こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

プーヤ・ライモンディ 100年にいちど咲く花(第245号)

プーヤ・ライモンディは、アンデスの高山帯に生息する植物だ。「百年に一度花を咲かせる」と言われ、開花した後は枯れてしまう。まるで竹や笹のような植物だ。

アンデスの女王、百年に一度だけ咲く花 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

著者は、ワラスの町で知りあったインディヘナの青年からプーヤのことを聞き、写真を撮るべくアンデスの高地へと向かう。高地といってもそんじょそこらの高さではない。3800m〜4200mという富士山よりはるかに高い場所なのだ。そもそもワラスの町自体、標高は3000mを優に超える。そこから車で2時間、さらに歩いて3時間。標高の高い場所で3時間も登り続けるというのはなかなか大変なことだ。以前ラダックを訪れたときレーの街まで飛んだことがあるが、飛行機を降りて歩き回るだけで息切れし、ちょっとした上り坂では動悸が止まらず、えらい思いをした。本文には「数歩進んではとまり、また進んでは休憩」と書かれているが、宜なるかなという感じである。

苦労して登った先、標高はすでに4100mに達しているが、そこで出会ったのが赤いセーターを着た一人の少女。名前はアン。出会いを書いたとなりのページにはアンの写真があるが、これがまたすごくいい写真なのだ。わずかに歯を見せてほほえむくらいの、なんてことはない写真なのだが、すごくいい。次のページにはアンのお父さん、アルビーノの写真もあるがこちらも優しげな雰囲気を漂わせた素敵な写真だ。他にも、おばあちゃんのアナマリアが牛の解体をしている写真があるが、しみじみ良い表情をしている。本書には、人の表情を写した写真は数えるほどしか載っていないが、そのどれもがすごくいい。

それもそのはず。著者は、プーヤの花のありそうなところに案内してもらう代わりに、アルビーノ一家の仕事の手伝いを買って出て、数週間あまり寝食を共にするのだから。寝食を共にするといっても、それだけではこんなにいい写真は撮れない。一家の人とこころを通わせ、信頼関係を築いたからこその写真なのだ。 

 見知らぬ家に泊めてもらうとき、ぼくがいつも心がけていることがある。だされた食事は残さず食べること。食後の洗いものは、かならず自分ですること。

数日後、著者はアルビーノとアンとともに、プーヤのある谷へ向かって出発する。谷といっても、一家の住む場所から7〜8時間はのぼったところにある場所だ。途中、アンに「わたしとおとうさんだけのひみつの場所」に案内してもらう。氷河のトンネルだ。24〜25ページの写真はまさに圧巻、巨大な青い洞窟に吸い込まれていきそうで現実の場所とは思えない。そんな幻想的な空間なのに、ザックを背負った著者の姿がちょこっと写っているのがまた、野村氏の本らしくて面白い。

私もプーヤの花がどういうものなのか知らなかったので、どんな花なんだろうとわくわくしながら読み進めていったのだが、「100年にいちど咲く花」という期待感に反した奇妙な形態に、驚きよりもこれが花……?みたいなちょっとがっかりした思いを抱いてしまった。めずらしさの割には地味という、これも竹や笹の花と似ているところだ。ただ、プーヤの花茎は地表から最大で12メートルにも達するということで、現地で見たらそのスケールに圧倒されることだろう。本書には著者の背丈と比べた写真も載っているが、風景のスケールも大きすぎてなかなかサイズ感がつかめないのが残念なところだ。

近くに学校がないため、アルビーノは一家の子供たちの先生がわりでもあるのだが、プーヤについても詳しく知っていて、著者にあれこれ説明をしてくれる。

 ちょうど100年目に花が咲くなんてだれがたしかめたんだろう。疑問がいっしゅん心をかすめたけれど、ぼくはアルビーノ先生のいうことをすなおに信じることにした。

このすなおに信じる、というところが、著者の本から感じる魅力でもある。盲目的に信じるというのとはまた違う、人として信じるという感じ、どう伝えたらいいかわからないけれど、世界へのひとへの信頼感が、著者の旅を支えているのだと思う。

最後に写されたプーヤの「花」は本当に可憐で美しく、私が最初に覚えたがっかり感をすっかり払拭するものだ。付けられた文章がまた最高だ。この本が手に入りづらい以上、説明を加えたい気持ちにもなるが、下手に説明するのはなんだかもったいなくて書けない。

 

著者の書く「たくさんのふしぎ」は、どの号の表紙やタイトルも目立って主張する感じではない。シンプルそのものだ。

https://www.fukuinkan.co.jp/search.php?author_id=7722&tan=野村哲也

しかしながら、どれも、現地の空気感や人々との交流、自分の気持ちなど余すところなく描かれていて、本当に素敵な号ばかりだ。写真もまた素晴らしく、著者の人柄や現地の人たちとの信頼関係を感じさせるものだ。バックナンバーも子供たちに読んでもらいたいものばかりなのだが、図書館でも廃棄済みになっているところもあり、古本市場でしか入手できないのが残念なところだ。

特にこの『プーヤ・ライモンディ』は、「ふしぎ新聞」の「作者のことば」のエピソードも含め、再刊してほしいくらいだ。野村氏は「たくさんのふしぎ」をこれだけ手がけているのに、どの号か傑作集として出版されないのが不思議なほどだが、何か理由でもあるのだろうか?