こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

ハチヤさんの旅 (たくさんのふしぎ傑作集) (第26号)

「ハチヤさん」が住むのは、鹿児島県は鹿屋市。しかし住むのはほんの半年ほど。残りの期間は旅をして過ごしているのだ。なんのための旅か?ハチミツをとるための旅だ。ハチヤさんはミツバチを連れ、鹿屋から、遠くは北海道・更別まで旅をし続ける。花の開花時期に合わせ各地を転ずる、移動養蜂(転地養蜂)を営んでいるのだ。「ハチヤさん」とは近所の人が、仕事にちなんで呼びならわしているもの。本当の名は、石踊いしおどりさんという。珍しい名字だ。

ハチヤさんの旅は過酷そのもの。旅のはじめは祁答院。鹿児島にある地名で“けどういん”と読む。祁答院でレンゲ蜜を取り終えたら、次は長野の松本市、秋田の小坂町へと移動してアカシアの蜜を取る。さらに北海道にわたり、クローバーとシナの蜜を取るというハードスケジュールだ。

スケジュールがハードなら、仕事もハードだ。とくに大変なのが移動。仕事のパートナーであるミツバチたちは暑さに弱い。たとえば、秋田から北海道への移動はこうだ。

暗くなるころを見計らって引っ越し開始。明るいうちは働きバチが帰巣しないし、暑さを避けるため、夜の涼しいうちにトラックを走らせる必要があるからだ。重い巣箱を運んで積んでという重労働のあと、休む間もなく運転席につく。ひと息つけるのは、青函フェリーのなかだけだ。下船したらすぐ運転開始。目指す更別までぶっ続けで走り続けるのだ。

曇りがちで気温の低い日は、一時止まって食事することもある。しかし日差しの強い時は、止まるわけにはいかない。走らないと巣箱に風が入らず、温度が上がって死んでしまうからだ。そんな時は、運転を続けながら奥さんに弁当を食べさせてもらうのだという。

函館港を早朝4時に出発して、更別に着くのは夕方の5時。北海道は広すぎる!到着後も追われるように、巣箱の積み下ろし・設置作業に取りかかる。毎年のことだから慣れているとはいえ、実にハードな引っ越し作業だ。

奥さん、と書いたが、石踊さんには子供もいる。小学生のYちゃんと、就学前のTちゃんの二人姉妹だ。移動のあいだ、Tちゃんは両親と旅をするが、学校のあるYちゃんは祖父母と鹿屋でお留守番だ。だから本州への長い旅の前には、祁答院からいったん鹿屋にもどり、Tちゃんにあいさつしてから出発する。

仕事がハードなら、親としての心情もハードだ。半年とはいえ、我が子と離れて暮らす気持ちは如何許りだろう。Yちゃんの方だって、ときに両親に甘えたいことがあるかもしれない。両親と一緒のTちゃんだってハードだ。たとえば小坂で拠点とする家は、山のなかの一軒家。周りに遊び相手はいないので、親の仕事中、一人で遊んで過ごさねばならない。ハチヤさんの仕事を支えているのは、子供たちでもあるのだ。

ハードなのはミツバチたちも同様だ。ハチミツは働きバチの労働のたまもの。花のミツをただ集めただけじゃハチミツにはならない。水分が多すぎるからだ。羽ばたきで風を送って水分を蒸発させたり、口に含んで水分を取り除いたりして、ハチミツを“製造”するのだ。

ミツバチの世界は、厳格な階級社会。働きバチ、オスバチ、女王バチの三つのカーストに分かれている。乱暴にいえば、働きバチは労働専門、オスバチは受精専門、女王バチは出産専門だ。

働きバチは孵ったばかりのころから巣の掃除係として働きはじめ、ようやくミツや花粉を集める仕事までたどり着いたかなと思うと、もう寿命が尽きてしまう。一方、オスバチの仕事はただ一つ。女王バチに精子を渡す役割だ。女王バチが生涯受精できるだけの精子を受け取り、繁殖期が終わると、オスバチの役目も終わる。もはや働きバチからの世話も受けられず、用済みとばかりに巣から追い出されてしまうのだ。待つのは死のみだ。

女王バチは、卵を産むだけの簡単なお仕事?とんでもない。寿命の短い働きバチを大量に維持するためには、大量の卵を産まなければならない。春から夏にかけては、その数一日に2000個以上にもなるという。女王バチの寿命は2〜4年だが、ハチヤさんは1年交替で女王を育てる。出産スピードが落ちてくるからだ。自然のハチとは異なる厳しさがある。人間が管理するミツバチは、紛れもなく経済動物なのだ。

移動養蜂は誰もにとってハードな仕事。自然相手は想定外も多い。仕事のキツさは変わらないのに、年によって収入は大きく上下する。不作の年は足が出ることすらある。輸送中にハチを死なせたり、伝染病にかかったハチを処分しなければならないこともある。

