こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

トイレのおかげ (たくさんのふしぎ傑作集)(第141号)

野糞したことがある、という人は案外にいるのではないだろうか?

かくいう私も、山行で何回かしたことがある。人目さえ気にならなければ、最高に気持ちいい行為だ。自然と一体になったかのような幸福感がある。都市部のマンション住まい、排便は1日およそ3回という私個人の事情からすると、毎日野糞は難しいかもしれないが、状況が許せば野外でしてもいいと思う。

野糞を続けて43年 「奥さんよりもウンコを選んだ」伊沢正名の信念

野外排泄は気持ちいいとはいえ、緊急事態でなければ、山であってもトイレを使うべきだ。山を荒らしてしまうことにもなるし、「分解されない紙」問題が大きい。キジ撃ち・お花摘みに最適の場所というのはだいたい決まっていて(山行の休憩ポイントはだいたい同じだから)、この辺なら大丈夫かなーと思って見れば、白い紙が散らばっているという案配なのだ。

伊沢氏はなるべく環境に負荷をかけない形を模索しているが、野糞は気軽に始められることではない。氏は、

「野糞は1箇所につき年に1回限り」という前提で計算すると、1日1回365日ウンコをするとして、必要な面積は1人あたり1アール。日本人全員だと 1.2億アール(120万ヘクタール)です。これは日本の森林面積(2500万ヘクタール)の約20分1。高山帯や天然林など野糞に適さない土地を除外しても、余裕は十分にあります。

とおっしゃるが、都市部に密集して暮らす現在の日本に、そんな余裕は十分ない。というよりやってはいけない。チャレンジする人はいないと思うが……。

野糞に憧れる気持ちはあれど、当たり前だった時代に戻りたいとは思わない。今のような水洗トイレがなぜ普及していったのか、公衆衛生上の問題が大きいと考えられるからだ。排泄物を貯めずすぐ除去できるというのは、水系感染症を防ぐ上で大きな役割を果たす。過剰な除菌、学校のトイレでできない問題など、きれいすぎるトイレの問題もあれど、かつて不衛生のために死んでいった人たちのことを考えれば、おいそれと自然にかえれとは言えないのだ。

それでも憧れるのは『トイレのおかげ』にも紹介されている、“食べさせるトイレ”。豚小屋の上でうんち、海の上でうんち、それを豚や魚が食べて、その豚や魚を人間が食べる。何て無駄がない仕組みだろうと感心するのだが、実際そこで暮らしてみたらまた違った感想を持つのかもしれない。

トイレのおかげ (たくさんのふしぎ傑作集)

トイレのおかげ (たくさんのふしぎ傑作集)

冒頭で紹介した、野糞を続けて43年の伊沢正名氏は、きのこ類の写真家ということで、どこかで名前を見たことがあると思ったら『きのこはげんき』の作者であった。子供には小さい頃読んでやったし、秋になると学校の読み聞かせでも使う本だ。きのことうんちは相性が良いので、こういう主義を持つのもうなずける話ではある。