こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

アンデスのリャマ飼い(第80号)

アンデス

「ふしぎ」ってアンデス好き過ぎないかい?

プーヤ・ライモンディ 100年にいちど咲く花(第245号)

とか、

じゃがいものふるさと(第275号)

とか、

マチュピチュをまもる アンデス文明5000年の知恵(第343号)

とか!

ひとことでアンデス言うても広いから、取り上げることはいくらでもあるけど。

舞台はペルー。小学生にとっては遠くてなじみが薄い国だけに、

1990年7月、日系二世のフジモリさんが大統領になった国ですね。

と、アルベルト・フジモリ氏を使って親近感を誘っているのが面白い。今やフジモリ家としては娘のケイコ氏の方が知られているかもしれない。

本号は「リャマ飼い」の牧畜民のくらしを紹介する絵本だ。ハイメという少年を主人公に、半分までは物語仕立てで進んでいく。同名のハイメ・ロサン氏による挿絵付きなので、ちょっとした物語絵本が差し込まれているようだ。

ここが富士山より高いところだなんてとても思えません。

とか、

お母さんが夕食のジャガイモのスープを作っています。

とか、これまでの「ふしぎ」で知ったアンデスあるあるがここでも出てくる。まあこっちの方が先なんだけど。

リャマ飼いになるのは早くも二歳前。「ウマ・ルトゥーチ」という、初めて髪を切る儀式があるが、ここでお金やら服やら、小さなリャマとかアルパカをプレゼントされるのだ。

ハイメには友だちがいません。でも生まれたときから、リャマやアルパカがあそび相手です。

というのは、日本の子供たちには想像もつかないことだろう。『ハチヤさんの旅 (たくさんのふしぎ傑作集) (第26号)』でも、移動中の石踊さんの子供は一人で遊ばなければならなかったし、移動生活を営む者の宿命かもしれない。とはいえ遊牧民の子供たちは親の手伝いが遊びであり、遊びがそのまま仕事にもなる。

宿命といえば学校生活もそうだ。この後の「ふしぎ」でも何度となく取り上げられているが、学校が遠すぎるため寄宿生活になったりする(『トナカイに生かされて シベリアの遊牧民ネネツ(第428号)』)。6歳になったハイメも月曜から金曜までは学校近くで過ごし、週末だけ家に帰る生活を送っている。ここで学ぶのは母語ケチュア語ではなく、ペルーの公用語の一つであるスペイン語だ。

10歳になったハイメは、お父さんに連れられてプイカ村まで出向く。村までは歩いて3日という道のりだ。この辺の距離感も日本の小学生にはつかめないことだろう。村の知り合いに泊めてもらって、ここを拠点にさらにアルカ村まで。これまた歩いて5時間の道のりだ。アルカ村からはバスに乗って町の市場へ。アルパカの毛を売って生活に必要なものを買うためだ。

 ハイメは、自分が育ってきた高原の外にも世界がひろがっていて、多くの人が住んでいることを知りました。

今の子供たちは、外にも世界が広がっていることを知っているけれど、その実自分周りの世界のことしか知らないのはハイメと同じかもしれない。

挿絵はどこかミレーを思わせるような暖かな色合いとタッチ。5ページで赤ちゃんだったハイメが、21ページでは大人びた少年に成長している。顔つきがはっきりしない絵が多いなか、この21ページと、13ページの学校で学ぶ様子は印象的だ。目をはじめ表情がしっかり描かれて、ハイメの成長を感じさせるものとなっている。

 

22ページからは、写真をメインに、ハイメの物語を補足したり、アンデスの人々の生活や歴史などを解説する文章が続いている。アルパカやリャマについての説明、リャマ飼いたちが家畜をどう利用しているのかなど。カトリックのお祭りや闘牛の話は、スペイン征服の影響を色濃く受けるものだ。インカ帝国スペインによる征服の話は、36〜39ページに軽くまとめられているが、本当はもっと説明を要するところだろう。さまざまなトピックを紹介することで幅広い知識を得られるようになっているものの、話題を広げすぎて散漫に感じてしまったことも確かだ。

興味を引かれたのが、

リャマ飼いたちは、リャマやアルパカの乳はのみません。

というところ。ウシやヒツジ、ヤギなどは普通、乳も利用されることが多い。これ↓を読むと、どうやらリャマ・アルパカは乳を利用しにくく、その困難を乗り越えてまで搾乳するメリットもないようだ。

非搾乳論考:搾乳には進まなかったリャマ・アルパカ 牧畜民と家畜との関係性
アンデス高地ワイリャワイリャ共同体のE牧民世帯の事例から

乳は利用しないが、肉は食べる。ただ主として食べるのはジャガイモやトウモロコシだ。ハイメとお父さんも山を降りて村に出かけていたが、そこで農民と物々交換をしたり、農作物運搬の手伝いをしたりして、手に入れているのだ。

 彼らは、農村で1か月いじょう滞在することもあります。その間、親しい農民の家にとめてもらいます。だから、農民と親しい関係をたもつことはとても重要です。このような友だち関係は、親から子へと受けつがれることが多いのです。

親しい農民との信頼関係は、彼らにとって財産の一部ともいえるものだろう。

 

「作者のことば」ではさらに、日系ペルー人についての話が追加されている。1899年の集団移民を皮切りに多くの若者がペルーに渡ったこと。今は逆にペルーから日系人が働きに来ていること。ルーツが同じとはいえ、生活習慣や言葉の違いでいろいろ困ったことも起きていること。

 日本の学校に入る南米の子どもたちも増えています。君の学校にもいたら、友だちになって助けてあげてくださいね。

という言葉は、1991年発行の本誌から30年以上経った今でも現在進行形で通じることだ。本格的な人口減少社会への移行が始まり、移民受け入れが取り沙汰されるなか、外からの文化とどう折り合いをつけるか。逆に経済が縮小する日本から、移民として渡っていく人も出てくることだろう。

牧畜民と農民との深いつながり。スペインを受け入れざるを得なかった歴史。日本からの移民流入。そして日系ペルー人の来日。本意であれ不本意であれ、人の流入出は止められるものではない。その中では当然摩擦が起き、トラブルもあるだろう。多様性を認めるみたいなお為ごかしよりは、なんとかうまく付き合っていくというのが現実かもしれない。

そういう意味で『アンデスのリャマ飼い』の話は古びていないのかもしれない。

動物園のリャマ

 

「ふしぎ新聞」には、新藤悦子さんによる「トルコだより」が。メッカ巡礼についての話が紹介されている。ひょっとするとこれがタネになって『トルコのゼーラおばあさん、メッカへ行く(第271号)』として結実したのかもしれない。

聖地だというのに、メッカではけんかもよくおこるそうです。やはりいろいろな国の人が集まると、もめごとなしにはすまされないのでしょうか。

というのがなんとも人間臭い。