 でもだからといって、ハチヤをやめようとは思わないといいます。この仕事がとても気に入っているからです。

作者は、自然相手の仕事が織りなす緊張感や、旅先でのさまざまな出会いにすばらしさを見いだしているが、私は「この仕事がとても気に入っている」という言葉がストンと胸に落ちた。そのとおり、好きじゃなきゃ20年以上(本号発行当時)も続けられるわけがない。

ちなみに、家は鹿児島在住時代、このハチミツ屋さんからさほど遠くないところに住んでいた。たぶんどこかの店で買ったこともあるはずだ。こんな壮大な旅で採られるハチミツとはついぞ知らなかった。お店は健在のようだが、今も「ハチヤさんの旅」を続けていらっしゃるのだろうか。

この号の作者は沢木耕太郎。書いた当時は、ルポライターとして鳴らしまくっていたころではないだろうか。どうして、児童向けの「たくさんのふしぎ」を手がけることになったのだろう。その顛末は『246』という本に書かれている。

『ハチヤさんの旅』は、福音館の旧知の編集者からの依頼で受けた仕事で、子供向けの文など書けないから、はじめは断るつもりだったのだという。「たくさんのふしぎ」は、その道の人とか、その物事に興味を持つ人にお願いして作られると思い込んでいたので、これは意外な展開だった。

沢木氏は、養蜂家なんてテレビでもやってるし、蜂についての本だって出ているじゃないか、と思っていたところ、自分が養蜂家の生活についても、蜂の習性についても何も知らないことに気づく。

そうか、蜂か……と私は思った。取りかかれば手間のかかる仕事になりそうだったが、急に蜂について知りたいな、という気がしてきた。(『246』154ページより)

なんも知らないまっさらな状態で、気鋭のルポライターに取材して書いてもらう。そんな事情で作られた本とは想像すらしなかった。

たとえ子供のための文章とはいえ、書くからにはその一家と蜂たちの一年を見てみなくてはならない。その余裕があるかと訊ねると、まったくそのつもりだったという。それだけの時間と金をかけるつもりがあるなら、と一年がかりの仕事のスタートを切ることにしたのだ。(同154ページより) 

初っ端の祁答院では石踊さんと連日酒盛りに興じ、取材とは名ばかりだったという話が書かれている。付き合って呑み続ける福音館編集者の豪傑ぶりも相当だ。帰京するときは、タケノコだのインゲンだの地元の焼酎だのもちろんハチミツもどっさりもらって、一見すると何しに来たんだか?という感じである。

この呑みも半ば取材の一環なのだろう。著者が意識していたかはわからないけれど、とにかく、ヒトが胸襟を開き合うためには、会食が必要なのだ。先日読んだ『食べることと出すこと』で、そのことを身にしみて実感した。人が「食」でつながろうとする意識は、想像以上に強力なものだ。その力はときに圧力とすらなる。だからこそ、感染症が流行ろうが、感染のリスクが増そうが、(おもに)自民党の政治家たちは無理やりな理屈をつけて会食を続行しようとするし、リスクを理解する医師たちですら、会食を止められないのだ。

 

面白かったのは、小坂行きのとき、沢木耕太郎が子供連れで取材旅行に出かけたこと。Tちゃんの遊び相手になってほしいという、石踊さんからのお願いによるものだ。娘さんは当時2歳。しかも秋田から北海道への移動含め1週間あまりの道ゆきだ。娘さん本人に聞くと「ナイトーちゃん(注:本号の写真を担当した内藤利朗氏。沢木耕太郎とは旧知の間柄)」と一緒というのが気に入ったらしく、行きたいとの一声で同行を決めることになる。幼児づれでの取材旅行に不安を覚えつつ、里心ついたら母親に引き取りにきてもらえばいいか、と思い切る様子は興味深い。その後、さすがに北海道への移動は難しいと判断し、娘さんも帰宅に同意したので、奥様に迎えにきてもらって盛岡で分かれている(この娘さんは田澤利依子さんかな?)

 

上で「明るいうちは働きバチが帰巣しない」と書いたが、夕方くらいからの引っ越しだと戻り切れないハチたちも出てくる。そんな「残り蜂」たちの末路は悲惨そのものだ。

巣を失った残り蜂たちは、他の巣の残り蜂たちと合流し、しばらくは一団となって空を飛んでいるが、やがて外気の温度が下がってくるにしたがってひとつに固まりはじめ、木の枝などにぶら下がるのだという。しかし、巣もなく女王蜂もいない群れは長く存在することは不可能で、二、三日もすると、木の根元で全員が死んでいたりするという。(同202ページより) 

ここにも蜂ライフのハードさが書かれていた。

その他、福音館での雑誌内小欄で紹介された石踊さん一家の記事を見て、テレビ取材が“乱入”してきた話など、『ハチヤさんの旅』の裏話が垣間見れて、非常に面白かった。

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