こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

石ころ 地球のかけら (たくさんのふしぎ傑作集)(第77号)

今住んでいる市では「水辺の楽校」というイベントを開催している。

市内を流れる川で川遊びしたり、自然観察をしたり。身近な自然に親しむ活動だ。1年生のときから参加しているが、イベントによっては抽選に外れることもある人気ぶりだ。

中でも「石ころウォッチングと野鳥観察」は、子供が楽しみにしていたので当選して大喜びだった。参加は通算3回目になるが、漫然と活動するだけだった1年生、少し知識を得て動けるようになった2年生、そして野鳥の知識をたっぷり蓄えてやる気まんまんの3年生と、成長が実感できるのが面白い。

子供は「石に執着する子」ではないかと書いたことがあるが、興味の度合いとしては野鳥の方が大きい。石ころウォッチングはそれほど熱心にやらないかなあと思っていたが、一緒に行った夫によるとそれなりに積極的だったようだ。去年は石を見つけるたびにチャートだよチャートってうるさかったけど、今年はそんなこともなかったよとのこと。もっとも子供は石そのものより、見つけた石をロックハンマーでかち割る方を楽しんだに違いないが。

 

『石ころ 地球のかけら』は『しずくのぼうけん』の石バージョンともいえる本だ。

石が旅をしてさまざまに変わっていく様子も、擬人化された石のキャラクターのテイストも似通ったところがある。一滴のしずくと違うところは、生まれも育ちも旅先も違う石たちが、それぞれ外見を異にし色や模様の違いを見せるところ。あたかもひとの人生のようだ。もういい大人である私は、来歴を想像しそれぞれの石の来し方行末に思いを馳せてしまう。

しかしそんな人間の感傷などおかまいなしに、石ころは人の命を奪う凶器と化すこともある。有珠山のように噴火を予知できることもあるが、多くの場合科学的知見があろうとも予見の難しい災害であることは確かだ。予知の努力を否定するわけじゃないけれど、くり返し起こる被害を見ても明らかなことだ。

噴火によるエネルギーは、もの言わぬただの石ころが、まさに「地球のかけら」であることを否が応でも教えてくれるのだ。