ウンム・アーザルのキッチン(第471号)
ウンム・アーザルのキッチンは、ハイファにある。イスラエル北部の港町だ。
「ウンム・アーザル」は一種の敬称。“アーザルのお母さん”という意味だ。本名はマラケという。かつての日本含め、オールドタイプの世界はどこもそうだが「息子の名前が敬称になる」ような価値観を持つ。今の日本に生きる女の私はなんだかもやもやしてしまうけど。
キッチンは、彼女の仕事場であり居場所でもある。
自宅のはもちろんのこと、賄いの仕事をしている修道院のキッチンもそうだ。
出てくる料理のなんとおいしそうなこと!現物の写真はなく、イラストと言葉だけなのに思わず作ってみたくなる。
パセリのサラダ(タッブーレ)
パセリをみじん切りにして、ふやかした小麦のひき割りとあえ、レモンと塩とで味つけしたものです。アラブ人の大好きなサラダです
こんな感じで簡単な説明だけなのに、なんとなく作れそうに思えてくるのも不思議。小麦の挽き割りというのはブルグルのこと。業務スーパー行くと、レトルトのブルグルピラフを見かけるけど、あれの材料だ。日本ではエキストラ程度の扱いしかされないパセリが、主役としてこんなにキュートなサラダになるなんて。あっつい日に氷入れた白ワイン(安いやつでいい)片手に食べたらどんなにか素敵だろう。
料理や食材のイラストがおいしそうに見えるのには理由がある。ぜひ本号を読んで確かめてみてほしい。ウンム・アーザルにとって、料理する(買い物も含め)というのがどんな意味を持つのか、すぐにわかるはずだ。でも家族の食事を担ってると、本当にあんな感じに見えるんだよね。たとえウンム・アーザルが買い物してるような外のマーケットじゃなくても、普通のスーパーであっても、食材が鮮やかに輝いて見えるのだ。
「ブドウの葉包」もおいしそう。ギリシャあたりのドルマと同種の料理だろう。日本でも手作り餃子が大変なのといっしょで、こちらもかなり手間がかかる。ウンム・アーザルの親友リディアと、作者と三人で作業する様子は、日本の女たちが台所でおしゃべりしながら料理してるのと重なる風景だ。
日本も今でこそ、女の仕事/男の仕事という垣根は無くなってきてるが、キッチンは基本、女の領分なのだ。作者の目的は研究だけど、人を研究するには仲良くなる必要がある。心を開いてもらわなければならないのだ。手っ取り早いのは一緒に食べることだが、もっといいのは一緒に作ること。女の仕事が決まっている世界では、彼女たちの領分に混ぜてもらい、教えを請うのがいちばんだ。『ギョレメ村でじゅうたんを織る (たくさんのふしぎ傑作集) (第102号)』然り『砂漠のサイーダさん(第290号)』然り。こういう世界で女の話を聞けるのは、女にしかできないことだ。
「産んだ息子の名前が敬称になる」世界で、女として産まれて生きるとはどういうことか。ウンム・アーザルの言葉の端々から、影の部分が垣間見える。「たくさんのふしぎ」の対象である、今を生きる日本の子供たちには実感できないところだろう。昭和女の私には多少わかる部分もある。旦那が働かないのよ〜みたいな世界は、今の日本にも転がってるし。
しかし、私にも本当の意味ではわからない部分がある。国のなかで少数派として生きるのはどういうことなのか、というところだ。ウンム・アーザルの属しているコミュニティは、イスラエルの中でもマイノリティだ。この辺の心情は、自国でマジョリティとして生きる自分にはなかなか想像がつかない。
イスラエルはご承知のとおりユダヤ人の国。ユダヤ人が7割を占めている。アラブ人は2割ほど。ウンム・アーザルはアラブ人だ。それだけではない。アラブ人の多くはイスラーム教徒だが、ウンム・アーザルの家はキリスト教を信仰しているのだ。これは別に改宗したとかではない。ウンム・アーザルの出身地が、この辺りにイスラーム教が伝わる前からキリスト教を信奉してきた村だからだ。イスラエルのアラブ人、なかでもキリスト教徒ということで、全体ではわずか1.4%しかいないグループなのだ。
ユダヤ人の国ということは、ユダヤ人に支配されるということ。ユダヤ人でない者は有形無形の差別を受けるということでもある。ウンム・アーザルの家もイスラエル建国に伴いアラブ人の権利を制限されたことからやむなく故郷を出ることになり、結果としてハイファで暮らしているのだ。
作者が研究するきっかけとなったのも、自国で小さい集団であるキリスト教徒が、日々どんなことを考えて生活しているかに興味を持ったからだという。
国の中でマイノリティで、なおかつ同類の中でも社会的に下に扱われがちの女性。
ウンム・アーザルはその一人として生きている。諦めざるを得なかったことも多く経験してきた。それでも、ただ流れに翻弄されて生きるばかりではない。慣習として父親が結婚相手を決めるべきところ、一族の反対を押し切って自分の意思で結婚相手を選んだのだ。
私はもう自分の力で生きているし、
村にしおくりだってしている。
自分の人生を決めて、なぜいけないの?
