プーヤ・ライモンディは、アンデスの高山帯に生息する植物だ。「百年に一度花を咲かせる」と言われ、開花した後は枯れてしまう。まるで竹や笹のような植物だ。
アンデスの女王、百年に一度だけ咲く花 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト
著者は、ワラスの町で知りあったインディヘナの青年からプーヤのことを聞き、写真を撮るべくアンデスの高地へと向かう。高地といってもそんじょそこらの高さではない。3800m〜4200mという富士山よりはるかに高い場所だ。ワラスの町自体、標高は3000mを優に超える。そこから車で2時間、さらに歩いて3時間。標高の高い場所で3時間も登り続けるというのは大変なことだ。以前ラダックを訪れたときレーの街まで飛んだことがあるが、飛行機を降りて歩き回るだけで息切れし、ちょっとした上り坂では動悸が止まらず、えらい思いをした。本文には「数歩進んではとまり、また進んでは休憩」と書かれているが、宜なるかなという感じだ。
苦労して登った先、標高はすでに4100mに達している。出会ったのは赤いセーターを着た一人の少女。名前はアン。写真が素敵だ。わずかに歯を見せてほほえむくらいの、なんてことはない表情だが、すごくいい。アンのお父さん、アルビーノの写真もあるがこちらも優しげな雰囲気を漂わせている。他にも、おばあちゃんのアナマリアが牛の解体をしているところなど、しみじみ良い表情をしている。本書には、表情を写したものは数えるほどしか載っていないが、そのどれもがすごくいい。
それもそのはず。著者は、プーヤのありそうなところに案内してもらう代わりに、アルビーノ一家の手伝いを買って出て、数週間あまり寝食をともにするのだから。しかし、それだけではこんな写真は撮れない。一家の人とこころを通わせ、信頼関係を築いたからこそのものなのだ。
見知らぬ家に泊めてもらうとき、ぼくがいつも心がけていることがある。だされた食事は残さず食べること。食後の洗いものは、かならず自分ですること。
数日後、著者はアルビーノとアンとともに、プーヤのある谷へ向かって出発する。谷といっても、一家の住む場所から7〜8時間はのぼったところにある。途中、アンに「わたしとおとうさんだけのひみつの場所」に案内してもらう。氷河のトンネルだ。24〜25ページの写真はまさに圧巻、巨大な青い洞窟に吸い込まれていきそうだ。現実の場所とはとても思えない。そんな幻想的な空間なのに、ザックを背負った著者の姿がちょこっと写っているのが、野村氏の本らしくて面白い。
私もプーヤの花がどういうものなのか知らなかったので、どんなんだろうとわくわくしながら読み進めていた。しかし現れたのは、これが花……?みたいなもの。「100年にいちど咲く花」という期待感に反した奇妙な形態に、驚きよりもちょっとがっかりした思いを抱いてしまった。めずらしさの割には地味という、これも竹や笹の花と似ているところだ。
プーヤの花茎は地表から最大で12メートルにも達する。現地で見たらそのスケールに圧倒されることだろう。著者の背丈と比べた写真もあるが、風景のスケールが大きすぎてサイズ感がつかめない。
近くに学校がないため、アルビーノは子供たちの先生がわりでもある。プーヤについても詳しく知っていて、著者にあれこれ説明をしてくれる。
ちょうど100年目に花が咲くなんてだれがたしかめたんだろう。疑問がいっしゅん心をかすめたけれど、ぼくはアルビーノ先生のいうことをすなおに信じることにした。
このすなおに信じるというところが、著者の本から感じる魅力でもある。盲目的に信じるというのとは違う、人として信じるという感じ、どう伝えたらいいかわからないけれど、世界へのひとへの信頼感が、著者の旅を支えているのだと思う。
最後に写されたプーヤの「花」は、本当に可憐で美しい。最初に覚えたがっかり感をすっかり払拭するものだ。付けられた文章がまた最高だ。この本が手に入りづらい以上、説明を加えたい気持ちにもなるが、下手に説明するのはなんだかもったいなくて書けない。
著者の書く「たくさんのふしぎ」は、どの号の表紙やタイトルも目立って主張する感じではない。シンプルそのものだ。
https://www.fukuinkan.co.jp/search.php?author_id=7722&tan=野村哲也
どれも、現地の空気感や人々との交流、そのときの気持ちなど余すところなく描かれていて、素敵な号ばかりだ。写真も素晴らしく、著者の人柄や現地の人たちとの信頼関係を感じさせるものになっている。子供たちに読んでもらいたいものばかりだが、図書館でも廃棄済みになっているところもあり、古本市場でしか入手できないのが残念なところだ。
とくに、この『プーヤ・ライモンディ』は、「ふしぎ新聞」の「作者のことば」のエピソード含め、再刊してほしいくらいだ。野村氏は「ふしぎ」をこれだけ手がけているのに、どの号も傑作集として出されないのが不思議なところだ。何か理由でもあるのだろうか?