こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

ロバのつくった道(第237号)

道は道でも(『道 ーきみと出会いにー(第218号)』)こちらの道は、スケールが違う。

人と動物が作った道、という点では変わりはないけれど。

道の始まりは獣道。人もけものの一部だから、ひとの道だってけもの道なのだ。人もけものも必要があって通る道。けものがとおり、人が踏みかため、人が作り、けものが使いと、出来上がってゆく(https://ja.wikipedia.org/wiki/けもの道#ヒトが作る獣道)。

 ウサギにはウサギの道、シカにはシカの道、アルマジロにはアルマジロの道、アリにはありの道があった。

 むかし、メキシコの村に、ときにはウマに乗った旅人が、道のない原野をやってきた。しかし、村人はうまれた村からでかけることはなかった。だから、人間には道がなかった。

村からはなれた小屋に暮らすひとりの若者が、相棒のロバを道づれに、遠くの町まで道を切り拓いていくようすは、けもの道そのものだ。道はやがて、ロバに荷を積んだ村人たちに使われるようになり、町との行き来が盛んになってゆく。村の人口が増え、乗合バスが走るようになり、運搬にロバが使われなくなって、やがて舗装工事もはじまり……と“都市化”が進んでいくようすは、『ちいさいおうち』を彷彿とさせる。村の変化が進むなかで、取り残される「年老いた若者とロバ」は、にぎやかに変わった町でひとり残される「ちいさいおうち」そのものだ。

「ちいさいおうち」は別の場所に引っ越すことになるが、「ロバのつくった道」は思わぬかたちで復活を遂げる。「ちいさいおうち」が、「このいえを たてたひとの まごの まごの そのまた まごに あたるひと」のときまでりっぱに建っていたように、「ロバのつくった道」も忘れられることなく、ふたたび日の目を見たのだ。

都会から村へと道路の整備が進み、道の主役が、ロバからトラックへと交替しても、ロバが人間の大切な相棒だったことを忘れない人は、都会にもたくさんいます。(本号「作者のことば」より)

現在でも、メキシコシティ近郊オトゥンバでは「ロバの日」として、盛大なお祭りが開かれている。

 

「作者のことば」は、

 竹田鎮三郎と私の住む、メキシコ先住民の村は、町へ行く道が、長いあいだ舗装のしてない泥の道でした。

という一節から始まって、ロバとひとが歩いてきたその泥道に、車が走るようになり、舗装道路へと変わっていくさまが綴られている。ロバの姿が減り、ウサギが跳ねるところも見られなくなった道。乾期は黄色い土ぼこり、雨期は泥だらけ、雨で川が増水でもすれば、水が引くまで待たねばならなかったような道だ。不便だけど野生の営みが残る道を、作者は愛していたのだ。この絵本は、その道の記念として描かれたものなのだろう。

絵・原案を担当した竹田鎮三郎氏は、長年メキシコに住み、アーティストにして、現地の美術教育にもたずさわってきたという。ロバと道をど真ん中にすえ、大胆に構成された表紙絵は、始まるお話への期待を高めるようだ。淡い色合いのなかに、ロバや車、人びとを黒でくっきり描き出した絵の数々は、日本の昔ばなしのようで、どこか懐かしい感じがする。