この本の登場人物は二人。ゴフムさんとソルテスさんである。
ゴフムさんは、“うたがいの名人”。みんながあたりまえだと思っていることを、うたがってみせるという。そのうたがいを解いてみせた人にはお金を進呈し、答えに詰まった人からはお金を取るというふれこみだ。
大勢の人たちがゴフムさんに言い負かされ、お金をむしり取られる。誰もやってこなくなったところで、ゴフムさんは子供たちにうたがうことを教え始めるのだ。
そこへ登場するのがソルテスさん。
「おまえさんは、子どもたちに『この世界は、ほんとは何もない、うその世界かもしれない』とか、『わたしは今ほんとに本を読んでいるんだろうか』なんて、うたがわせているそうじゃな」
続けて、
「おまえさんは、なかなかいいことを考えなさる。じゃが、そこでみんなをこまらせておわり、というのでは、うたがいのつかいみちを知らんとみえるな」
と言うのだ。
この世界があるとか、私がいるとか、どういうことなんだろう?時間だけはたっぷりあった子供のころ、通学途中などでえんえんと考え続けたことがある。ゴフムさんの問いは、子供のころの私の疑問と同じなのだ。
ゴフムさんはぶつけるうたがいを、ソルテスさんに次々論破されるが、実のところ私は、ゴフムさんの方に肩入れしたくなる。ゴフムさんはまた、
「自分が知らないことを知るためにうたがいなされ。ひとをこまらせてよろこんだり、いばったりしている自分を、これでいいのかって、うたがってみないとな」
とソルテスさんに嗜められるが、それでもやはり、ゴフムさんの仕様もない人間臭さが好きだ(キャラの好き嫌いの話ではないが)。
最後はやはり、
「うたがうということは、自分自身をぎんみすることで、ひとをこまらせてよろこぶためにすることではなかったんだなあ」
とゴフムさんは反省し、
「そうそう。それがわかっていれば、おまえさんのうたがい自体はとても大事なことだったのだから、わしの言ったことでおわりにしないで、もっともっと考えてよいことなんじゃ」
とソルテスさんに言われている。
でも「人を困らせてよろこぶ」とか「お金をむしり取る」という目的でなければ、すなわち目的が善であれば……ゴフムさんのうたがいのつかいみちは「良いこと」だと言えるのだろうか?子供たちにうたがうことを教えるという行為は「良いこと」だったのだろうか?ふと考えこんでしまった。
もしかしたら、ゴフムさんの投げかけたうたがいを、えんえんと考え始める子供もいるかもしれない。考えるのは良いことだという前提に立った話だが、下手の考え休むに似たりとも言うし、ただ考えればいいという話でもないのかな?とか……いろいろ考え始めると、じゃあ果たして今考えているこの問題は、うたがいのつかいみちとして正しいことなのだろうか?と……なんだか“下手の考え休むに似た”ことになってきた。私はソルテスさんにはなれない。

- 作者: 清水哲郎
- 出版社/メーカー: 福音館書店
- 発売日: 1998/04/01
- メディア: 単行本
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