こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

ポリネシア大陸(第422号)

イースター島 ちいさくて大きな島(第359号)』の「作者のことば」で、野村哲也氏は次のようなことを語っている。

 イースター島にやって来た最初の人々は、ポリネシアから渡ってきましたが、イースター島からさらに東の南米へ向かった人や、または逆に南米からイースター島ポリネシアを目指してやって来た人たちがいたようなのです。(『イースター島 ちいさくて大きな島』ふしぎ新聞「作者のことば」より)

本号は、その謎を追って各地を旅する話だ。

ポリネシアを知っている人は、「大陸」という矛盾する言葉がつけられているのを不思議に思うだろう。なぜ『ポリネシア大陸』なのか?それはぜひ本書を読んで確認してみてほしい。世界地図を広げながら、何度もページを行ったり来たりしながら、写真を見比べながら、じっくり読みすすめてほしい。たったの40ページなのに、読み終わった後は、壮大な世界を、時間を旅してきたような気分を味わえることだろう。

世界中を旅し、移動してきた作者がその目で見ているのは遺跡そのものではない。かつて現地で生きて旅してその証を遺していった人々の姿だ。写真のモアイやティキ(守り神の像)は、ほとんど過去のものであるはずなのに、圧倒的な存在感で迫ってくる。守り神をよりどころに暮らしていた人々の思いは、モアイやティキに命を吹き込んでいたのだ。その命の力が、作者の旅をみちびいたのかもしれない。

作者は「自然写真家」であるが、その「自然」には人間の営みも含まれているのだと思う。遺跡の、自然の写真が、生き生きと語りかけてくるように見えるのは、今なおそこで生きる現地の人々まで引っくるめて描かれているからだ。その中にはもちろん、作者自身の姿も含まれている。

最後は、

 1000年以上もまえに、彼らが旅した痕跡は、まだどこかに残っているのだろうか。もしかしてあの正座する石像たちがなにかを知っているのだろうか。この謎を解くカギが見つかるのなら世界のどこへでも飛んでいきたいと、いま僕は思っている。

という言葉でしめくくられている。「作者のことば」には、新たな遺跡発見の報を受け、すぐさま現地に飛ぶ様子も書かれている。

世界のどこへでも飛んでゆけない今、作者はどう過ごしているだろうか。旅に出られる日を心待ちに、今度はどこへ飛ぼうかどんな人たちに出会えるか、わくわくしながら計画を練っているに違いない。