ。あんな鳥っこ、いなくなればいいんだ」
という漁師のリアルな声もあるが、豊かな漁場は人間だけのものではなく、海鳥たちのものでもある。
一方で寺沢さんは、島の学校の子供たちを連れ、ウミネコの子育ての観察に出かけている。島の人たちのほとんどは漁で生計を立てているから、漁師の家の子供たちだ。島では海鳥がいるのが当たり前、わざわざ見にいく人などいない。寺沢さんという教師がいなければ、彼らとて観察する機会はないのだ。
ウミネコが人間の漁の分け前を盗むなら、そのウミネコの卵を頭脳プレーで掠め取っていくのはカラス。ちょっとショックを受ける子供たち。人間が漁をするのも、ウミネコが漁の魚を奪うのも、カラスがウミネコの卵を食べるのも、みな生きるためなのだ。
寺沢さんが三浦さん一家を連れ、ウトウの観察に出かけた先でも、そんなシーンが繰り広げられている。ウトウがヒナのため口いっぱいに運んできたコウナゴを、ウミネコが横取りしていくのだ。目撃した三浦家の子供たちに、寺沢さんはこんな話をする。
「ウトウはもぐりがとてもとくいで、魚を何びきもつかまえてくることができるけど、ウミネコはそんなわけにはいかないだろう。ウミネコだってひなのためのえささがしにしんけんなんだ」
ぼくの話をなっとくしてくれたかどうか、ちょっぴり心配でした。
7月、天売は観光シーズン。三浦家のおじいさんは、観光船の仕事に従事している。孫である子供たちもお手伝いだ。船はその名も「オロロン丸」。
オロロンとはウミガラスのこと。
日本では天売島だけが繁殖地だが、急激にその数を減らしている。
天売小学校の校歌(校 歌 | teuri-jhs)には、
“オロロンの 声すみとおり”
という一節があるが、かつては何千羽もいた鳥だった。
ウィキペディアには「2010年には天売島で19羽が飛来し数つがいが繁殖するのみであった」とあるが、1991年発行の本号の時点でもはや、三浦家のおじいさんはこんなことを語っているのだ。
ウミネコやオオセグロカモメのほうは、もともとこんなにいなかった。人間がすてたざんぱんや魚が、やつらのいいえさになるんだもの。いくらでも増えるせよう。カラスだっておんなじよ。カラスやオオセグロカモメが、オロロンチョウの卵やひなを食いあらすから、オロロンチョウはへるいっぽうよ。
オロロン丸の船長かつ海鳥のガイドでもあるおじいさんは、アカアシ(ケイマフリ)やウミウの子育て事情にも詳しい。島のとりたちを長年見続けてきた生き字引でもあるのだ。
8月、寺沢さんはボートでウミネコのひなの撮影に出かける。
巣立ち間近のひなを襲うのはオオセグロカモメ。
ウミネコも、オオセグロカモメも、オロロンチョウも、ウトウもみんな、必死で生きて命をつないでいるだけだ。陸にいるカラスも、そして人間も。しかしどこかのバランスが崩れれば、島で生活できなくなる生きものも出てくる。これはどれか一種だけが悪者というわけではなく、それぞれが命の営みをしてきた結果なのだ。この本はそのことを痛切に教えてくれる。