こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

パリ建築たんけん(第117号)

子供のころ、いちばん行ってみたい外国はフランスだった。

大人になったら絶対行く。ルーブルやオルセーで絵を観たり、凱旋門や大聖堂とか名所観光するんだ!と思っていた。

それがどうか。大人になってン十年経つけれど、足を踏み入れてすらいないのだ。いつか行く時に使いなさいと、親戚からもらったフラン紙幣は、とうに紙屑と化している。

フランスなんていつでも行けると思ってた。お金と時間さえあればいつでも行けるって。なんていってるうちに、いつでも行けなくなってしまった。40年以上生きてると、行こうと思ってた場所がなくなったり、会おうと思ってた人と会えなくなったりする経験が、積み重なっていく。現に、ノートルダム大聖堂は、大規模火災で尖塔などを失い大きく姿を変えた。こういうのも一種の縁とはいえ、ちょっとした後悔で胸がチクチクする。

『パリ建築たんけん』は、誌上で楽しめるパリ観光だ。1994年発行だからちょっと古いけれど、タイムスリップした気分でそのまま楽しめばいい。パリ在住の子供たちも連れての“探検”なので、著者の視点だけでなく、子供の目線や感想も加えて作られているところが面白い。

著者の視点というのは、古い建物と新しい建物を見比べること。建築や美術に興味をもち、古い町をみるため、15年前(1970年代後半だろうか)初めてパリを訪れた作者。そこで出会ったのがポンピドゥー・センターだった。古い町並みのなかに登場する現代的な新しい建物。調べてみるとパリには数々の新建築が増えているという。そこで今回、古い建物と新しい建物を比べながら「建築探検」を試みることにしたのだ。

トップバッターはポンピドゥー・センター。新しいといっても、開館は1977年だ。もっともパリの歴史からすれば新しい部類なのかもしれない。見どころは建物だけではない。隣接するストラヴィンスキー広場の池も、カラフルでエネルギッシュな彫刻で彩られている。彫刻は噴水にもなっていて、ランダムな方向から噴き出す水が実に楽しい。ニキ・ド・サンファルがパートナーのティンゲリーと共に作ったものだ。

お次はルーブルルーブル自体に、古い建物と新しい建築が同居している。ルーヴル・ピラミッドだ。ポンピドゥー・センターの奇抜なデザインが、一部パリ市民から不興をかったように、このガラスのピラミッドも建設に反対する人がたくさんいたという。

今やシンボルともいえるエッフェル塔も、建設当時は賛否両論、激烈な批判も受けた建築物だった。本号では、

 ガラスのピラミッドや、ポンピドー芸術文化センターのようなきばつな建物も、このエッフェル塔のように、いつの間にかパリになくてはならない建物になるような気がします。

と書かれているが、まさにそのとおり、ポンピドゥー・センターは人気スポットに上り詰め、ルーヴル・ピラミッドもランドマークとなりつつあるのだ。

古い駅舎をお色直しして作られた、“新しい”オルセー美術館。新しい現代的な建物なのに、“古い”アラブ文様、アラベスクをモチーフに作られたアラブ世界研究所。こんなところにも、新しさと古さが同居している。

面白いと思ったのが、ピカソ・アリーナ。パリ郊外の町にある17階建てのアパートだ。ノートルダム大聖堂の薔薇窓とフライング・バットレスを大胆に引用した建物は、本家に負けず劣らず?迫力満点だ。

一見奇抜で珍奇に思える新しい建物、新しい町づくりも、古いものを尊重しながら進められているのだという。古いものを尊重とはいえ、聞こえくる反対の声を乗り越えるのは容易なことではない。批判を受けつつも実現していく背景には、パリ改造のような大手術を経てきている歴史があるのかもしれない。フランス革命しかり、苛烈な体制破壊をものともしない国は、同時に新しいものを受け入れる素地もできあがっているのだろう。

パリ近郊の都市再開発地区、ラ・デファンス。近未来都市を思わせるこの街も、古いパリの延長線上にあるという。ラ・デファンス地区のモニュメント、グランダルシュから真っ直ぐ伸びる道先にはエトワール凱旋門が立ち、シャンゼリゼ通り、コンコルド広場、そして7.5km先のルーブルまで続いているのだ。本文では、新しいパリを案内してくれたガイドさんが、

「デファンスは約25年かかって、現在のようになりました。これからもっと大きな町になる予定です。30年くらい後のパリに、また来てください。そのときは、わたしがもっと新しくなったデファンスを案内しましょう」

と語る言葉が書かれているが、30年後に迫ろうとしている今、ラ・デファンス地区はどのように変化していることだろうか。そしていつか、私がパリを訪れる日は来るのだろうか。

先日見た地球ドラマチックでは、まさに、古くて新しい、新しくて古い、パリを体現したような建物が特集されていた。「オルセー美術館 華麗なる変遷」だ。

「オルセー美術館 華麗なる変遷」 - 地球ドラマチック - NHK

オルセー美術館が現在あるのは、ナポレオンのおかげといったら言い過ぎだろうか。オルセーのある場所には、もともとナポレオン・ボナパルトが計画した「オルセー宮」が建てられていた。それがパリ・コミューン末期、放火により焼失し、30年ものあいだ廃墟のまま放置されることとなった。パリの中心部に、用途の定まらないちょっとしたスペースが残されたというわけだ。

そんな奇跡的な土地を、有効活用するものとして持ち上がった計画が、オルセー駅の建設だ。当時、パリからオルレアンを経由しフランス南西部方面の鉄路を担っていたパリ・オルレアン鉄道という会社があった。ターミナル駅は、中心部から少し離れたオステルリッツ駅にあったが、利便性の向上を目指し、パリ万博の開催も控えていたことから、オルセー宮跡地への移転が計画されたのだ。

