こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

生きる(第342号)

先日子供の授業参観があった。

国語の時間は、谷川俊太郎の「どきん」という詩がテーマ。班で工夫して音読の方法を決め、練習して発表するというものだった。

班の様子はさまざま、役割をすぐ決めて練習に入るところもあれば、なかなか決まらず話し合いがずっと続くところもある。話し合いどころか、個人がバラバラに見える動きをしているところもあったりで、見ていて興味深かった。

いざ発表という段になると、話し合いがずっと続いていたり、個人がバラバラな動きをしていたところの方が、案外面白いものに仕上がっている。わからないものだなあと思った。

親としては、ただ失敗せずやり切ってほしいという凡庸な思いしかない。ちょっと緊張気味の様子にドキドキすると共に、1年生の頃は緊張のきの字も知らなかったのになあと、年相応の成長を感じたりもした。

 

今号の『生きる』も、谷川俊太郎の詩を元に作られた作品だ。

匿名という隠れ蓑を借りていうが、実はこの絵本が苦手だ。

谷川俊太郎の詩はもちろんすばらしい、岡本よしろうの絵も嫌いではない。でもこの二つが合わさると何となく違う、という感じがぬぐえないのだ。苦手だ、という感想を持つのはもちろん個人の自由だが、そんな自分の気持ちに居心地の悪さを感じてしまうことも確かで……皆が良いと言うものを、なぜ自分は良いと思えないのだろうと。別にいいじゃんと開き直るのもありだが、そうできないのは「たくさんのふしぎ」が好きだから、この本も好きでありたいという気持ちがあるからかもしれない。

詩の中に“それは ミニスカート”というフレーズがある。この詩が発表された当時、若い女性の写真といっしょに雑誌に載っていたそうだ(本号「作者のことば」より)。ミニスカートという言葉から私が連想するのは若い女性の太もも。生々しい性欲ともつながるものだ。生きるというのは美しい面もあれば、どろどろしたあまり直視したくない面も持ち合わせている。私の中でこの詩は、決してこの「たくさんのふしぎ」の絵ではイメージされないものなのだ。

生きる (月刊 たくさんのふしぎ 2013年 09月号)

生きる (月刊 たくさんのふしぎ 2013年 09月号)

この絵本は、

東日本大震災直後の2011年に企画されました。これから息が詰まる毎日を過ごすことになるかもしれない読者の子どもたちに、長く寄り添うような一冊を「たくさんのふしぎ」で届けられないだろうか、と企画されたものでした。

という経緯で作られたものだという。2年のときをかけて完成し、この間岡本さんと担当とでかわされたラフは40冊をこえたそうだ。

日常にこそ、生きていくことのすべてがある『生きる』|ふくふく本棚|福音館書店公式Webマガジン