下の画像の品に見覚えがある人は、私とほぼ同世代か前後の方だと思う。
実家の食器棚にずーっとあった物だが、私が家を出た後、いつの間にか消えてしまった。大方、何でも取っておきたがる、父親の部屋にでも引っ込められたのだろう。私はこの爪楊枝ケースが嫌いで、何でこんなかわいくないものを使っているのだろうと、いつも思っていた。今でこそ、素晴らしいデザインのグッズだと思うが、子供だった当時はまったく良さがわからなかった。
この“アンクルトリス”の生みの親こそ、今号の作者柳原良平である。柳原氏は2015年8月に亡くなっているので、この号はだいたいその1年くらい前に出版されたことになる。ちなみに柳原氏の命日は、彼の誕生日でもある8月17日。これを生没同日というらしいが、こういう偶然はなかなか無いものだ。
本書はアンクルトリスのテイストそのままに、洗練されたデザインの絵で作られている。無駄な線や色は一切ない。細かい部分は描き込み過ぎず、絶妙なバランスをもって描かれている。無類の船好きだった作者にしかできない仕事だろう。作成当時おそらく、80歳くらいだったことを考えると、年齢を感じさせない仕事ぶりに驚きさえ覚える。
子供は「クルーズ客船」について書かれたページを読みながら、ぱしふぃっくびいなすって何処行く船?飛鳥Ⅱは?にっぽん丸は?と立て続けに尋ねてきたが、そんな船に縁も興味もない母親には答えるすべもなかった。息子よ、私がいちばん好きな船は桜島フェリーだよ。たった160円で15分間景色が楽しめ、おいしいうどんも食べられる、豪華客船なんだよ。
「作者のことば」で綴られるのは、船を好きになったきっかけについてだ。
小学生のとき、住んでいた京都市の町で船の絵はがきを買ったこと。その絵はがきがとても美しく、すっかり船に魅せられてしまったこと。その後船の本や写真集を見て、世界にどんな船があるか知っていったこと。絵に描いたり模型を作ったりしたこと。ある造船技師が書いた本を読んで感動したこと。その本を読んで、“人間と同じようにそれぞれの船にそれぞれの一生があるように感じられて、いっそう船が好きになった”こと。
しかし、小学校4年生の時に太平洋戦争が始まり、日本の軍艦も商船も沈められました。戦争が終わって中学生の私は、知っていた多くの船たちがどうなったのか気になって、船会社に手紙を出してたずねました。親切にみんな返事がきて、ほとんどの船が沈んでしまったことがわかったのです。その中で大阪商船が沈んでしまった船の絵ハガキをたくさん送ってくれて、会社へ遊びに来なさいと返事に書かれていたのです。空襲で、たくさん集めていた船の絵ハガキをすべて焼失してしまっていたので、感激しました。
私は大阪商船本社の工務部を訪れました。若い造船技師を紹介してもらって、以来ずっと親しく船のことを教えてもらうことになったのです。
そうしたことがあって、80歳をこえた今なお、好きな船の絵を描き続けています。