側から見ると、この結婚は失敗だと思えてしまうかもしれない(それでも夫婦のことは夫婦にしかわからない)。しかし兎にも角にも彼女は四人の子供たちを、その腕一本で立派に育て上げたのだ。
ウンム・アーザルのキッチンは、彼女の人生そのもの。子や孫を育てた場所でもあり、家族と喜びを分かち合う場所でもある。作者含め友だちと他愛ないおしゃべりをする場所にもなれば、自分の好物を作って楽しむ場所でもある。キッチンは彼女にとって、誇りを持って生きてきた人生の象徴なのだ。
このお話は、10〜20年くらい前のウンム・アーザルとの交流をもとに描かれたものだ。彼女の孫の一人はなんとウクライナの大学で医学の勉強をしていたという。イスラエルという国、ウクライナという国の置かれた現状を見ると、その後のことが気になってくるだろう。
「作者のことば」では、今の一家の様子が伝えられている。もちろん、昨今のイスラエル情勢の影響は受けているし、彼女含め一家のメンバーにも変化が訪れているが、概ねは平穏に暮らしているようだ。
俄然ハイファに行ってみたくなってきた。もともと興味がある地域で、シリアやヨルダンには訪れたことがあったが、イスラエルなんかには行かないとか思ってた。本号を読んで気づいたが、イスラエルは決してユダヤ人だけの国じゃないのだ。しかし「レベル2:不要不急の渡航は止めてください」が、せめて「レベル1:十分注意してください」に引き下げられる日は、いつやってくることだろう。
<2024年6月25日追記>
『虎に翼』の梅子さんを観ていると、どうしてもウンム・アーザルを思い出してしまう。妻には長年DV、働きもせず義理の妹にまで手を出そうとする稀に見るクソ夫だったが、彼女は親戚の司祭に説得されて離婚を諦め、生活のため懸命に働き、夫の晩年には介護をせざるをえなかった。→
— 菅瀬晶子/Akiko Sugase (@ruzbihalib) 2024年6月25日
やっぱり「たくさんのふしぎ」には書けないことがいろいろあるんだろうなあ……。
<2025年8月25日追記>
本館准教授、菅瀬晶子(すがせ・あきこ)殿が、令和7年3月31日(月)に逝去されました。
— 国立民族学博物館 (@MINPAKUofficial) 2025年4月3日
ここに深く哀悼の意を表するとともに謹んでお知らせいたします。
今年3月、菅瀬さんが亡くなられた。ウンム・アーザルに再会したいという願いを叶えることなく。
本号を読んで、もっとウンム・アーザルが属するコミュニティのことを知りたくなったので、『イスラエルのアラブ人キリスト教徒 その社会とアイデンティティ』を取り寄せてみた。
イスラエルはガリラヤ地方にある「F村」とハイファを取材し、「イスラエルのアラブ人キリスト教徒」の社会がどんなものか、どんなアイデンティティを持っているかを調査したものだ。
どんなアイデンティティを持つかというのは、平たくいうとどこまで「身内感覚」でイケるのかということだ。仲間意識と言い換えてもいいのかもしれない。私たちの例でいえば、いちばん身近なところなら「家族」だろうし、かなり広く取るなら「日本人」ということになるだろうか。ちょうど今夏、甲子園で沖縄代表が優勝したが、全県あげての応援ぶりは「ウチナンチュ」としてのアイデンティティを感じさせるものだった。
