こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

かんころもちと教会の島(第438号)

かんころもちは長崎は五島列島の郷土菓子。

本号はかんころもちをめぐる、土地と時間のお話だ。

舞台となるのは四つ。「佐世保のお菓子屋さん(※地名は本文では明記されていない)」「中通島」「小値賀島」「野崎島」だ。

作者は、いつもかんころもちを買うお店(佐世保のお菓子屋さん)のご主人から、

かんころもちが、食べられなくなるかもしれないということを、知っていますか?」

と尋ねられる。原料の「カンコロ」が減っているからだという。

ご主人から「カンコロのふるさとの島に行ってみませんか?」と誘われた作者と娘さんは、かんころもちを巡る旅に出るのだ。

最初の訪問地、中通島佐世保からフェリーで2時間半ほどの島。目的地の「江袋」までは港から1時間くらいかかる。五島列島の島は本土からもっと近くにあり、もっと小さいものだと思っていた。ぼんやりしたイメージだけでは、わからないものだ。

「カンコロ」がなぜ減っているのか?

「カンコロ」づくりには手間も時間もかかるからだ。原料となるサツマイモづくりから始まるのだ。島内で栽培される芋は「ごと芋」と呼ばれることもある。

手間も時間もかかる……作者と娘さんが最初の旅で「体験」したのは、カンコロづくりどころか、芋掘りだけ。

「まだまだよ。カンコロにするには、北西の風がふき始めてから。強い海風で一気にかわかささないと、カビてしまうからね。風がふいたら、またおいで」

芋掘りだけ、とは書いたが、体験はもう一つある。いも畑の持ち主である、尾上さん家族のお供で、夕方のミサに出かけるのだ。五島の人びとは「潜伏キリシタン」からの流れで、カトリック信者が多いのだ。

潜伏キリシタン」の歴史は、かんころもちの歴史でもある。サツマイモ、そしてカンコロは潜伏キリシタンたちの、文字通りの意味で「糧」そのものだった。その辺りの話は本書でぜひ読んでみてほしい。

冒頭、“舞台となるのは四つ”と書いたが、隠れた舞台がもう一つある。福岡だったり、名古屋だったり。全国といってもいいだろう。島で作られたかんころもちは、故郷から遠く離れ暮らす家族たちに、大量に送られるのだ。その昔食糧としての「糧」だったカンコロは、その役割を終えた今、精神的なささえとしての「糧」になり、ふるさとの味として、食べられているのだ。

 

離島のご多分に漏れず、五島の子供たちのほとんどは高校卒業後、島を離れる運命にある。島を離れずとも、遠洋漁業などで生計を立て、月に一度くらいしか帰らない人もいる。たとえ子供たちが「島に残りたい」と望んだとしても、難しい状況なのだ。

子供たちが島を出てしまうと、残されるのは大人だけ。上五島には現在29の教会があるが、多くの教会で信徒の数が減っているという。閉鎖される教会が出てくるのも時間の問題なのだ。今は無人島となった「野崎島」もその一つ。かつては人が暮らしていた島も、旧野首教会が残されているのみだ。ちなみにこの教会跡は「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の一つとして世界遺産に登録されている。

 教会に通っている人は、カンコロを作ってきた人でもある。かんころもちが食べられなくなるかもしれない、という言葉の意味がわかりました。

世界遺産に登録されることは、未来へつながる話として喜ばしいのかもしれないが、逆に「守らなければ失われてしまうようなもの」ということになる。 「かんころもちと教会」は、時を越え、場所を越えて五島の人びとを結びつけてきた。かんころもちも教会も、そのものが無くなってしまうことはないだろうが、潜伏キリシタンからの歴史を受け継いできた島の文化は、失われゆく運命にあるのかもしれない。

 

作者自身が絵を描いているだけあって、お話とぴったり調和したものになっている。私が好きなのは10ページ、ご夫婦が坂をのぼりながら教会へ向かう様子だ。信仰というちょっと強い言葉より、習慣という自然な言葉の方が似合う。表紙のロザリオの絵は「たくさんのふしぎ」ロゴをまたぐように配置され、それがグッと奥行きを作り出している。あるのとないのとでは、ずいぶんと印象が違うことだろう。

かんころもち、食べてみたいなあと思って、作者常連のお店であり本書の取材協力もしている、草加家さんのwebページを見てみた。

手焼きせんべい・かんころ餅・芋菓子など 菓子屋草加家

おうちでかんたん! 手作りかんころ餅キットBOX」に引かれてClickしてみたところ、作者にしむらかえさんが、商品紹介のイラストに協力しているではないか。確かに、おうちでかんたん! だけど、20〜30分搗く作業が意外としんどそうだ。ちょっと作り方は違うとはいえ、本文では、

製もち機に2回かけます。1回目はボソボソだったのが、2回目はもっちりとなります。

と書いてあるくらいの工程なのだ。我が家でも餅つき機の途中工程で機械がぶっ壊れ、一升分手で搗く羽目になったことがあるが、それはそれは大変だった。

こうして実際に手を動かして作ってみることで、かんころもちを作るという「物語」をも感じることができるのだろう。