こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

沈没船はタイムカプセル(第460号)

沈没船はタイムカプセル。

どういう意味?

それは読んでのお楽しみ。文字どおりタイムカプセルだということがよくわかる。

 

作者佐々木ランディ氏は「水中考古学」に携わっている。水中考古学といっても、陸上の考古学と変わるものではない。むしろその一部に当たる。水中と陸上とでは発掘の仕方も技術も異なるので、そこの特殊性はあるが発掘はあくまで手段にしか過ぎない。考古学の目的は、発掘された遺跡や遺物を対象に研究をおこなうことだからだ。

とはいえ、のちに紹介する『沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う』によると、水中沈没船遺跡はやはり異質なものだという。

陸上の遺跡は通常、古いものが壊された上に新しい建造物ができ上がっていくので、さまざまな時代の痕跡が層になって現われる。その土地の、歴史の流れを見ることができるのだ。

一方で沈没船は、どこからか来て偶然その場所に残ってしまったものだ。その土地との連続性はほぼない。「時間から切り離された遺跡」だという。沈没船遺跡の発掘は、その瞬間に切り取られた歴史を見ることでもあるのだ。そういう意味でもタイムカプセルといえる。

 

本号は、世界11カ所の水中遺跡をとおして、水中考古学を紹介するものだ。

最初に紹介されるのは鷹島神崎遺跡元寇の古戦場として知られるところだ。ご存知のようにモンゴル軍は“神風”によって大打撃を受けている。当時沈んだ船や武具などが残されているのだ。

発掘されたものは何を教えてくれるのか?

たとえば蒙古襲来絵詞に記された「てつはう」。発掘されたものからは「てつはう」と見られるものも発見されており、この記録を裏付けるものとなった。

管軍総把印の発見は、モンゴル軍高官がいたことを示すものであり、鷹島にモンゴル軍が襲来していた確かな証拠となった。

船のつくりを調べることで、どこで作られたものなのかということもわかる。

残されたアンカーの向きから、当時の天候まで知ることもできるのだ!なぜ沈没したのかも。

このように、水中遺跡をとおして水中考古学を紹介するというのは、世界の歴史の一端を垣間見せることでもあるのだ。

 

しかし、40ページという誌面の都合上、紹介されるのは限られたトピックだけ。

水中考古学についてもっと知りたいし、そこからわかった歴史についてももっと知りたい。

なんだか物足りない感じがしてしまうのだ。

でもその全部を語り過ぎないというのは大事なところだ。知りたければ自分で調べればいい。自分の興味は自分で満たすしかないのだ。「たくさんのふしぎ」は知識を教えるものではなく、あくまで興味の取っかかりを作る絵本だから。「たくさんのふしぎ」を見せてくれる本だから。

 

私ももっと、水中考古学の具体的な話を知りたい!

と思って読んだのが、『沈没船博士、海の底で歴史の謎を追う』だ。

これがまためちゃくちゃ面白かった。

何より面白いのが作者の経歴だ。

作者山舩晃太郎氏の運命を決めたのは、一冊の本。

海底の1万2000年―水中考古学物語』だ。

そこから水中考古学に興味を持ち、関連の本を読み漁るようになる。気になったのが本の中に頻繁に出てくる「テキサスA&M大学」という文字。さらに井上たかひこ氏の『水中考古学への招待―海底からのメッセージ』と出会い、留学は夢物語ではないと思うようになる。井上氏は40歳を過ぎてからテキサスA&M大への留学を果たしているのだ。ちなみに本号の作者佐々木ランディ氏も、同大で学んだ一人である。

がしかし。

山舩氏は小学校から大学まで野球漬け。高校もスポーツ推薦で入り、そのまま系列の大学に進んでいる。英語は苦手というレベルではなく、中高の英語の試験は20点以上取ったことがないというのだ!おいおい。

留学の話を伝えたときは当然、両親をはじめ周囲は困惑しきりだったようだ。野球部のチームメイトからは「頭がおかしくなったのではと思った」とまで言われている。

しかし。

彼の行動力はすごかった。テキサスA&M大には留学生用の語学学校があることを聞き、これ幸いとばかりいきなり現地に飛んでいく。英語もろくに話せないのに、住む場所すら決めずに、である。現地職員と周囲の助けで、どうにか入学手続きやアパートの手続きなどクリアすることになる。

彼の留学生活は万事がこの調子だ。

壁にぶち当たっても、ブルドーザーのように突き進んでいく。

留学半年後に受けたTOFLE、120点満点中30点😭→そこから猛勉強😤→大学院に仮入学できた😆!

