こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

線と管のない家(第420号)

私たち家族は、これまでさまざまな家に住んできた。

一軒家/集合住宅という違いだけではない。電気・ガス・水道などのライフラインも、いろいろなパターンがあった。

電気は大手電力会社10社のものを使ってきたが、オール電化でガスがなかったり、トイレが浄化槽で下水道代がなかったり(浄化槽の維持管理費はかかる)。現在のマンションはプロパンガス方式だが恐ろしく高い。この時期でこの料金ならこの東北で厳冬期はどうなってしまうのか。転勤族のネットコミュニティでも、嘆息とともに語られるのがプロパンガス代だ。高いゆえに、自然、節ガス・節水を心がけるようになった。圧力鍋を利用したり、野菜の下ごしらえには電子レンジを使ったり。夏は魚焼きグリルでとうもろこしを焼くのが定番だったけれど、今年からは作らなくなりそうだ。

『線と管のない家』の、「線」というのは電線のこと、「管」とは水道管やガス管のことだ。つまり、電線や水道管、ガス管につながれていない家を作ろうという試みだ。家づくりを手がけるのは中村好文氏。家の持ち主となるのは吉田牧場を切り盛りする吉田全作氏だ。吉田氏の友人である森枝卓士氏が、この家づくりの話を写真絵本に作りたいと持ちかけたところから始まった本だ。

できあがった家は本当に素敵なおうちだ。ロケーションも素晴らしく、四季折々の変化もすぐそこで感じられる環境に建てられている。周囲に何もないおかげで、夜になると、家からもれ出す灯りがぽうっと浮かび上がって、フォトジェニックなことこの上ない。木をふんだんに使った内部は温かみがあって、いつまでででもそこで過ごしたいと思うような居心地の良さにあふれている。

家の美しさもメインではあるけれど、主題はもちろん“線と管のない”というところ。上水と下水、発電の仕組みをどうしているのかは、本書を読んでぜひ確認してみてほしい。

 

が!

私はこの本を読んで、めちゃめちゃモヤモヤした気分を抱えざるを得なかった。数多の「たくさんのふしぎ」を読んできたが、こんな気分を強く感じたのは初めてだ。いちばんは、この本の家の“線と管のない”というのが、本当にエネルギーの節約になるのかということ。もう一つは、本当に大災害時に耐えうるものなのかということだ。 

 つまり、遠くから来る電気や水道、ガスなどのお世話にならずに、生きていけるシステムができあがったのです。

 地震も台風もこわくない……はず。(本文より)

著者はこう書いているが、「……はず。」の部分に、どうも何か迷いを感じてしまうのだ。地震や台風は決して侮るべきものではない、ということだと思うが、 “遠くから来る電気や水道、ガスなどのお世話にならずに、生きていけるシステム”というのが、本当に可能なのかまだまだ手さぐり、という感じもあるかもしれない。

もちろん「作者のことば」で森枝氏が述べているとおり、

 吉田さんも中村さんも、自分たちがやっていることは、サンプル、提案だと言っています。こういうことが出来るのだという実験を兼ねての暮らし。

ということはわかっている。本当にエネルギーの節約になるのか、本当に大災害時に耐えうるものなのか、それはわからないけど、まあやってみようよ、ということなのだ。

しかし、まあやってみようよというところが、まためちゃめちゃモヤモヤした気分を引き起こしてしまう。

家の電気はソーラー発電でまかなっていて、

 曇りの日でもそれなりに発電されるので、電気で困ることはありません。一度に使える電気の量は分かるので、洗濯機を動かす間はキッチンのヒーターは消して……というような工夫をしたらよいのです。(本文より)

というように、工夫して使わなければならなかったりするし、上水・下水の仕組みにしてもうまくできてはいるけれど、それなりにメンテナンスが大変なのではないかと推測する。