なぜ「F村」か。イスラエル国内にはガリラヤ地方を中心に数多くのアラブ人村があるが、ここは村民すべてがメルキト派のキリスト教徒なのだ!ルーツも信仰も同じという同質性の高いコミュニティだ。
一方のハイファ。ここは「F村」のようなコミュニティから出稼ぎなり結婚なりで出てきた人たちが暮らしている。ウンム・アーザルもその一人だ。イスラエルの都市の中でもアラブ人の割合が比較的高く、アラブ人キリスト教徒の数も多い。とはいえ、アラブ人であること、キリスト教徒であることは、二重の意味でマイノリティなのは変わりない。このハイファで「F村」から移住した人たちは、どのような人間関係を築き、どこまでの属性に仲間意識を感じているのか。
ポイントとなるのがアラブ人コミュニティでみられる、父系親族集団「ダール(ハムーレ)」だ。
http://www.bunka.soken.ac.jp/journal_bunka/060315_sugase/thesis_sugase.pdf
ダールには力関係があって、有力なダールは村内政治でも力を持つ。畢竟ダール内のつながりで姻戚関係を結び、勢力を維持していくことになる。父方のいとこ同士の結婚や伯父(叔父)ー姪での結婚も多いようだ。当然結婚は親同士が決めることになる。
こんな濃ゆいコミュニティで、両親の反対を押し切って、ウンム・アーザルは自分で決めた男と結婚したのだ。この本を読むと彼女の「勇気」がどれだけすごいものだったのか改めて実感できる。彼女がどんなコミュニティで生きて、彼女が暮らしているハイファがどんなところなのか、その一端を垣間見れてとても面白かった。
実はこの「F村」、おそらくウンム・アーザルの出身地なのだ。
「たくさんのふしぎ」で、ウンム・アーザルは「ハイファから50キロメートルほどはなれたイスラエルの北の果てのキリスト教徒の村」で生まれたとある。そして14歳のとき、出稼ぎで村を出る父親ときょうだいと共にハイファに来た。彼らの身の回りの世話をするためだ。
本書のあとがきにはこうある。
まず誰よりも先に、ガリラヤ地方における私の祖母および母となってくださった、バドリィエ・フーリーさん、マラケ・フーリー・アーザルさん母娘に、最大級の敬意と感謝を捧げたい。お二人はそれぞれ、F村とハイファで私の面倒をみてくださった。彼女からからすれば、地球の裏側からたったひとりで「地の果て」までやって来て、選挙の仕組みから村人の系譜、はては保存食の作り方まで調べ回る私の姿は、奇怪きわまりないものであったに違いない。それでもお二人は、調査から帰った筆者をいつもあたたかく迎え、質素ながらも極上の料理に、時にはアラック(葡萄焼酎)を添えて励ましてくれた。今や齢九十を越えたバドリィエさんだが、髪はまだ黒ぐろとしており、記憶も確かだ。マラケさんも、「私の人生、失敗ばかりよ。もういい加減、くたびれちゃったわね」と言いつつも、あいかわらず無類の働き者で、頭が下がる。本書を彼女たちに捧げるとともに、お二人の末永い健康を願ってやまない(『イスラエルのアラブ人キリスト教徒 その社会とアイデンティティ』199ページより)。
「マラケ・フーリー・アーザルさん」こそウンム・アーザルその人だ。「たくさんのふしぎ」6ページには、村を出る別れのシーンが描かれているが、見送る女性の方はお母さんのバドリィエさんだろうか……。
菅瀬さんは向こうできっと、バドリィエさんとは再会できたことだろう。

