こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

エンザロ村のかまど (たくさんのふしぎ傑作集) (第227号)

このお話は『新しい道徳 6』に掲載されているので、知っている子供たちもいるはずだ。イラストも『エンザロ村のかまど』にある、沢田としきの同じものが使われている。

「エンザロ村のかまど」とは何か?

ケニアウェスタン州ビビカ県にあるエンザロ村で使われ始めた、クッキング・ストーヴのことだ。このストーヴを考案したのは一人の日本人。岸田袈裟さんという。

  • 彼女がなぜこのストーヴを、エンザロ村に普及させることになったか。
  • 「エンザロ・ジコ(カマド・ジコ)」の、一石五鳥、六鳥にもなる活躍ぶり。

については、ぜひとも本文をお読みいただきたい。

 

本書は、作者のさくまゆみこが、エンザロ・ジコをもっと知りたいということで、実際にケニアを訪れた時の話がベースになっている。

ちなみに教科書の文もさくまさんが書き下ろしている。教科書には35ものお話があれこれ載っているので、たった5ページにまとめられてしまっているけれど。

このお話のねらいは「国際理解、国際親善」となっているが、『エンザロ村のかまど』本体を読んだ方がよっぽど理解が深まるんじゃなかろうかと思ってしまう。むしろこちらの方が教材としてふさわしい。

それはなぜか。

村の人たちの生活の様子がふんだんに盛り込まれているからだ。

『エンザロ村のかまど』の主人公は、あくまでエンザロ村の人たちだ。一方で教科書のお話はどうしても岸田さんが主人公になってしまう。

“岸田さん”という言葉がどれだけ出てくるか数えれば一目瞭然。『エンザロ村のかまど』では40ページ中16回。教科書は5ページ中で14回だ。

教科書のスペースは限られるし、性質上致し方ないかもしれないが、だったら『エンザロ村のかまど』も合わせて読んでほしいと思ってしまう。子供もこの教科書を使っていたので聞いてみたが、やはり教科書だけで授業は終わってしまったようだ。

 

私が素晴らしいと思ったのは、20〜21ページの「わが家のエンザロ・ジコじまん」。各家庭それぞれが工夫を凝らして作り、使いこなしている。愛されて作られ、使われていることがよく伝わってくる。

しかし、乱暴に言えばエンザロ・ジコは、

  • 一石二鳥どころか五鳥、六鳥くらいの活躍で、生活を大幅に改善してくれる。
  • 材料が手に入りやすく、作りやすい。

こういう利点があるから広まったわけではないのだ。もちろん大前提としてそれはある。重要なのはエンザロ・ジコは、岸田さんが村の人たちと信頼関係を築いた上での成果だということだ。

 岸田さんがまず考えたのは、ケニアの人たちがほんとうに必要としていて、しかも自分たちでつくれるものは何か、ということでした。そのために村の女性たちとの話し合いを20回以上も重ねて、直接みんなの声を聞いたのです。やがて村人たちは、岸田さんを仲間として受け入れ、本音を語るようになりました。

そういう意味では教科書の、岸田さんが主人公、というのはわかる。だが、エンザロ・ジコができるまでのプロセスには「村人こそ主人公」という視点が必要なのだ。

この本には村の人たちの名前がたくさん出てくる。作者が泊まったリハンダ家の家族の名前もそうだし、先に触れたエンザロ・ジコじまんでは、紹介される6人全員の名前が書かれている。38〜39ページは、二人の小学生を紹介しその一日の様子も取り上げられている。村の人たちは「エンザロ村の人」と引っくるめられる存在ではなく、名前があってそれぞれ生活を営んでいる一人なのだ。私たちと同じように。

 

岸田さんの「成果」はエンザロ・ジコだけではない。わらぞうり作りにも携わっている。

ケニアでわらぞうり?

裸足で過ごす人たちも多かったケニア、利点はあるものの、傷があったりするとそこから感染症寄生虫に冒されることもある。そこで岸田さんが考えたのが、身近にある材料で作れる履き物。助産師さんたちを皮切りに小学校でも作られるようになり、パティパティと呼ばれ使われるようになった。おかげでケガや病気が減り、学校を休む子供も少なくなったそうだ。

 岸田さんの話では、パティパティづくりは衛生についての考えを高めるのにとても役立っているそうです。自分の手でつくっているあいだに、はだしの危険性についても考えるようになるからです。

エンザロ・ジコもわらぞうりも道具にしか過ぎない。大事なのは衛生についての考え……なぜ必要なのか、なにが必要なのかということ。それが伝われば、たとえ岸田さんがいなくとも、自分たちの手で生活を改善していくことができるはずなのだ。

2007年度(第14回)アフリカで民間ボランティア活動 岸田袈裟氏 : 読売新聞オンライン

岸田さんは惜しくも2010年、60代の若さで亡くなられている。イラストを描いた沢田さんも同年に、若くして亡くなられていたのには驚いた。