つまり、決して便利な家ではないのだ。線と管のない家だから当たり前なのだが、こういうちょっとした不便を楽しめるのは、普段便利な生活をしているからこそのこと。ちょっとした不便が「毎日続くこと」に耐えられるのだろうかということだ。これは本書でも紹介されている中村氏の本『食う寝る遊ぶ-小屋暮らし』を読んだ時にも感じたことで、たまにちょっとした不便や手間を味わうから楽しいのであって、毎日となれば楽しいとは感じられないのではないかと。『食う寝る遊ぶ-小屋暮らし』のAmazonカスタマーレビューの中には、何処かのお金持ちの別荘遊びにしか見えないという辛辣なものがあったが、正直私も同じ感想を抱いてしまった。

『線と管のない家』には、家づくりの相談をする二人は「秘密基地」を作る子どもたちみたいに見えた、と書かれているが、その相談の中に他の家族はいないのかと。小屋づくりなんて所詮「浮世離れした男の趣味」じゃないんかと。日々の家事やメンテナンスのことは考えているのかと。

このモヤモヤは、つまり「私」の問題なのだ。私がこの家に住んだらと仮定して、私が感じている不満なのだ。吉田氏の家族は氏と同じ考えでそこに暮らしているのだろうし、不便とも感じてないかもしれない。ちょっとした不便を楽しみながら日々生活しているかもしれない。「私」の不満なぞ知ったこっちゃないのだ。

 

こちらのブログには、次のようなことが書かれているが、

一方で、この暮らしを批判する人は、このドキュメンタリーがその人自身の今のライフスタイルの内省を促すようで批判するのではないかと思う。自分の生活を他人に指摘されるのは不愉快であろう。その反動で逆にこのドキュメンタリーの暮らしでの矛盾を批判し、白か黒かで(プリミティヴかそうでないかで)結論を下すのだ。

まさに、私が感じてしまっているモヤモヤはここからきている。おそらく、いま享受する便利な生活を批判されているように感じてしまっているのだと思う。同じように「不便」な生活をしろなんて、誰も言ってないんだけれど、なんとなく罪悪感をかき立てられてしまっているのかもしれない。

もっと言えば、うらやましいという気持ちもあるのかもしれない。転勤族は住まいを選べない。選べても範囲に限りがある*1。自分の好きな場所で、好きな家で、好きなスタイルで生活する。こんな暮らしができている人は一握りかもしれないけれど、多少はみな妥協と我慢で暮らしているところはあるだろうけれど、好きな場所、好きな家を選べてうらやましいなあという気持ちがあるのかもしれない。

その時々の「環境」や「家」に合わせた生活を作っていくのも、楽しくないわけではないが……それにしても、プロパンガス高すぎ!ガスを気兼ねなく使える生活がしたいよー(結局不満はそこか)。私のような小市民が省エネを意識するためには、「シンプルでていねいな暮らし」みたいな理想よりは、お金がかかるという現実的なインセンティブをはたらかせるしかないのだろう。

*1:仕事は選べるでしょ、配偶者は選べるでしょと言われれば辛いものがあるけれど。
ちなみに今回の転勤では初めて家選びでもめた。一軒家がいいという夫と息子vs.マンション派の私。下見した3月半ばで厳冬期を察してあまりある寒さ。とても一軒家は選べなかった。おまけに2LDKなのに2階建、トイレは1階のみ。冬の夜にトイレなんか行けない。ちっちゃい庭だけど草むしり要るよね?素敵な庭木あるけど手入れしないと素敵じゃなくなるんじゃない?冬の朝、誰が雪かきするのかなあ?だいたいこの狭い間取りでお前の趣味の釣道具山道具どこに置くよ!みたいな懸念を並べ立てる妻に、辟易した夫が折れた。
そういうところも工夫して家族いっしょに楽しめばいいのかもしれないが、結局家にいることが多い人、つまり私の負担になるのは火を見るよりも明らかだ。