船舶考古学プログラムの勉強!めっちゃ楽しみ😊!→ガーン。教授なに言ってるかわかんない😰!→徹夜で猛勉強💪→なんとか成績クリア!修士課程に正式入学㊗️。

カストロ教授の授業(沈没船の復元再構築)最高やんけ😍→彼に弟子入りしたい!でも成績悪いからおもてからの採用(研究助手)は無理そう…😢→こうなりゃ直談判だ😁!!

なにかに夢中になってこれをやりたい!と思う気持ちは、何よりの燃料になる。行動のエンジンをフル回転させる。あらゆる困難を乗り越えさせる原動力になる。意志あるところに道は通ず、という言葉をこれほどまでに実感させてくれる本もないだろう。

 

もちろん肝心の水中考古学の方も素晴らしいネタでいっぱいだ。

具体的にどうやってるの?なにやってるの?それからどうするの?という好奇心を目一杯満たしてくれる。こちらは水中考古学についてほとんど知らないというのに、調査の様子が生き生きと浮かび上がってくるから不思議だ。

調査は研究者同士の協力も大事になるが、それ以上に大切なのが現地の人との関係だ。実際コスタリカはカウイータ国立公園沖合に来ていたアメリカの研究機関は、3年ほど調査をしていたものの、現地の研究者や地元コミュニティとうまく関係を築くことができず、撤退を余儀なくされている。

作者も一見、猪突猛進で調査にだけ邁進しているように見える。しかし調査に邁進しているからこそ、考えければならないことが出てくる。

それは沈没船の歴史的な背景だ。

考古学なんだから歴史的背景を知っておくのは当たり前のことだ。調査には欠かせない知識だからだ。でも、その歴史が現在の現地の人にとってどういう意味を持っているか、そこも考えておかないと調査はうまくいかないのだ。

カウイータ国立公園沖の沈没船は、デンマーク船で「三角貿易」を担っていたものと考えられていた。つまりは「奴隷船」だったと推測されているのだ。

山舩さんは、アメリカチーム撤退後を引き継いだチームに参加しているが、

「アフリカ系との混血も多いコスタリカの人々は、果たして本当にこの船の発掘をしたいのだろうか?」

と疑問を持つことになった。しかし現地の人の話を聞き、コスタリカの地元の人にとっても、自分たちのルーツを知る大事な研究として考えられていたことを理解するのだ。

これが、水中戦争遺跡となればなおさらだ。

あるとき山舩さんは、ユネスコからの依頼で、水中に沈む戦争遺跡について、講師の一人としてフィールドスクールに参加することになる。

場所はチューク諸島。ご存知の方もいるだろうが、ここはかつて日本による委任統治が行われており、第二次大戦中は大日本帝国海軍の重要拠点ともなっていた。1944年、アメリカ艦隊からの空襲に備え主力艦は撤収したものの、退避が遅れた支援艦船などは激しい爆撃を受け、チューク環礁内の海に沈んでいる。だからここには多くの沈没艦船が残されているのだ。

フィールドスクールを通じて現地の人と関係を深めた後、山舩さんがどうしても「日本人」として聞きたい、聞かなければならないと思ったのが次の質問だった。

「日本の戦争遺跡の保護について皆はどう思っていますか?」

空襲で破壊されたのは、日本兵の命や艦船だけではないのだ。戦況が激しさを増す中で、地元民の命はもちろんのこと、建物や農地も失われる事態になっている。

山舩さんからの質問に、地元の人はどう答えたか?それはぜひ本書を読んで確認してみてほしい。

『沈没船はタイムカプセル』でも、戦争遺跡が取り上げられている。沖縄に眠る駆逐艦エモンズのところで、佐々木ランディ氏は次のように書いている。

これらの「遺跡」は、私たちに戦争について語ってくれる。戦争遺跡を発見し、記録を残し、未来に伝えること。それも水中考古学者の仕事なのだ。

 

本書の「おわりに」には、

 その中で改めて感じたのは、「私は本当に水中考古学が大好きだ」ということだ。

とかわざわざ書くまでもない一文がある。そんなん改まって言わんでも、読んでりゃわかるわい。

にしても山舩って苗字はでき過ぎなんじゃなかろうか。舩って字は「船」の古い表記だということ考えると。古い船を発掘する仕事に就いたのは、運命だったのかもしれない。