私の夢の一つは「野生のペンギンを見ること」。
近年、動物園や水族館でのペンギンの展示はかなり進化して、南極風の真っ白い風景に置かれるだけ、ということも少なくなってきた。
長崎ペンギン水族館は、ふれあいペンギンビーチと称し、自然の海で泳がせるイベントまでやっている。砂浜からよちよち歩いて、海に突入していくペンギンたち。のびのび泳ぐ姿を見た時、野生の彼らを見たいという気持ちはますます強くなった。
一方、この作者が、
「南極へ行きたい、コウテイペンギンの写真を撮りたい」
私は毎日のようにさけんでいました。
とかいう羽目におちいったのは、クライアントの要望がきっかけだった。写真家の彼は、クライアントからたびたび「氷上のペンギン写真」を求められていた。それに応えられない*1ことに業を煮やし、南極に飛ぶ決心をするのだ。
天候不順のため、経由地に足止めされた時には「ヒナが大きくなっちゃうよー。早く行こうよ」とわめいたり、南極に着いてからも「興奮してしまって、息をするのもくるしいほど」になったり。
飛行機を降りてすぐ、集まってきたコウテイペンギンに「謁見」した時には、感激のあまり涙を流すほど。挙句の果て、興奮して撮り続けるうち、昼ごはんを食べてからのち一睡もせず、翌朝6時を迎える*2羽目になる。
私もペンギンに会ったら……作者のように「ペンギンたちと別れたくない」とか「せめて、もう1度コロニーに行ってお別れのあいさつをしたい」とか「さみしくてなりませんでした」とかいう日記を書くことになるはずだ。
面白かったのは、付録の「ふしぎ新聞」のおたよりコーナー。
出色は「購読し続けて11年になる高2の女の子」のおたより。彼女が11年読んできた中で印象に残っているのは1991年4月号『10才のとき (たくさんのふしぎ傑作集) (第73号)』だ。
「ここに紹介されている、この方たちは今どうしていらっしゃるのだろう」と考えると、少し胸が詰まる思いがする。
と書かれている。
おたよりが載った当時は2001年、現在はさらに16年経った。
彼女は今どうしているだろう?まだ「ふしぎ」を読み続けているだろうか?私のように子供に読み聞かせしてたりするだろうか?
彼女はまた、こう記している。
時代とか歴史とか、一言で言っても一人の人生は確実に存在してるんだなぁ…と感じて、何だか泣きたいくらいせつない気分でした。
私も、今は30代になったであろう彼女に思いを馳せ、せつない気分になった。