本号の最後は、こう結ばれている。
太平洋のまん中の小さな島でおこっていることは、けっしてマーシャルの人びとだけの問題ではありません。核実験や原子力発電所の事故による放射能でくるしんでいる人びとが世界の各地にいます。もしも核戦争や原子力発電所の大事故がおこれば、私たちがマーシャルの人びとと同じ運命をたどることになるかもしれないのです。
このエントリーでも同様のことを書いたが、この本が出版された1996年当時、およそ15年後、私たちが本当に「マーシャルの人びとと同じ運命をたどることになる」と、誰が想像できただろうか?私自身、原発の安全神話を信じていた一人だ。チェルノブイリはあれはソ連だったから、日本の原発は大丈夫、と。
「作者のことば」によると、
日本に帰り、数年後に『ビキニーマーシャル人被曝者の証言』という写真集を出版したら、「アウト・オブ・デート(流行おくれ)」とか「まだこういうテーマをおいかけている人がいたのか」と言われました。
"out of date"と言われることは心外にしても、福島第一原子力発電所事故のような形で"up to date"になることは、決して望まなかったに違いない。マーシャルのことを伝えようと地道に活動してきた島田興生氏は、2011年の翌年、早くもビキニふくしまプロジェクトを発足させている。
本号にはマーシャルの美しい自然と、子どもたちの笑顔がたくさん写されている。その背後には病気の母親と離れて暮らす悲しみ、白血病の恐れとたたかう苦しみ、そしてふるさとを失った痛みなどがある。
絵を担当した津田櫓冬氏は『トビウオのぼうやはびょうきです』の挿絵も描いているが、これは第五福竜丸の被爆事件を元に作られた絵本だ。『マーシャルの子どもたち』では「この第五福竜丸の事件は日本じゅうをゆるがしました。しかし、同じ死の灰をあびたマーシャル諸島の人たちのことは、日本ではほとんど知られることはありませんでした。」と書かれている。
翻って、私は、じゃあ日本の、「福島」に起こったことについて、何を知っているだろうか?と考え込んでしまった。マーシャルの人々に起こったことが「遠い国の不幸な出来事」であったとしても、福島のことだってどれだけ自分に引き寄せて考えられているだろうか?
自分にできることといえば、せいぜいこういう本を子供に読み聞かせをするとか、紹介するとかそれくらいなもの。自ら行動を起こすとか、何かの運動に協力するとか、本当に他人事ではなく自分事として受けとめるというのは、なかなか難しいものだと痛感させられてしまった。
しかし、子供に、次の世代に伝えていくことくらいは私にもできるはずだ。手始めに、子供を連れて夏休み、第五福竜丸展示館に行ってみようと思う。
月刊 たくさんのふしぎ マーシャルの子どもたち 1996年 10月号(第139号) [雑誌]
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