“エジプトはナイルのたまもの”
世界史を勉強すれば当たり前のように聞く言葉だ。エジプト文明が栄えたのはナイル川のおかげ、みたいな意味でとらえていたように思う。ヘロドトスの『歴史』からひっぱってこられたものだけど、実はそういう意図で書かれたのではないらしい。単に、エジプトの国土はナイルが運ぶ堆積土によってつくられた、という物理的な意味合いしかなかったようだ。
しかし、のちの人たちが“誤解”して、さまざまな解釈を付け加えるのも無理はない。
古代エジプトの人びとは、自分たちがのむ水も、家畜が飲む水も、畑の作物にやる水も、水という水はぜんぶ、このナイル川からくみあげていました。
また、ナイル川は、毎年きまった季節にはんらんし、作物にひつような栄養をたっぷりふくんだ土を、上流からはこんできて、畑にのこしていってくれました。
それに、水がひいたあとの土はやわらかくて、たがやしやすかったので、古代エジプトの人びとは、雨がふらなくてもこの土地で作物をつくり、ゆたかにくらしていくことができました。
でも、水がひいたあとの畑は、もとどおりに、きちんと区分けしなければなりませんでした。この問題をかいけつしていくうちに、古代エジプトの人びとは、土地をはかる方法をまなび、やがて、たいへんな土木建築家になっていきました。
ナイル川のめぐみともいえるゆたかさと、土木建築家としての力が、あのピラミッドをつくりあげたといえます。
これを「ナイルのたまもの」と言わずしてなんという。名言というのは勝手に独り歩きするものだ。
『ナイル川とエジプト』で紹介される「たまもの」は、なにも古代に限った話ではない。現代(といっても1980年代だと思うが)のエジプトが享受する賜物、著者曰く「私が見てきたいまのエジプトの農村のようす」もふんだんに盛り込まれている。
この頃の農作業は人の手に頼ったものだ。手すきで畑を耕したり、ウシを使って土おこししたり。水がめを使って水を運ぶようすも見られる。水汲みはなぜかいつも女性や子供の仕事だ。興味深かったのは「ハトの塔」。糞を肥料に使ったり、肉を食用にしたりする。エジプト人は鳩料理が好きらしい。
100羽の鳩から1年間に出るフンの量はどれくらい? ピジョンタワー | 鳥害タイムズ | エドバンコーポレーション
水を汲み上げるためのシステムもバラエティ豊かだ。
「シャドーフ」という錘を利用した水揚げ機。
「ダンブーラ」は、アルキメディアン・スクリューを利用したものだ。なんかこれ見たことあると思ったら、手賀沼親水広場「水の広場」で体験したことがあるものだった。ここは他にも水を利用した遊具があり、おもちゃ感覚で遊べるのがいいところだ。
「サキヤ」はウシやラクダなどの家畜の力を使って水車を回すもの。水車は水流の力を使うものでは?と疑問に思うだろうが、これは水平の歯車に垂直の歯車を組み合わせ、水平方向のものに畜力を当てることで水車を回す仕組みだ。
今ではおそらく、電動ポンプに取って代わられていることだろうが、つい最近といえる時まで昔からの道具が使われていたのだ。
合わせて読んだ『絵で見るナイル川ものがたり―時をこえて世界最長の川をくだる』の20〜21ページ「古代エジプト人の知恵(中部エジプト、1560年ごろ)」でも、シャドーフ(はねつるべ)や、サキヤ(水揚げ車)が使われる様子が描かれているし、ハトの塔もちゃんとあって「ハト料理は特別なごちそうとして珍重されています。」なんて書かれている。比べると『ナイル川とエジプト』の風景は、この1560年ごろとほとんど同じような暮らしに見えてしまう。『ナイル川とエジプト』本文では、
これらの道具はいまでも電動式のポンプにまじってつかわれていますが、こうしたむかしからの道具で水をくみあげるのを見ていると、時間がとてもゆっくりたっているようにかんじられます。
とも書かれているが、本当に時間がゆっくり流れているのかもしれない。ナイルの流れのように。
ナイル川は生活の糧であると同時に、道でもあった。
古代エジプトは、国土が広大でしたが、よくまとまっていた国だったといわれています。その理由は、いろいろあるでしょうが、いちばん大きな理由はナイル川だったと、私は思います。
確かに、エジプトの民はナイルから離れて生きていけないのだ。ナイルから離れて生活できないし、陸上の道も川沿いに作るしかない。それは今でも変わることはない。エジプトの人口分布図を見ると見事なほどに、ナイル沿いに集中している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/エジプト#地理
ナイルのめぐみ、ナイルのたまもの、と良い風に表現もできるが、逆に考えればナイルに依存した生活とも言える。ナイル川に生殺与奪の権を握られているようなものだ。だからこそ、ナイルの水をなんとか利用しよう、ナイルをどうにかコントロールしよう、という動機にもつながっていった。
著者はルクソールにある貴族の墓に施された絵を見て、
私は、この絵をはじめて見たとき、そこにえがかれている3000年まえの生活が、いまのエジプトの農村の生活とあまりにもよくにているので、とてもおどろきました。
という感想を抱いている。ナイルの農業は、古代エジプトの高度な文明によって完成し尽くされてしまったのかもしれない。
ちなみに子供は、この26ページに図版で紹介されている「メンナの墓」のなかの、
“水鳥やさかなをとっている少年、船はパピルス草をたばねてつくったもの”
に描かれた水鳥を見て、これオナガガモじゃね?と宣うた。注目するのそこかいな。確かにヒエログリフにも、オナガガモ本体だけでなく、オナガガモの頭とか、飛んでるオナガガモとか、オナガガモの飛び立ち(または着地)とか、いろいろな文字がそろっている*1。かなりメジャーな水鳥だったことは間違いない。
メンナ墓(TT69) Menna : ルクソールの風に吹かれて
Tomb of Menna in the Theban Necropolis - Matterport 3D Showcase
パピルス草は、いわばヨシと同様のものだ(『海と川が生んだたからもの 北上川のヨシ原(第432号)』)。古代エジプトで紙の原料として使われたのは有名だが、現代の石巻は北上小学校でも北上川のヨシを原料に「ヨシ紙漉き体験」がおこなわれている。ヨシ刈りをし、和紙の職人さんの指導のもと、自分の卒業証書用紙を作るのだ。ヨシやパピルスは古くからさまざまな用途に使われており、それだけで「ふしぎ」を1冊書けそうな勢いだ。
私は本当にエジプトに興味がなくて、行きたいと思ったことすらないのだが、『ナイル川とエジプト』を読んで、がぜん旅してみたくなった。エジプトと古代エジプト文明を一端でも理解するためには、ナイルを見るしかないのではと。ヴァーチャルツアーや「古代エジプト展 天地創造の神話」などの展覧会も、手軽に見物できるいい機会だけれど、やはり現地の空気感やスケール感はその場に行かないとわからないものだ。旅行なんかいつでもいける……と思ってたけど、国内の移動すらままならなくなる日が来るなんて、想像だにしていなかった。

- 作者:アン ミラード
- メディア: 大型本