こどもと読むたくさんのふしぎ

福音館書店の月刊誌「たくさんのふしぎ」を読んだ記録です。

分水嶺さがし(第377号)

子供はNHKの「ブラタモリ」が大好きで、毎週欠かさず見ている。

こちらでは、疑似社会科学という言葉が出てきて「どうもサイエンス的な裏付けが弱い気がする」と述べられているが、具体的にどこがどうという説明がないので、何とも言えない「気がする」。

ブラタモリの真骨頂は、タモリの「好奇心」ということに尽きるのだと思う。世の中にはいろいろな番組があるが、出演者が仕事としてではなく、心から楽しんでいる、本当の意味での好奇心が見られるのは、ブラタモリくらいではないだろうか?(それほどテレビを見ない癖に言いきるのもどうかと思うが)あとは、昆虫すごいぜ!もそうか。

はてな匿名ダイアリーの記事では、「タモリがまち歩きながら放言するくらいが面白かったのかもしれない」とも書かれていたが、これには賛同しかねる。私はタモリの「好奇心」を見ることは好きだが、放言する=博識ぶりを披露することについては、それほど関心がない。むしろ、専門家(ゲスト)の方が、タモリの先読みにも負けず、時に負けながら、自分のフィールドで生き生きと説明しているのを見る方が好きだ。

 

ブラタモリの「#24 軽井沢への道~人はどう峠を越えてきた? ~」では、分水嶺を探し当てるという実験をやっていたが、この『分水嶺さがし』でも、同じくペットボトルの水を使った、分水嶺探しをしている。

私は、今号の作者である野坂勇作氏の書く「ふしぎ」や「かがくのとも」が好きでほとんどの著作を読んでいるが、それはごく身近なものを題材としているからだ。『海をこえてやってきた』でもそうだったが、まず地元で発見した身近なことから始まってゆく。野坂氏が見せてくれるものは私にも、そして子供にも見えるし、野坂氏がやることは私でも、そして子供にもできることなのだ。

分水嶺って何だろう?自宅のある米子にもどったぼくは、さっそく調べてみることにしました。辞書をひくと(以下略)」と書かれているが、興味をもったことについてまず、辞書で調べてみるということは子供にもできることだ。

また「分水嶺と河川争奪についてもっと知りたくなったぼくは、地元の図書館に通い(以下略)」というように、図書館で調べものをすることだって、子供にもできる。

子供だけで遠出をすることは難しいかもしれないが、野坂氏のように、興味をもって調べに行った先で、現地のお年寄りにその土地のことを尋ねたり、分水嶺探しの実験をする中で、通りかかった老婦人に「そうよ、ここが分水嶺なんよ」と自信たっぷりに答えてもらったりと、その土地の人に教えてもらうということは子供にもできることだと思う。

野坂氏は、分水嶺の説明板を見て、そこに名前のあった教育委員会に連絡を取り、そこの地形に詳しい人に話を聞く、ということもしているが、一歩進んでそういう方向から調べることもできるのだ。

 

「作者のことば」では、

分水嶺さがしの楽しさは、次の三つです。『想像すること』『行動すること』『発見すること』。このことを、どうぞ一人ではなく家族や友だちと一緒にやってみてください。楽しさが十倍になることうけあいです。

と書かれているが、分水嶺さがしだけではなく、興味をもったいろいろなことにも応用できることだと思う。 想像すること、行動すること、発見すること、は好奇心さえあれば誰にでもできることだ。

タモリも野坂氏も、何かの分野に関する「専門家」ではないけれど、好奇心を持って行動する姿勢があるからこそ、その番組も本も面白いのだと思う。だが、ブラタモリも、タモリNHKアナの想像と行動と発見だけではそれで終ってしまう。野坂氏が専門家や地元の人の話を聞きに行っていたように、専門家とのやり取りによって初めて発見されることもあるのだ。それがまた、新たな想像と行動につながってゆくのだと思う。

自分の住む街には、ブラタモリは来ないだろうが…やろうと思えば、自分たちでも”ブラ○○○”はできるのだ。

分水嶺さがし (月刊たくさんのふしぎ2016年8月号)

分水嶺さがし (月刊たくさんのふしぎ2016年8月号)