まとまったスペースとはいえ、そこはパリ中心部、周囲は建物に囲まれ、限られた空間での工事にならざるを得ない。駅だけでなく、万博の客を迎えるためのホテルも建設するという盛り盛りのプラン。駅の周りにホテルが張り付くような変形スタイルで建てられることになった。

鉄道は当時、最先端技術を象徴する産業で、オルセー駅は技術革新のシンボルであり、万博の記念碑ともなる建物だった。エッフェル塔でも試みられた「金属の枠組みを使った構造物」、これをオルセー駅でも採用することとなった。使用された鉄骨の総量は12000トン、エッフェル塔を上回る量だ。しかし、そこは対岸にルーブルやチュイルリー庭園を望むような立地、エッフェル塔のように剥き出しの鉄骨を見せつけるかのような建築物は許されない。そこで外観は石の外壁で化粧され、伝統的なファサードを備えた石造り風の建物として装飾が施されることとなったのだ。内部構造は最先端の技術を採用しつつ、外観は古いパリに調和させる。オルセー駅はまさに新しさと古さが同居する建物だった。

面白いのはオルセー駅を支える地下床の素材に、オルセー宮解体で出た瓦礫を再利用した、ブロックが使われたこと。地下にはオルセー宮の名残も眠っているのだ。

最先端は駅の建物だけではない。オステルリッツ駅からオルセーまでは、地下トンネルで結ばれることとなり、3.6キロあまりの延伸工事はわずか16ヶ月という短い期間で完成を見る。脇にセーヌが流れる場所での工事は、浸水の恐れもある危険なものだ。当時の技術の高さがしのばれる。潤沢な資金も。

地下トンネルには、蒸気機関車を走らせることはできない。そこで鉄道も電化されることになった。オルセー駅に関わる最新技術の一つが「金属の構造物」なら、もう一つのキーワードは「電化」だ。現在の美術館にも残る大時計は電気じかけ、荷物を運ぶエレベーターやベルトコンベアなど電気を使った最新設備も整えられた。オルセー駅は技術の粋を尽くして作られた、実験的な未来の駅だったのだ。 

しかしそんな未来の駅も、交通量や乗降客数の増大により、40年もたたないうちにターミナル駅としての役割を終えることになってしまった。第二次大戦後のオルセー駅は、流浪の時代に入る。戦地から戻った兵士たちの受け入れ場所になったり、ホームレスの支援センターになったり。劇場として使われたこともあれば、駐車場だった時代もある。

そんな流浪の時代に終止符を打つことになったのが、美術館の建設計画だ。 駅を美術館として再利用する、これは美術館に対するイメージを一新するものとなった。人びとから見捨てられた過去の記念碑は、美の殿堂として生まれ変わることになったのだ。1900年に建てられたハコに、同時代の美術作品を収める。そんな調和を目指して作られたのがオルセーなのだ。魅惑的なトレイン・シェッドの形を残し、かつて作られた“伝統的なファサード”を生かす。オルセーは単なるハコではなく、建物自体、美術作品の一つだといえる。

立地条件は抜群といはいえ、もとは駅だった建物。経年で傷みも激しく、美術館として生まれ変わるためには、数々の補修や改装が必要となった。

まずは浸水対策。セーヌにほど近いオルセーは、1910年の洪水で、地下ホーム部分が完全に水没するなど大きな被害を受けている。美術館として使われるのち、水没するのはホームではなく貴重な美術品の数々だ。地下の浸水に備え、大掛かりな補強工事が施されることになった。

駅時代のオルセーはセーヌに面した正面が入口だったが、これでは川からの風が吹き込んでくることになる。そこで美術館の入口は建物側面に設けられることになった。入口を変更したことで、訪れる客は中央ドームの奥行きを真っ先に体感することができ、建物の魅力を最大限に引き出すこととなった。

しかし、ドーム状の巨大吹き抜け空間は、音の反響も最大限に引き出してしまう。数多くの来館者の声が残響となれば、騒音が発生し落ち着いて鑑賞することもかなわない。そこで採用されたのが、伝統的な集音装置。古くは劇場の壁などに仕込まれていた空の陶器だ。天井の1600枚のパネルにこの集音システムが施されることになった。

オルセーに組み込まれているのは、伝統的な技術だけではない。駅建設当時に負けず劣らず、最先端のテクノロジーが美術品を守っている。美術館の地下には、縮小されたとはいえ駅が残り、鉄道も走っている。駅を支える金属の支柱は、美術館の建物までつながっているのだ。走行の振動は支柱を伝わり、美術館まで届くことになる。振動は美術品にとって大敵だ。そこで展示壁には地震の国(日本など)で使われている防振装置が施され、免震構造となっているのだ。その他、巨大空間の湿度や温度をコントロールするため、コンピューターシステムで一括管理を行うなど、美術品を守るための最新の技術が仕込まれている。

オルセー宮、オルセー駅、そしてオルセー美術館への変遷……古いものと新しい要素の調和という、『パリ建築たんけん』で描かれるところのものを具体的に見ることができ、とても面白かった。

ノートルダム大聖堂保全作業が進み、いよいよ本格的な復元工事が始まるようだ。マクロン大統領は、パリ五輪が開催される2024年の一般公開を目指し、工事を進めたい模様だ。古い枠組みを生かしつつ、果たしてどんな新しい要素が組み込まれるのか、焼失前の姿を知らないのが残念ではあるけれど、完成を楽しみに待ちたいと思う。