こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

家をかざる(第409号)

現在は残念ながら終了してしまったが、昨年の一斉休校期間に合わせて「たくさんのふしぎ試し読み」という企画が公開されていた(『ポスター(第258号)』参照)

参照エントリーで、

ページ見開きの折れ目、「のど」の部分がないと、こんなにきれいに見えるんだ!と驚くはずだ。ノイズのない、まっさらな1枚の絵/写真として現れてくる上、色鮮やかで目にもまぶしい。写真など、まるでその場にいるみたいな臨場感で迫ってくる。

と書いた対象の一つが、本号『家をかざる』だ。本当にその場で旅して、眺めてるような気分で楽しむことができた。現在、うちの県も緊急事態宣言中。海外どころか国内で旅をすることすらかなわない。また試し読み、やってくれないかなぁ。……くれないかなぁ……ないかなぁ。……かなぁ。一冊でも、一部だけでもいいのですが……。

ギリシャエーゲ海に浮かぶヒオス島では、“クシスタ”と呼ばれる伝統模様で飾られる。スイス、エンガディンの谷では家の壁にフレスコ画で描かれる。スグラフィートと呼ばれる技法は、”かべを引っかいて下地を出し、もようを描く”と説明がある。同じような説明があったので、おそらく『りんごの礼拝堂(第273号)』でも使われた技法ではないだろうか。

ブルキナファソ、カッセーナ族の住む家は、曲線を生かした造形が模様の立体感を引き立てる。パッと見、現代アートと見紛うばかりだ。絵の具は遠くから採ってきた色土。『土の色って、どんな色? (たくさんのふしぎ傑作集)(第252号)』を実践する世界だ。黒には、すすや電池の芯も使われる。

シベリア地方、イルクーツクにはロシア式に美しく飾られた家が残されている。窓枠や軒下に施された装飾は繊細そのもの、まるでレースのようだ。かつてデカブリストの乱で追放されてきた貴族将校たちが持ち込んだものだという。家を地元風に飾りつけることは、失意のうちに故郷を離れた人たちを大いに慰めたことだろう。

 

『家をかざる』の写真、どれもが生き生きして美しく見えるのは、家が生きているからだ。人がいるからだ。生きている家は、人によって手入れされる。「家のかざり」にも手が入る。家のかざりは住む人だけのものではない。その地域でともに暮らす人たちのためでもある。人から「見られる」という意識のもとにこそ、かざりは輝くのだ。

どのページにも人、人、人。人がいないページは皆無といってよい。家にかざりを施す人、かざりを施された家のまえでくつろぐ人。飾られた家の前で、なかで生活する人、遊ぶ子供たち。人の生活こそ、かざりの一部そのものだ。

 家はかざりつけなくても住むことができます。ではどうして、人は家をかざるのでしょう?

家をかざるには、まず「家」が必要だ。家をもつ「ゆたかさ」が必要なのだ。当たり前と思われるだろうか?今も昔も、災害や紛争で「家」を追われる人は後を絶たない。命をつなぐだけの場所……難民キャンプ、避難所生活、仮設住宅など、どれもが、飾られるべき「家」にはなり得ないのだ。

家をかざるには、暮らしに余裕がなければならない。彩られた家は住む人だけでなく、見る人をも楽しませる。美しくかざられた「家」は、住民たちの幸せの象徴でもあるのだ。

 家は家族とともにくらし、子どもを育てる大切な器です。家をかざると心もゆたかになります。

 もしかしたら、人は、家をかざらないと生きていけないものなのかもしれませんね。

ちょっと前に、奥州市 牛の博物館を訪れたとき見たのが、インドネシアスラウェシ島に住むトラジャ族の家。「トンコナン」と呼ばれている。博物館にあるのは1/3模型だが、それでもじゅうぶんに大きい。実物はすごい迫力だろう。

写真でも全容はわからないと思うが、実際の家は屋根の両側が反り上がった舟形の屋根になっている。本号『家をかざる』に因んで、家の装飾を中心に解説してみると……

家の後方以外の三面は「ウキラン彫」という彩色の幾何学文様が彫刻されるという。

装飾の色は「(血を象徴)」「(骨)」「(神々の加護と収穫)」「(死)」の四色。パ・テドン(pa'tedong)と呼ばれる水牛の頭を象ったものや、太陽を抽象化した模様が多く刻まれる。アニミズムの世界そのものだ。

妻壁の中心には「カボンゴ」という木製の白い水牛頭部の彫刻が飾られる。その上には首の長い鶏を象徴した「カティック」という飾りが施されている。カボンゴは権力と地位、カティックは守護を表すといわれている。

家の柱には水牛の角が飾られるが、角がたくさん置かれるほどお金持ちの家であるようだ。トラジャ族にとって水牛は特別なもの。だからこそ飾りの中心にも使われるのだろう。

もはや、家の飾りつけという素朴な行動を越え、信仰や地位の象徴という色合いが強いものだが、これもまた「家をかざる」一つの形であることは間違いない。

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トラジャ族の家「トンコナン」(奥州市 牛の博物館