こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

コケのすきまぐらし(第439号)

先日、子供の帰宅時間に間に合わなくて、駐車場で待ちぼうけ、ぽけーっと地面を見てる様子に出くわした。

 ー実力テスト、間違えたわーこれ。

なんの話?

 ー雄株と雌株。やっぱ逆と思って書き直したら間違った。

あーコケ、ね。

子供は中学生。なんちゃらテストやら、なんちゃら試験やらが、ものを言う世界に生きている。しんどいことだ。

なんちゃらテストやら、なんちゃら試験やら……の点数は、子供の一部にしか過ぎない。学校での評価なんて、あくまで先生から見た評価だ。なーんて悟りを開ける中学生の親がいるだろうか?一部だろうが学校でのだろうが、子供を構成する評価であることには変わりない。高校受験に関わる大事な。

 

本号は一人の女性が、雨風強いなか、飛ばされんばかりの傘を傾げ、川べりを歩く様子の絵から始まっている。色調は黒。かすかに緑が散りばめられている。 

 大きな台風が過ぎていった朝、いまにもあふれてしまいそうだった近くの川はすっかり穏やかになっていました。

 ほっとした気持ちで歩いていると、川べりの石垣に生えているコケが目について、「ああ、やっぱりコケはすごいな」と思わずつぶやきました。

前ページの絵で、かすかに緑が散りばめられていたのは、コケだったのだ。

『コケのすきまぐらし』には、写真は一枚たりとも使われていない。ただの一枚も、だ。コケの本を作ろうというのに、絵だけで構成するのは大きな不利ではないのか?写真を使えば、大手を振って主役を張れるのは火を見るよりも明らかではないか。

しかし、写真の本はすでにあるのだ(『ここにも、こけが… (たくさんのふしぎ傑作集) (第195号)』)。二番煎じを作っても仕方がない。もっといえば、この本の主役はコケそのものではない。メインテーマは”コケの生き様”の方なのだ。

生き様を知るためには、兎にも角にもまず観察だ。

たかだか近所に生えてるコケを見るだけでも、こんなにも多様な視点があることに驚かされる。

ルーペは基本道具として、霧吹き持参で「乾いてるとき」と「濡らしたとき」を見比べるとか。ちなみに乾燥しているときの方が、それぞれの特徴があらわれやすいという。

同じ種類のコケでも「赤ちゃん」のころから「老年期」に至るまで違う様相を見せるとか。

春先は、多くのコケで胞子体が伸びてくるので、コケ散歩を楽しむ絶好の時期だとか。コケのお花見といったところだろうか。

一年中観察できるように見えるコケでも、中にはその季節にしか見られないコケもある。

 

これらを、絵だけで表現するというのはなかなか思い切ったことだ。色調はモノクロ主体、コケだけをおもに彩ることで、存在を際立たせている。しかし、絵はシンプルそのものだ。コケが作り出す風景の美しさも、文章では余すところなく表現されているが、どんな美しさかは想像するしかない。コケの絵もよく特徴をとらえて描いているのだと思うが、決して細密に見えるものではない。つまりは……実物はどんななの?どんな風景なの?って、隔靴掻痒的なところがあるのだ。会いにいこうと思えばすぐ会いにいけるんだから、他人が撮った画に頼るんじゃなく、自分の足を使って、自分の目で見てきなさいということなのだろう。

 

本号の英題は"NICHE LIFE OF MOSSES"だ。

ニッチという言葉はもともと「壁龕」から来ており、転じて生物学における「ニッチという用法が生まれている。そこからさらに「ニッチ市場」のようなマーケティング用語も派生した。本文を読むと、この「ニッチ」という言葉が本当によく実感できる。

まずコケの生える場所は、もともとのニッチ「岩のへこみや隙間」という意味でのニッチであること。

「ほかの植物が生えにくい場所」「コケだからこそ生きていけるすきま」に進出することで「生態学的ニッチ」を獲得していること。

コケ自体ははさまざまな場所に生えているが、種類ごとに気に入った環境でしか育たないこと。銅イオンの豊富な場所に生えるホンモンジゴケ*1のように、特殊な場所に適応するスペシャリストが多く存在していること。すなわち「ニッチ市場」のように、特定の分野にターゲットを絞って独占的展開をはかっていること。

コケは、まさに“ニッチな存在”であると言えるのだ。

 

この本を読んでいた息子が、コケって好きじゃないんだよなーって言い出した。27ページの「* いろんなコケのふえかた」の図解を見て、

 ーこのゼニゴケの無性芽、これがとくに嫌なんだよ。教科書にも載ってんだけどさー

と言いながら、教科書(東京書籍『新しい科学 1 』)を持ってきた。

 ーほらほら〜(『コケのすきまぐらし』にも出てくる)「仮根」とかも載ってんだよ。

へー。教科書には「ゼニゴケのからだのつくり」として「雄株」「雌株」「葉状体」そこから派生して「胞子のう」や「胞子」「仮根」の拡大写真まで載っている。

 仮根は種子植物の根に外観は似ているが異なるものである。仮根では、根のように効率的な吸水は起こらず、水分などは、からだの表面全体から直接吸収している。(東京書籍『新しい科学 1 』40ページより)

なんて解説まで書かれている。他の種類のコケの例として「コスギゴケ」「エゾスナゴケ」の写真も。この二つは、本号でも取り上げられている。

私、中学の頃、こんな詳しく苔のこと勉強したかなあ?

 ーとにかく!うちの駐車場にもゼニゴケ生えてんでしょ?あれが気持ち悪くて嫌なの。

嫌いと言いつつ、私の知らんとこでちゃんと観察してる。同じ風景を見てても、勉強してると目のつけどころが違うものだ。

子供が将来、どんな人間になりたいのか、そしてなっていくのかはわからない。コケのように、自分に合った環境を見つけて、しぶとく生きていってほしいものだ。そこは、パッと見目立たなくて、厳しそうに見えるところかもしれないが……。

 

本文で印象に残ったのは「極微のダム」という言葉。この言葉を引いた詩「苔について」の作者は永瀬清子。本号の作者、田中美穂氏と同郷(岡山県)なのは偶然の一致だろうか。