『龍をおう旅(第83号)』で、古今東西の龍を求め旅した作者が、本書で追うのは「ふしぎな動物たち」。動物といっても、取り扱われるのは実在のものではない。龍と同じく空想上の動物たちだ。
たとえば麒麟。6〜7ページには、中国泉州は開元寺の壁にいる麒麟が紹介されている。“性質はやさしく、足元の虫や草をふむことさえしない”とされるとおり、青い鱗におおわれた厳しい姿ながら、顔つきはおだやかでどこかユーモラスだ。ふさっと生えたしっぽもかわいらしい。
8ページ、テヘランの洋品店の壁にはホマ。頭が鷲、体がライオンというグリフォンにもつながる動物だ。足元にサッカーボールがあしらわれているのが面白い。店主がサッカー好きなのだろうか?ホマはイラン航空のマークなどにも使われていて、幸せを象徴するシンボルとして愛されているようだ。
日本でも、邪鬼や獅子がお寺の屋根を支えていたり、柱を支えたりしているけれど、15ページで明の十三陵稜恩殿にある古い石碑を支えるのは、贔屓という龍の子。“贔屓の引き倒し”の語源を今更ながら知ってちょっと驚いた。
24〜25ページには、タンロン遺跡の「敬天殿」石階段(『龍をおう旅』参照)にそっくりな龍の手すりが、迫力たっぷりに登場している。こちらは同じハノイながらホーチミン博物館のものだ。
いちばん印象に残ったと書かれているのがラーフ。月食を司るものだ。ラオスの首都ビエンチャン郊外にあるワット・シェンクワンという寺院に鎮座在しましている。36〜37ページの写真では全体像が写されていなかったが、下記のページを見ると、ラーフは月を飲み込もうとしているだけではなく、上には太陽をかかげていることがわかった。現地では珍スポット扱いされているのも面白い。
ラオスの珍スポット – ブッダパーク(ラオス)【アジアの聖地から】 | 霊園・墓地のことなら「いいお墓」
「ふしぎな動物たち」がいるところの多くは、広場や公園といった公共の場所、お寺や神社、教会、お墓などの神聖な場所だ。なかでも建物の角、入り口など「出入りの区切り」となるところ、壁、窓、柱や屋根の支え、屋根の上や天井など「建物の要となる場所」に置かれることが多い。
これは「ふしぎな動物たち」が守り神としての役割を果たしているからだ。未来の無事がわからないからこそ、異形のものが持つ力、人知を超える力を欲するのだろう。「ふしぎな動物たち」は無事や幸せを願う、祈りの象徴でもある。
「作者のことば」によると、昼の光のなかでは「ふしぎな動物たち」も、おそろしいようでどこかおとなしく、力を抑え込み我慢しながらその場所にいるように見えるという。そんな彼らが活気を取り戻すのは夜。昼間はただの壁の飾り、ただの石像、古ぼけたり煤けていたりする「ふしぎな動物たち」も、夜になると力を取りもどし今にも動き出しそうに見えるそうだ。 夜が彼らに力を与えるのも、夜の方がより守りを必要としていることからも納得できる。
家にも「ふしぎな動物たち」がいる。おそろしいものではなく、現実の動物をデフォルメしたかわいらしいぬいぐるみだ。子供は、ぬいぐるみという「ふしぎな動物たち」といっしょに寝ることで、夜の闇から守ってもらっているのかもしれない。