以前『春の妖精たち―スプリング・エフェメラル (たくさんのふしぎ傑作集) (第241号)』で書いたイベントでは、クラフト体験の時間もある。
が、正直、クラフト体験には興味が持てないでいた。子供の方も小刀などを使いなれないので、作業を放り出して遊び出してしまうことが多い。
しかし「先生」はこうおっしゃる。
昔から人々は竹を利用して生活してきました。竹冠の漢字が当てられている道具(竿、笊など)は、もともとは竹を加工して作られたものです。それらの道具も、今ではプラスティック製品などに取って代わられたため、竹は利用価値を失うことになってしまいました。その結果、竹林の手入れが行き届かなくなり、荒れたまま放置されることになりました。私は何とかして竹を使い続ける方法を考えたい。なので、竹を利用したさまざまな品を考えては作っています。このクラフト活動もその一環なのです。
『木? それとも草? 竹は竹』でも、竹と日本人の長い付き合いについて書かれている。
竹はほとんど花を咲かせないため、新しい品種を作り出せなかったこと。したがって竹は野生のまま人間に利用されてきたこと。日本人は、野生の竹の性質をそのままに、うまく管理する方法をあみだしたこと。竹林の手入れを怠らないことで、竹を元気に育て、利用しやすい状態を維持してきたこと。
付録「ふしぎ新聞」の「作者のことば」も、
この本を読んで竹に興味をもった人が、将来、竹の新しい使い方を考えたり、いろいろな種類の竹の開花周期を明らかにしてくれることを楽しみにしています。
という一文で結ばれている。まさに「先生」が言ったことそのものが書かれていた。
竹はほとんど花を咲かせないと書いたが、開花周期という言葉が示すように、十年単位どころか、人間の寿命より長いスパンで花をつける種類もある。驚くべきことに、花を咲かせ種をつけた後、親である竹はすべて枯れてしまうのだ。竹の花の研究には一人の人間の寿命以上の時間が必要となる。
枯れてしまうというのは、一帯すべての竹が無くなってしまうことを意味する。2004年、京都の北山という地域で、チュウゴクザサがいっせいに花を咲かせ、すべて枯れ果ててしまったことがある。困ったのが京都の和菓子屋さん。ちまきを包む材料が取れなくなってしまったからだ。
その後について調べてみると、2015年に書かれた記事が見つかった。
祇園祭とチマキザサ | 研究者・専門家・活動家が生物多様性をテーマに語るコラム | 京都市生物多様性総合情報サイト 京・生きものミュージアム
10年も経てば再生が進んでいると思うだろうが、さまざまな要因が重なって、回復が遅れているらしい。それでも地域で協力して地道な保全活動を続けているようだ。
里山のイベントに参加しつつも、里山の管理って必要なの?人手が足りなければ、自然のままに放っておけばいいんじゃないの?と思うこともあったが、暮らしのすぐそばにある里山は、想像以上の恵みをもたらしていることがわかった。荒れてしまった里山を元に戻すには、手間も時間もかかるのだ。
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