これは、サーカスに魅せられた人たちのお話だ。
サーカスといっても本書で紹介されるのは、「ヌーヴォー・シルク」につながる新しい形のサーカス。人のパフォーマンス中心のもので、動物を使った曲芸は一切出てこない。ある夏の日、公演を見た作者はすっかり魅せられ、新しいサーカスのことをもっと知りたいと思うようになる。公演パンフレットに記されていた「ナショナルサーカス学校」に興味を持ったのをきっかけに、はるばるカナダはモントリオールまで取材に飛ぶのだ。
ナショナルサーカス学校で学ぶのは、サーカスの技術だけではない。運動機能学、サーカスの歴史といったサーカスに関わる授業はもちろん、数学やフランス語などの授業もある。単なる職業訓練校ではなく、サーカス・アーティストとして自分を表現することを学ぶ、芸術学校なのだ。
この本に登場するのは、サーカス・アーティストや、サーカス学校の生徒たちだけではない。作者にサーカスに関わる情報を教えてくれた人*1もいれば、モントリオールでのサーカス学校の歴史や取り組みについて話を聞かせてくれた人もいる。皆やっていることは異なるけれど、サーカスに「夢」を見ていることだけは一緒だ。各人の夢や熱意といったものは、必ずしもストレートに伝わるようには書かれていない。しかし、読めば読むほどサーカスに行ってみたい!という気分が盛り上がってくるのが不思議なところだ。
もっとも、サーカスの中にいちばん「夢」を見ているのは、作者自身かもしれない。サーカス学校のことを知り、いつかモントリオールに行こうと決めてから、実に8年近く夢をあたため続けるのだ。この本からは「夢」をかなえた作者が、夢中になって取材を行う様子がひしひしと伝わってくる。学校の取材も1日だけの予定が、次の日もまた次の日もと延び、「サーカスアーツシティ」を目指すモントリオールの街を朝から晩まで歩き回る。「新しいサーカス」の文化は、モントリオールという街に支えられているのだ。この本は、自分に「夢」を見せてくれたサーカスのことをもっと知りたい、もっともっと伝えたいという「夢」の本なのだ。
作者を一目で魅了した「ある夏の日の公演」こそ、かの有名なシルク・ドゥ・ソレイユだ。本部はナショナルサーカス学校のすぐそばに設けられている。残念なことに、シルク・ドゥ・ソレイユは、カナダの破産法に基づき会社更生手続きに入るという。劇団員3480人は解雇され、債権者と交渉に入り、興行復活までの資金繰りに道筋をつけるという話だ。ナショナルサーカス学校の活動自体も、今は閉鎖中のようだ。
サーカスのほか、観客動員を前提としたエンターテインメントの世界は今、苦境の真っ只中に立たされている。サーカスもその他の舞台芸術も、単に見るものではなく、その場で体感するものだ。観客の反応も含んだ上で作り上げる「魔法の世界」だ。決してヴァーチャルでは味わえない体験なのだ。たとえ興業が復活しても、これまで通り大勢の観客を入れた上での公演は、当面難しくなることが予想される。シルク・ドゥ・ソレイユ、その他のサーカスも、模索しながらの運営になっていくのかもしれない。
サーカスの学校は、サーカスの「伝統」維持が難しくなった*2ことで生まれた学校だ。技術の継承が学校という形に変わったように、従来の公演形態もまた、変化を遂げる時なのかもしれない。これから先、サーカス・アーティストの、新たな活躍の場が、サーカスに魅せられた人たちの手で作り出されてゆくに違いない。そうであることを心より願っている。
- 作者:西元 まり
- 発売日: 2010/02/10
- メディア: ハードカバー
*1:西田 敬一さん 『果てしなきサーカスの旅』(現代書館) | ウェブマガジン この惑星(このほし)
*2:伝統的なサーカス団は家族経営で成り立ってきたが、後を継ぐ子供の減少や児童労働禁止の制約もあり、後継者を育てる事が困難になってきた時代背景がある。